お姫様になりたかった。







 去年の学園演劇は、生徒会長とローズクイーンによる「王子と乞食」だった。
 その優雅で美しい姿に、目を奪われる。
 わたしもあんな素敵な衣装が着られたらいいのに。


「もうすぐ文化祭だな」
 いつもの帰り道。わたしは不二山くんとおしゃべりしながら帰途についていた。
 柔道部は引退して、わたしと彼の肩書きはマネージャーと部長ではなくなった。けれど、不二山くんは当然のように「帰るぞ」と声をかけてくれるから、なんとなくいつもの流れで一緒に帰っている。
「学園演劇に出たいんだ」
「へぇー。そっか」
 わたしは力説した。去年の舞台がどんなに素敵だったか。
 けれど、自分もドレスが着たいというのはなんとなく恥ずかしくて言えなかった。がさつだし。髪の毛だってショートヘアだし。スカートよりもズボンが似合う女。自分でもそう思っていたから。
「……だから、紺野先輩とローズクイーンの先輩みたいに、かっこいい衣装着て、舞台に立てたらなぁって」
 不二山くんはこくりとうなずく。
「わかった。一票入れてやる」
「ありがとう! このご恩は必ずやお返ししましょうぞ……!」
「うむ。かまわぬよ」
 家来になりきると、殿さまとして返してくれる。このノリの良さが楽しい。
 そんな話をしているうちに不二山くんも乗ってきたようで、「おまえがやるんなら、俺も出てみるかな」なんて、気楽な感じで言うから「そんな生半可な気持ちで務まると思ったら大間違いだ! 覚悟しろ!」って言っておいた。
 不二山くんがそれを受けて「押忍。精進します」と神妙な顔つきで返事をするから、余計におかしかった。わたしたちは笑った。


 そして投票の日を迎えた。選ばれた者が学園演劇の主役になれるのだ。
 少しでも票がもらえたらいいなと思った。主役になれなくても、端役でもいい。「学園演劇に出たいんだ」とあちこちで吹聴していたら、応援してくれる人もいた。
「今回の主役は、なんとうちのクラスからだ」
 大迫先生がそう告げ、黒板に名前を書いていく。力のある字で、小……波……と書かれていくのを見て、わたしは身震いをする。
 それは、わたしの名前だった。
 わたしは選ばれたのだ。
 信じられない。
 天にも昇るような気持ちだった。あの素敵なドレスが着られる、と思った。


 けれど、決まった演目は新撰組だった。
 新撰組。
 わたしはその三文字を呆然と眺める。新撰組。日本の幕末が舞台。血が血を呼ぶ、男たちの熱き戦い。無論きらびやかなドレスなど、どこにもない。
「総司! 頑張ろうな!」
 近藤勇、もとい不二山くんに背中をばしんと叩かれる。それに応える気力はわたしには、なかった。




* * *




 あれだけ張り切っていたくせに落ち込んでいるわたしを、不二山くんは不思議そうに見ていた。
「どうした?」
 周りの人がいる手前「なんでもない」とかわしていたものの、帰り道になって二人きりになったところで、ついにこぼした。
「沖田総司って、男じゃん!」
「そうだぞ」
 何か問題でも? とでも言いたげな表情をされてわたしは落ち込む。それって、わたしが男でも違和感がないってことなんですかね?
「なんで? 沖田といえば美少年だろ。おまえに合ってると思うけど」
「少年……」
 ますます気分が沈んだ。
 不二山くんと仲良しの女の子はわたしだけ、とひそかに気をよくしていた自分がバカみたいだ。彼にとっては男友達と同じ扱いに過ぎなかったんだ。
「鬼のような強さを発揮したけれど、普段は陽気な奴だったらしい。おまえみたいだろ。俺は好きだけどな」
 一瞬びくっとするけれど、沖田のことが好きなんだとすぐに思い直す。いや、それよりも引っかかる事がある。
「鬼のような強さって何? わたしそんな事あったっけ?」
「ははは、それそれ」
「もう……!」
 不二山くんが笑うから、わたしは怒って叩くふりをする。
「よし、元気出たな。久しぶりにウイニングバーガーでも食べに行くか?」
 なんて言うから、元気づけようとしてくれていたことに気づかされる。そうだよね。くよくよしてちゃいけない。せっかく役をもらったんだから、頑張らなければ。
「お供いたしますぞ、殿!」
「殿じゃなくて近藤先生、な」
「はーい」
 なりきるの早いなあ。



 芝居で使う刀のことを竹光、というらしい。真剣とは違い、刃が竹で作られているのだ。
「竹光でも怪我をすることもあるから、取扱いには気をつけろよ」
 放課後、わたしたち出演者は教室に集まって指導を受けた。まずは刀の持ち方。帯び方。抜き差しするところから。知らないことばかりだった。
 不二山くんはよく似合っていた。真剣な表情で刀を構える姿を見てかっこいいなあ、と思っていたけれど、すぐにその余裕もなくなった。慣れない動きに、稽古をしているとすぐに息が切れてくる。
 沖田総司は麗人とうたわれるその一方で、鬼神のような強さを誇ったらしい。大股で踏み込み、力任せに剣を振るうと「沖田らしくていいな!」と大迫先生に褒められたりもしたけれど、あまり嬉しくなかった。ますます少年に近づいていく気がする。


