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足跡

『今日は来てくれてありがとう』
 人の歓声がさざ波となって聞こえてくる。
 時代がかった、ゼクスという名の小さなライブハウス。客席には、曲が終わった後の音の余波が渦巻いていた。
『突然だけど、重大なお知らせがあるんだ』
 俺はいつも以上に緊張していた。手が小刻みに震えていることに、最前列の奴らは気がついていたんじゃないだろうか。しかし、それを止めようという余裕さえなかった。ライトの当たらない闇の向こうに、数百人の目がしいんと俺を見つめ、次の言葉を待っていたからだ。
 ただ、これだけはわかっていた。皆、俺が何を言うのか知っている。それでも言わなきゃいけないのだ。それを皆望んでいる。
 俺は一歩踏み出した。呼吸を落ちつけて。
『今日はこの通り、ギターの信也がいない。あいつは……星になっちまったんだ』

 知らせを聞いたのは、ほんの一週間前のことだった。睡眠中にも関わらず、俺の携帯が鳴り響き、俺はシカトを決め込んでいたが、いつまでたっても止まないので仕方なく電話を取る。ドラムのコウタからだった。
「寝てたのか、悪いな。つーかそれどころじゃねえんだよ! 聞け!」
 俺はうんざりしていた。こいつがこうやって電話をかけてくるのは初めてのことじゃなかったからだ。確かこの間は、女に振られた話だったか。しかし今回は、それを遥かに凌駕した。
「いいか。……信也が、死んだ」
「はあ? 嘘だろ。お前、ジョークにしてはたちが悪い――」
「嘘じゃねえよ。俺がそんな嘘なんか言うか? とにかく、さっさと章人っちに集合な!」
 電話はそう言って一方的に切れた。
 俺はしばらくぼんやりした後、かみ締めるようにタバコをくわえた。だんだん脳が目覚めてくる。
 ――死んだ、って?
 一本消費したところで、俺は散漫な動きでシャツを着替え、家を出た。夜も更けて、人通りは少ない。
 章人の部屋は、小奇麗に片付けられていた。いつもと全く変わらない部屋、だけどそこにある空気はまるで別物だった。
「いよう、来たか」
 コウタは大きなガタイに似合わず、目を真っ赤に腫らせていた。陽気そうな声も、無理に出してみただけだとわかって俺は狼狽した。
「な、何泣いてんだよ」
 俺はおどけて背中を叩いてみせた。コウタは再び泣き出しそうに顔をゆがめた。
「信也の携帯に電話したら、あいつの母さんが出た」
 それまで、静かにタバコをくゆらせていた章人が口を開いた。長い前髪に隠れ、表情は見えない。
「母ちゃん? 本当に? それで」
「……うちの信ちゃんにあなたのような友人はおりません、だって」
「……はぁ?」
 わけがわからなかった。
「切られたから頭にきてほっといたら、今度は向こうからかかってきて。今度は妹だって。おにいちゃん――信也が死んだ、明後日葬式をやるって……なんかぐずぐず泣いててあまり聞き取れなかったけど。俺も最初はいたずらだと思ったけど、なんか、これは違うなって」
「なんで、信也が死んだって」
 俺は章人に詳しく説明を求めたが、彼の説明は相変わらず要領を得なかった。ただ、章人の態度を見て、俺は次第に信也の死を確信しはじめていた。認めたくはなかったが、章人がこういうところで嘘をつけるはずもなかった。
「信也はよぉ、皆のことを大好きな振りをして、自分のことは何一つしゃべっていなかったんだよなぁ。本当は、友達だと思われてなかったのかなぁ」
 鼻声でコウタがつぶやいた。
「バカ言うなよ。そんなわけないだろ」
 俺は言ったが、言葉とは裏腹に背中がひやりとした。確かに、思い当たる節があったのだ。俺は茶化しながら吐きすてた。
 灰皿には吸い続けたタバコの残骸が山となってねじりこまれていた。火は完全に消されずに、煙がのろしのように部屋へたちのぼっていた。
「ライブ、どうするんだ?」
 急に現実味のある事が、のしかかってきた。あまりに突然のことに、死という言葉の上っ面をかみ締めるだけで精一杯だった。
 来週のライブのことなんて、遥か遠くの不確かなもののように思えた。

