01
深夜の屋上に、取り残された者が一人。
先程まで、街をにぎわしていたであろうネオンサインは、もうすっかり息を潜めてしまっている。
「あーあ……何をやっているんだろうなぁ」
行きつけのバーで、一人お酒を飲み始めたのは覚えている。無茶して普段手を出さないバーボンのロックに手を出したことも、何となくだが記憶にある。そこからの自分の記憶は、闇にのまれてしまっている。思い出そうとするとそれを拒むように頭が痛んだ。上から見て、位置的に電器屋の隣の雑居ビルの屋上にいることはつかめたが、一体どういうルートをたどって、こんな屋上にいるのか。さっぱりわからなかった。
すっかり酔いはさめてしまった。身震いをして、よれていた上着の襟をつかみなおす。さすがに冬の風は貧相な体にはこたえる。
記憶の糸を少しずつたどっていく。ここまで酔いつぶれることになった原因に思い当たったとき、酒で流してしまいたかった嫌悪感が、再びよみがえってきた。
あの女。
思わせぶりに近づいてきて甘い微笑とかわいらしい仕草で惑わし散々おだて上げ、潤んだ目で見つめたかと思うと、そっと手を握ってきたあの女。そして、こっちがその気になった途端手のひらを返し見下したようにずけずけずけずけとまくし立て、去っていったあの女。
「だってあたしの彼はけちけちしないし、優しいし。あんた、何勘違いしてんの?」
ふわりと趣味の悪い香水の匂いを残し、彼女は捨て台詞を吐いた。
「……好きだったなぁ」
吐き出すようにつぶやいた。胸のむかつきは消えない。泣き出してしまいたかったけれど、苦しさが増すだけで、涙を流すことなど出来なかった。いっそのこと、全て洗い流してしまいたいのに。
甘い時間はほんの一時の夢だったのだ。ずっとしゃぶりついていたかった。しかしそうはさせてくれなかった。あの天使の皮をかぶった醜悪な生物は天上の高みから奈落へと突き落としたのだ。
――飛び降りてしまおうか。
落とされるくらいなら、いっそ自ら飛んでしまえばいい。
この世に未練はあるけれど、痛いのも嫌だけれど。死ぬことに、不思議と恐怖はなかった。今の苦しみから解放されるならば、その方がいいかもしれないとさえ思った。
一陣の風が吹き抜ける。柵の向こうは、闇への入り口が開いていた。
ここを飛び越えれば、向こう側にいけるだろうか。
風が吹き、ふと、頭上から光を感じた。
月が顔を覗かせていた。雲の隙間から、一筋の光明が額に舞い降りた。
月の微笑と、しばし見つめあった。
街を照らし始めたその月が、高みへといざなっているような気がして、思わずへたりこむ。そうだ。こんなところで落ちてたまるものか。ひざががくがくと笑う。これは寒さのせい、と自らに言い聞かせた。
空が明るみ始めていた。どんな暗い夜でも、明けない夜はないのだ。
01.月が笑う