 稽古は続く。けれど、わたしは集中力を欠いていた。
 目の前にあるのは、理想とは程遠い現実だった。きらびやかなドレスも、ロマンティックな筋書きも、そこにはなかった。
 体を動かすのは嫌いじゃない。幕末を駆け抜けた武骨な志士の姿、そんな姿が、わたしには合っているのだろう。
 今日も殺陣の練習。
 相手が大きく切りかかるから、わたしはそれを避け、そして隙ができたところを切りつける。――その手筈だった。
 わたしは相手が切りかかるのと同時に刀を抜き放つ。その途端つるりと手元を滑らせた。わたしの手から刀が落下していく。わたしは動揺して、反応が遅れる。
 しまったと思うが、もう遅い。わたしは目をつぶるしかない。
「――あれ?」
 受けるはずの衝撃は襲ってこなかった。かわりに鈍い音と、誰かに抱きとめられる感触がした。
「おい! 気をつけろ!」
 不二山くんだった。彼はわたしを後ろから抱きとめ、腕でかばっていた。そして今まで聞いたことがないくらい怖い声で怒鳴った。
「おまえも、ぼやっとしてんな」と言われ、わたしはようやく我に返った。
「不二山くん! 腕……!」
 不二山くんが、わたしの代わりに攻撃を受けたんだ。教室がにわかに騒がしくなる。不二山くんは保健室に連れて行かれた。

 今日の練習は中止になった。
 保健室に行くと、不二山くんは腕を包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「大したことねーよ」と彼は言うけれど、そんなはずはなかった。いくら竹光でも打ちつけられたら痛いに違いない。
「ごめんなさい」
 わたしのせいだ。
 明らかにわたしのせいだった。わたしが集中力を欠いていたから、不二山くんが余計な怪我をした。着られないドレスのことなんか、ぐずぐずと気にしていたから。
 処置が終わり保健室の扉を開けると、今日の殺陣の相手が待ち構えていた。
「不二山、本当にごめん。大丈夫か」
「いいよ。これから気をつけろ」
 不二山くんの返事はさっぱりしたものだった。わたしは殺陣の相手に声をかけた。
「あの、ごめんね」
「俺の方こそごめん」
「ううん、わたしがぼんやりしてたから……」
「いやいや、俺が気をつけていれば――」
 お互いに謝って、謝りあって、なんだかわからなくなったところで「おまえら、終わんねーからそのへんにしとけ」と横槍が入った。わたしたちはむりやり笑顔を作って、手を振って別れた。
 帰り道、わたしは二人分の鞄を背負う。不二山くんは自分で持つと言ったけど、これくらいは当然だ。
「おまえが怪我をさせたわけじゃないんだから、あんま気に病むな」
「でも」
 わたしは気が重かった。明日からまたやっていけるだろうか。わたしのつまらないこだわりのせいで。それが原因で、つまらないミスをして。悪循環だ。
 そのとき、思いがけない言葉が降ってきた。
「なあ。何をそんなに悩んでるんだ?」




* * *




 ぴたりと言い当てられて、わたしは動揺した。
「え……」
「学園演劇が決まってからずっと、おまえ、ずいぶん思いつめてるみたいだったから。沖田役がそんなに嫌か?」
「そういうわけじゃないけど……」
「だよな。おまえならそんなこと気にしないだろうし。主役に決まってもっと喜ぶと思ってた。色々考えてみたけど、俺には見当もつかねぇ」
 全部見透かされていたんだ。わたしがぐずぐず悩んでいたことも。
 不二山くんは柔らかく笑った。
「無理にとは言わねーけど。話すことで楽になるもんもあるだろ?」
 今なら本当のことを言えるような気がした。この人ならわかってくれるかもしれない、そう思ったから。
 背中を押されて、わたしは一歩を踏み出した。