『俺たちを良く知っている人の中には、最近、このバンドがどこかギクシャクしていたことに気づいた人もいると思う。俺たち――特に信也と俺は、進みたい方向がはっきり違ってきていた。そのうちに、一緒にプレイできなくなる予感はしていた。でも、まさか、こんな風に演奏ができなくなるなんて思わなかった』

 信也がこのバンドをやめたいと言い出したのは、突然のことだった。今までそんなそぶりを見せなかったから、俺は当然のように、これからもずっと一緒に音楽をやっていけるんだろう、とそう信じていた。
 このバンドはまだまだマイナーとはいえ、結構な客を集めていた。数ヶ月に一度は行うイベントでは、この箱――ライブハウスを満員にするほどの盛況ぶりだった。
 暗い闇の中で無数の手がうねる。俺は貪欲なそいつらに餌を与えなければならなかった。もっともっと。俺が切り裂くようなシャウトをするほど、奴らのうねりは勢いを増した。
「だって、楽しくないよ」
 信也は俺たちの前で、こう言ってのけたのだった。
「なんていうのかな。最初のころはさ、やりたいことやってた、と思う。オーナーにいっぱい怒られたけどね。でも今は違う。音楽という枠に固まって……まぁお客さんは増えたけど、僕がやりたいのは、それだけじゃない」
 信也はステージの上でお遊びをするのが癖だった。いきなりステージから飛び出して客と一緒に声援を送りだしたり、演奏開始のカウントを入れても、わざと始めなかったり。たまに打ち合わせもなく始めるので、俺たちは大いに慌てたものだった。
 そんな様子が面白い、というファンももちろんいた。しかし俺は、次第に音楽そのもので勝負したいと思い始めていた。
 もちろん彼はいいプレイヤーだった。俺が作った曲にメロディアスなギターのフレーズをつけ、曲はさらに美しく魅力的に輝いた。しかし、才能はあるが向上心がなさそうな。不真面目な。ラフな。それが彼のプレイだった。
 信也が真面目に演奏をしたら、もっともっと上手く、そして人気を博すだろう。俺はそうするように勧めた。しかし彼は、そんなことを望んでいなかった。
「僕は、自分のやりたいことをやる。人気がどうだとか――お前はそれで楽しいのか?」
「俺は――」
 彼の瞳に射抜かれて、言葉が出てこなかった。
 この闇から伸びた無数の手が、俺たちの音楽を求めている。俺たちはそれに応え、さらに光を得る。一歩ずつ、高みへと上っていくのだ。
 それのどこがいけないのだ。信也の考えていることがわからなかった。

