20

 そのディスプレイには、たくさんの人だかりが出来ていた。
 ディスプレイに面して人通りは多く、皆それぞれが興味を持って人だかりの内側をのぞいていく。
 ガラスの向こうには、黒くて高くて大きな塔が皆を威圧するようにそびえたっていた。
 その塔の壁はふんわりと柔らかく。白く雪のような粉砂糖がかかっていて。てっぺんにはフルーツがカラフルに散らされている。みるからに甘そうで、見るものはついのどを鳴らした。
 その塔はチョコレートケーキで出来ていた。

 その人ごみにまぎれて、一人の男はじっとディスプレイを眺めていた。ひょろひょろの体つきに、野暮ったいジャンパーを羽織って、背中を丸めている。
 上から下まで、非の打ち所のないケーキ屋さんの看板。パティシエの技の結晶に、男はため息をつく。
 プレートには、十万円、と、びっくりするほどのゼロが並んでいた。
「買えないわけじゃないんだけどなあ……」
 小さい頃を思い出す。
 たった三十円のお菓子のために悩んだ。これを今使わずに貯めれば、後でもっといいものが買えるだろう。ほんのわずかなお金が貴重だったし、一生懸命貯めて買った時計は、宝物になった。見た目はちょっと古いが、今でも使っている。
 しかし大人になった今では、買えない値段ではない。今まで特に目的もなく貯めてあったお金からひねり出せば、十万円くらいは。それくらいの稼ぎと貯金はあった。しかし、と男は首をひねる。
「そういうもんかなあ」
 お金さえあれば、子供の頃夢見ていたようなものが簡単に手に入ってしまう。そんなもんで、いいのだろうか。

 男がショーウィンドウに見とれていると、乱暴に背中を叩かれた。
「うわ!」
「ちょっと。そんなにびっくりしないでよ」
 振り返ると、そこには女が立っていた。見慣れないロングスカートなんてはいている。いつものジーパンスタイルはどうしたのだろう。やけに顔が白っぽく見える。
「ホントに子供の頃から変わってないねー……ケーキに見とれてるなんてさ。腹いっぱい食べたいなー、なーんて思ってるんでしょ」
 ずけずけと人の心を踏みにじっていく女。こういう奴に、自分が大切にしていたことを語ったとして、はなっから理解しないに違いない。こいつは鼻で笑うだろう。そんな奴に語って聞かせたくもない。
 しかしそれとは裏腹に、男の態度は、相手を刺激しないような弱弱しいものだった。力関係は、はなっから負けていた。
「な、何の用……?」
 いつもいいように呼び出し、振り回されてきた。今日は一体何の用だというのだろう。
「用がなきゃ呼び出さないわよ!」
「用がなくたって呼び出すくせに……」
「うるさいわね」
 叩かんばかりの勢いに、男は身をちぢこめる。ほら、こいつはいつだってそうだ。
 そんな男の態度に、はっと思いとどまったのか、女は振り上げた拳を下ろした。何やらいつもと様子が違うので、男はもしや、と思った。いや、しかし、そんなはずは。
「……はい、これ」
 女はそっと包みを差し出した。
 男はひどくうろたえた。
 リボンできれいに包装された、プラスチックの透明な包みには、小さなハートマークのチョコレートが入っていた。

20.大きなお菓子


2006.05.31    瑞沢

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