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彼らによるクリスマス


 古い空調設備が、ごうんごうんと耳障りな音を立てている。排気口からは人工的な生温かい空気が吹き込む。
 他の部屋は空調を切っているために冷えきっている。犬も猫も含め、この家の住人は皆、温かい居間兼作業場に集まっていた。
 キヌエはリクライニングシートに深々と座り込み、コーヒーを片手に立体映像を眺めていた。華やかなイルミネーションがぴかぴかと現れ、そして次々と映像が切り替わっていく。ザッピングが終わり、いまいちぴんとくる番組が見つからなかったので諦めて録画映像に切り替える。
「そういえばクリスマスね」
 世間ではそんなイベント一色に染まっていた。しかしこの家ではそんなイベントごとなど存在しないに等しい。相変わらずガラクタと、旧時代の機械に埋もれるばかりである。
 だいたいイベントと言っても、キヌエたちにはそれを楽しむ術がなかった。満足に世間一般と同様のイベントをこなそうと思ったら、この界隈ではいいお金が必要になる。
 そこへのんびりした声がかかる。キヌエの旦那、ハヤトである。
 彼は仕事の手を止めて、ゴーグルを額へとずらした。
「そうだねー。キヌエちゃん、何か欲しいものある?」
「ない」
「そう言わずにさ」
「じゃあいちおくえん」
「……」
 心底面倒臭そうに返事をするキヌエ。ハヤトは手に持っていた道具を作業台に置き、キヌエに襲いかかる。椅子の後ろから彼女を羽交い締めにし、むしろ背後から抱きつく格好になる。
「俺にそんな稼ぎはねえー!」
 ちょっと大きな声が出てしまい、数匹の猫から注目を浴びる。足元でミチコがきゅうんと鳴いた。
 いつもなら技を返しているところだが、椅子ごと抱きつかれた上に、コーヒーカップを片手に持っている状況である。どう見ても分が悪かった。
 ハヤトは抱きついたまま、後ろからお互いの頬をくっつけた。彼がにいっと笑うのが頬の感触でわかる。それで満足したのか、彼はあっけなくキヌエを解放した。
 彼はキヌエを愛しているのである。
 こういうとき、キヌエは日頃の行いにちょっぴり罪悪を感じる。決して彼を愛していないわけではない、ただ素直にそれを発露できないだけ。それがどうしてプロレス技へと形を変えてしまうのか、キヌエ自身にもよくわからなかった。
「ハヤトは? 何か欲しいものとか」
「俺は……愛かな」
 芝居がかった声で言うと、キヌエからの痛い視線が突き刺さる。
「何?」
「いや……何でもない」
 キヌエはコーヒーカップをゴトリと置く。
「だいたいキリスト教徒でもないのにイベントに乗っかるなんてさ」
「キヌエちゃん……そんな何世紀も使い古されたフレーズを今更言わなくても。キヌエだって熱心な仏教徒なわけじゃない、じゃない」
「そうだけど」
 キヌエはむっとした。
 それからしばらくハヤトは仕事に熱中しだした。キヌエは抱えている仕事もなく、のんびりと「幻の一戦 アンドロイド中沢VSシャーク佐藤」の映像を眺めていた。
 年の瀬である。あっと言う間に時間は過ぎていく。何をしていても、あるいは何もしなくても、すぐに一日は終ってしまう。その積み重ねで一年も終わろうとしている。
「でも、最近思うよ。この年になるとあっと言う間に一年が過ぎていく気がするから、こんなイベントで節々のお祝いをすることも大事なんじゃない? また今年もこの時期がきたな、ってね」
 はっとして、キヌエは思わずハヤトの顔を見つめた。視線に気づき、ハヤトは照れたように頭をかいた。そして彼は作りかけの義肢の方へ意識が戻っていく。
 キヌエはその横顔を見つめていた。
 何年も、そして何十年も、彼と共に年老いていくことができるなら。キヌエはそれを嬉しく思った。
「……じゃあ、今年はおいしいものでも作ろうか」
「お、本当?」

 その時。
 ずしんと、まるで爆弾が落っこちたような、大きな衝撃が家を襲った。
「メリーーーークリスマーーーース!!」
 慌てて玄関に駆けつけると、そこには赤く染めあげられた白衣を纏い、白い髭と何故か全身にリボンを巻きつけた男が、ノリノリで立ちはだかっていた。
 もちろん玄関には大きな穴が空いている。冬の冷たい空気が、容赦なく入り込んでいた。
「ムラサキさん。そこに座れ」
 キヌエの口調からは、いつもムラサキに見せる遠慮の一切が消え失せていた。キヌエの背中からしゅうしゅうと妖気のようなものが立ち上っているのが、ハヤトには見えた気がした。
「はっはっは、どうだこの『プレゼントは俺』スタイルは」
 ハヤトはこのセンスが嫌いじゃないが、キヌエの手前反応するわけにはいかない。結果、無言でムラサキを出迎える図が出来上がった。
 その後もムラサキがなんとかこの状況を切り抜けようと試みるも、無言で仁王立ちするキヌエによってあっけなく玉砕した。こうなっては、ハヤトも手が出せない。ムラサキは折れ、玄関先に大人しく正座したのであった。むろん、ふざけた髭もリボンもついたまま。
 風の吹きつける中、キヌエの説教は小一時間続いた。
 タイミングを見計らってハヤトが「キヌエちゃん、このままじゃみんな風邪どころじゃ済まないから」と言わなかったら、恐らく一晩中続いていたのではないかと思わせるほどだった。ようやく家の中で暖を取ることを許可されたムラサキだったが、すっかり心身ともに冷え切っていた。これで少しは懲りるといいのだが、そんな期待は一切持てなかった。
 こうして、キヌエがせっかくその気になったクリスマスは、無惨な男の無茶な乱入により、最悪な形で幕を閉じたのである。

 ――いつかこれもいい思い出になるのだろうか?
 と、翌日、ベッドの中でうなされながら、彼らは思ったのだった。

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