『あいつがいなくなっちまって、気づいたんだ。俺、あいつのこと、何にも知らなかったんだなあ、って――』

 信也と出会ったのは、どこのライブハウスだったのだろうか。その小さな箱では、俺たちと同じような無名のバンドが演奏していた。信也はそこのサポートメンバーだった。
 当時、俺はソロで活動していた。一人でしこしこと詩を書き、下手なギターで曲をつけ、いくつかのオーディションを受けて、ようやくステージに上がらせてもらっていた。まだまだワンマンライブを開くほどの実力はなく、対バン――数組のバンドでライブをやったりして、何とかライブをやる道をつないでいた。
「いい声してるねえ」
 出番も終わり、ぽつんと客席からステージを見ているところへ彼は声を掛けてきた。人懐っこそうな笑顔で近づいてきたのが印象的だった。
 彼は、気に入った人間には誰彼構わず声を掛けていた。ライブハウスに出かけると、彼の周りには人だかりができた。そして必ずといっていいほど新しい知り合いを作っていた。信也はそれらを全部覚えていたようだ。
 そんな社交性は俺にはなかったから、初めて声を掛けられたときは驚いて少し腰が引けていた。ステージで演奏されているはずの音はそこに存在しなく、闇の中でもライトがぽっかりと当たっていた。世界の中心にいるような人だ。そう思った。
「ねえ、いつもあんな曲作ってるの?」
 何と答えていいかわからず生返事のようなものをしていたら、そいつはこう言った。
「メロディーはいいのに、アレンジはイマイチだね。ちゃんと楽器をわかっている人が必要だよ」
 初対面だというのに、なんという言い草だろう。自分の曲をけなされてむっとしたのを覚えている。しかし、こいつが言ったのは紛れもない事実だった。単純なコードの繰り返し。だがこの引っ込み思案で新しいメンバーが見つかるものかと半ば諦めていた。
 信也は大きな瞳で俺を見つめ、にかっと笑った。
「そう、例えば、俺なんかどう?」
 そんなわけで、いともあっさりと彼はメンバーになったのだった。そしてその後、信也のとりなしによって、章人やコウタとも出会うことになる。
 信也は時々妙な行動を取る事があり、連絡が取れなくなることはざらだった。と思ったら、何事もなかったようにライブ当日に現れたりして、俺たちをやきもきさせた。
 彼は携帯電話に誰のアドレスも登録していなかった。俺からしてみれば驚くほどの記憶力で、一つ一つボタンをプッシュし、そして電話が終わったら、履歴を消してしまっていた。あいつの携帯電話はいつだってまっさらだったはずだ。自分が誰と関わっていたか、証拠を残したくないみたいに。
「メモリーに頼ってたら記憶力が落ちちゃうだろ」
 なんて茶化しながら。彼は人の番号を簡単に覚えた。俺が番号を教えたときも、歌うように復唱した。
「大丈夫、ばっちり覚えたから。またかける」
 また、信也はちょくちょくライブハウス側と揉め事を起こすことがあった。段取りを無視していきなり客席に飛び降りたり、注意を受けたにも関わらず、備え付けのアンプに上ったりというパフォーマンスをしたためだった。しかし本人に悪気は全くなく、いつも楽しそうだった。ギターからプラグがぶっこ抜けようと、信也は誰より高くステージで飛んだ。
 当時は俺も一緒になってやっていたが、苦労性の章人がオーナーをとりなしているところを見て、ほどほどにしようと思ったのだ。思えばここから俺たちの進む方向性が違ってきたのかもしれない。