「ドレスが……着たかったの」

「は?」
 彼はしばらく固まった。そしてわたしをまじまじと見た後、笑い出した。
 わたしも笑おうとした。笑いにして流してしまえば、未練などきれいさっぱり消えてしまうかもしれない。でも無理だった。
 なんだか自分自身が笑われているような気がしたから。「おまえにはドレスは似合わない」って。そう言われているような気がしたから。
「面白い……ですか」
 咎めるような口調に、彼は、はっとしてすぐに口を結んだ。
「笑って悪かった」
 けれど、もう不二山くんをまともに見ることができなかった。わたしはみっともない顔を隠してそっぽを向いた。
 無事な方の手が伸びてくる。わたしはつい一歩下がったけれど、彼はかまわずに手を伸ばした。
 不二山くんの手が、頭に触れた。いつもみたいにぐしゃぐしゃに扱われると予想したけれど、そんなことはなかった。壊れ物を扱うように触れ、そして子供のように涙をぽろぽろこぼすわたしをそっと抱き寄せる。
 彼は大きなため息をついた。こんなくだらないことで泣き出してしまい、呆れているのかもしれない。
「悪い。俺が責任を取る」
「ううん、大丈夫。もう止まったし――」
 不二山くんが大げさなことを言いだすから、わたしは慌てて涙を拭く。そんな、責任を取ってもらうほどのことじゃない。
 だから、不二山くんが思いつめた表情を浮かべていたことなんて、私は気づかなかった。
「俺が着せてやるから。ちゃんとしたやつ」
「え?」
 わたしは顔を上げる。ちゃんとしたやつって何だろう。貸衣装とか?
 何を言っているのかよくわからなかったけど、ぽかんとしていると彼は指折りはじめた。
「大学を出て、金貯めて……いくらぐらいかかんのかな」
 ひょっとして自腹のつもりなのだろうか。わたしは全力で首を振る。
「いい、いいよそんなの!」
 何を考えているのかさっぱりわからない。自腹にしても、ずいぶん気の長い勘定をしているように思えた。貸衣装って、そんなに高かったっけ。ひょっとして小さい頃散々言われた「また今度ね」ってやつなのだろうか。それにしてもはぐらかし方がヘンだ。
「いい。絶対着せる。もう決めた」
 なんか勝手に決められてしまった。当事者の意向お構いなしで。
 ただ一つわかるのは、この人は冗談でこんな事を言う人じゃない。言ったことは何が何でも実行してみせる、有言実行の人だ。何が何でも実行されてしまう、のだろうか。随分先の話みたいだし、内容もよくわからないけれど。
 それに、と不二山くんは続ける。
「着たいんだろ? 希望は捨てるな。ちゃんととっとけ」
 そう言った不二山くんの顔がとても優しかったから、信じてしまいそうになる。
「だって、わたしなんか似合わないよ」
 だから笑ったんでしょ? こんながさつな女がドレスを着たいだなんて、滑稽でしかない。自分でもわかっている。
「そんな訳ねぇよ」
 ああ、言わせてしまった。気を遣わせてしまって、本当に恥ずかしい。
「女なんだから、ドレスだって似合うだろ」
「適当なこと言って……」
「大丈夫だ。俺を信じろ」
 不二山くんはそう言い、にかっと笑った。
「いつになるかわかんねーけど、約束する」
 なんだかドキドキしてしまった。冴えない女の前に現れて「ドレスを着せてやろう」だなんて、なんだか――シンデレラみたいだ。とすると、不二山くんは魔法使いなのかな? それとも、王子様役なのかな。……まさか、ね。
「手、出せ」と言われて素直に出すと、彼は強引に小指を引っかけた。そして真面目な顔でそらんじる。
「指きりげんまんうそついたらはりせんぼん飲ーます」
 わたしは噴き出した。
「ちょっと……待って……約束って、これ?」
 おかしかった。笑いをこらえるのに必死で、でも不二山くんが真面目な顔で諭している手前笑い出すことも出来なくて。なんで真面目な顔をしていられるんだろう。
 とうとうこらえきれなくなって、わたしは笑った。
「……ハァ。やっと笑った」
 大きなため息をひとつ。そしてわたしの頭をわさわさとなでながら優しく微笑んだから、どきっとしてしまった。
「約束したからな」
 そう言われ、わたしはうなずくしかなかった。



「昨日はご迷惑をおかけして、すみませんでした!」
 翌日からは気持ちを切り替えて練習に参加した。大声で皆に詫び、気合を入れる。
 不二山くんが怪我したぶん、わたしがカバーしなければ。まだ痛みは残るから無理はできないけれど、本番までには治るだろうとのことだった。
 鬼気迫る勢いで相手を切りつける。「太刀筋から迷いが消えたな」などと近藤先生――不二山くんに言われたから「はい先生!」と笑った。どれもこれも、不二山くんのおかげだった。この人には本当にかなわない。

 そして文化祭当日。わたしたちは舞台に立った。
 途中、沖田が喀血するシーンで本当に具合が悪くなってしまうハプニングもあったけれど、わたしたちはどうにか新撰組の舞台をやり遂げた。
 ドレスは着れなかったけど、不二山くんと一緒に舞台に立つことができて、わたしは本当に嬉しかった。




* * *




 その後は約束のことなんてすっかり忘れていた。
 まさか、不二山くんが本当に約束を叶えるなんて、わたしは思いもしなかったのだ。


 十年後。
 サクラソウの咲く教会で。わたしは純白のドレスを着ていた。
 ゆっくりと純白のベールが上げられる。視界の先には、タキシードに身を包んだ不二山くんがいる。彼は頬を赤く染めて微笑むと、そっと口づけた。
「約束、ちゃんと叶っただろ?」と言われて、わたしは抱きついた。


(終)



* * *



マンガでも似たような話を描きましたが、それのノベライズ(という名の焼き直し)のようなものです。
男勝り系バンビなりの葛藤があればいいなぁ。

2016.05.01

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