『正直に言うよ。俺、今日はライブできないと思った。俺の左側、信也の立ち位置のところがぽっかり空いていて……これで出来るのかって、この一週間、ずっと考えていた』

 住所を聞いたときに嫌な予感はしていたが、気づかないふりをしていた。しかし段々、周りの景色が変わるにつれて、嫌でも現実を突きつけられることになった。近くの小さなパーキングに車を止め、料金の高さに文句を言いながら俺たちは目的地に向かう。一歩一歩、進んでいるのかどうかわからないほど、足取りは重かった。
 信也の実家は都会の一等地に庭付きの家。豪邸というやつだった。
 俺たちは絶句した。
 スーツなんて持っていなかったから、黒っぽいジーンズを履いていったが、俺たちの格好は明らかに周囲から浮いていた。喪服に身を包んだ大人たちの視線が俺たちを鋭く牽制していた。
「――失礼ですが、どちら様でしょうか」
 さざ波のように警戒が伝わったのか、家の中から喪服に身を包んだ女性が立ちはだかった。厳しい顔つきをしているが、どことなく信也に似ていた。
「あの、俺たちは信也の」
「お帰りください」
 有無を言わせない口調に、俺たちは面食らった。俺たちは呼ばれたはずだった。しかし、そこにいる誰もが俺たちを受け付けはしなかった。
 どれだけ食い下がっても相手の頑なな態度は崩れなかった。俺たちは、彼の家の門さえくぐることが出来なかった。悲しさよりも悔しさが先立った。なんでこんな扱いをされなくちゃいけないんだ。俺たちはあいつにとって、なんだったんだ?
 俺たちは来た道をとぼとぼと背中を丸めて歩いていた。誰も何も言葉を発しなかった。
「――ごめんなさい」
 後ろから、小さな声がした。ブレザー姿の女の子だった。ひと目で妹だとわかった。優しそうな顔が、今は涙でぐちゃぐちゃに濡れている。
「私が連絡したの。お兄ちゃんの履歴に一件だけ残ってたから」
 俺たちは妹の話を黙って聞いていた。
 信也の父は、いわばエリート官僚だった。両親は厳格で、彼にも同じ道を歩むことを強制した。無論音楽をやることなど一切認めてなかった。特に母親は顕著で、彼の友人を自分で選別し、悪い影響を受けないようにしていたんだそうだ。
「だからお兄ちゃん、きっとメモリーも残さなかったの。きっとあなたたちに迷惑がかかると思って――ねえ、私の知らないお兄ちゃんの話、聞かせて」
 信也は両親の目をぬってうまく二つの生活を両立させていた。しかし今回、彼は出かけたっきりいつまでたっても帰ってこず、心配した両親が警察に捜索願を出した。その数日後、繁華街の路上にぼろ雑巾のようになって倒れているところを発見されたという。あまりに不遇な最期だった。信也がそこで何をしていたのか、どうして亡くなったのか、俺たちにはわからずじまいだった。警察もきっとわからなかったに違いないと俺は思い込んだ。何しろ、俺たちにすら足跡を残していかなかった奴だからだ。
 練習スタジオに来ても、俺たちは黙っていた。妹の話は、全く俺たちの生き様とは遠いところにあった。優秀な兄。将来を有望視された兄。――信也の笑顔から、そんな面影を見出すのは難しかった。少なくとも俺にとっては、やんちゃな、かけがえのないバンド仲間だった。
「――やめよう」
 俺はその言葉を口にした。ライブは迫っていた。だが喜びも、緊張も、焦りさえも感じはしない。ただ空虚だった。
「こんなんじゃライブ、できねえよ」
 コウタが鼻をすすった。いつもならかっこ悪いぜ、と茶化したりして、そのうちにコウタも落ち着き始めるのだが、今日は誰もそうしなかった。こんな場を和ませる役目はいつも信也だった。
 言葉は、意外な方向から投げられた。
「諦めるのか?」
 信也と一緒に客席に飛び降り、客にもみくちゃにされるのを笑って見ていた章人。後でライブハウスのオーナーに一緒に頭を下げてくれた章人。そんな彼が、初めて強い意思を見せて俺を睨んでいた。
「俺は、諦めない」
 彼の指が力強くベースをはじき出し、今までのどんなステージより静かな、そして意思を秘めた音がスタジオに響き渡った。

『今日、信也はここに来れなかったけど、代わりにギターを持ってきた。……俺はギターが上手くないけど、あいつの音、魂を少しでも感じてくれたら、と思って』
 彼の妹の計らいにより、彼のギターは俺たちのもとへ届けられた。肩から提げているギターは、ライトに照らされて眩しいくらいに輝いていた。
 思わず涙がこぼれ、シャツの袖で拭った。本当は、いつもみたいにひょっこりライブ前に現れるんだろう、なんてどこかで期待していた。やっと、彼がいなくなった現実を目の当たりにしたのだ。
 会場からは励ましの声が上がり、それに隠れるように鼻をすするような音も届いた。
『あいつが死んでから、ずっと考えていた。バカなことをしたり、悪さしたりしたけど、あいつはいつも笑顔でいてくれた。俺はあいつに、何をしてやれたんだろう』
 ステージの下に広がる、スポットライトの当たらない空間。俺たちは、この巨大な闇を引き連れて、飼いならしていかなければならないと思っていた。持てるものを全て吐き出して、こいつらを満足させてやらなければならない、と。でもそれは違ったのだ。
 俺たちだって、こいつらにパワーをもらっていたのだ。光と闇の間にはなんの隔たりも、与えるものも奪うものもなかった。
『ずっと考えてきた。けど、やっぱり俺は、歌うことしかできねぇんだ』
 俺はまっすぐ、闇をにらみつけた。ライトが俺を痛めつけるように光を放つ。涙は消えていた。
『もう辛気臭いのはここまでだ。次は、あいつが作った曲。――皆、最後までついて来い!』
 闇の向こうから歓声が湧き上がる。俺は全てを吸い込んでしまうその闇に、確かな手応えを感じた。皆、俺たちを待っている。
 光と闇が混ざり合い、渦になって。きいん、と、癖のあるギターがうなりを上げていった。





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