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太陽は沈まない 

 日の当たる坂道の途中に、小さな修道院がある。俺は決して信心深い訳ではないが、何故かここへ来てしまう。

 俺はいつものように修道院の前の柵に腰掛ける。
 彼女もまたいつものように洗濯物を手にいっぱい抱え、裏口から現れた。
「ジェイク。どうしたのその顔?」
 俺は待ってましたとばかりに用意した台詞を並べ立てた。
「おお、マリア! 昨日森へ行ってきたら大きな熊が出てきてな、襲われそうになったから慌てて逃げてきたんだよ。その時に引っかかれてさー」
「もう。どうせそのへんの野良猫にでもちょっかいをだしたんでしょう」
 マリアは大げさに天を仰ぐ。
 真っ白い肌、大きな目、ふわっとしたプラチナの髪。困ったような顔もまたチャーミングだ。だが、俺はマリアの笑った顔が何より好きだった。
 俺の頬には真新しい三本線の傷があった。熊に引っかかれたような怪我ではもちろんなかった。


 笑みがわいてくる。傷が痛むが気にしない。
「ははは。ばれたか」
「それくらいはわかります。まったく、ジェイクはどうしてそうなのかしら」
 俺の笑いにつられたように、マリアもくすっと笑う。彼女の笑顔を見るだけで、俺の心は晴れやかになった。
「ちょっとそこで待ってて」
 マリアは家に引っ込み、すぐに木製の箱を持って戻ってきた。
「ちょっと待て。そんな大げさな」
「小さな怪我でも大事に繋がる事もあるの。いいから、じっとして」
 俺は反論できない。彼女は箱を開け、消毒薬とガーゼを取り出した。そしてそっと頬に触れる。されるがままだ。
 彼女の大きな目がぐっと近づいてきた。俺の心臓は不覚にも波打つ。
「いってぇ」
 傷がしみた。
「ちょっとぐらい我慢して」
「ちょっとぐらいって、そういうけどさ。痛いんだって」
 あと少しで触れることも出来そうな近距離での会話。そんな至福ともいう時間を俺はかみしめた。あと、ほんのちょっとの距離がもどかしい。
 ふと、ほぼマリアで占められている俺の視界の端に見覚えのある人影が映った。配達屋のタリスだ。
「お、ジェイク。今日もラブラブだねえ」
「俺はもてるからね。何つーの? 人徳ってやつ?」
「はっはっは。よく言うよ」
 冷やかしてきた友人、タリスに俺は軽口で答える。
 彼はいつも決まった時間にやってくる。そのため、人々はよく彼を見て時間を把握する。今日も太陽が真上に上っている。うん、ぴったりだ。
 タリスは俺の傷の手当てをしているマリアに向き直ると、諭すような口調で言った。
「なあマリア。悪い事は言わないからこいつは止めておけ。他にいい男ならいっぱいいるだろ?」
「ち、違います。そんなんじゃないわ」
「え? ……そうなの?」
 マリアは手を止め、怒っているのか、真っ赤になって答えた。
「違うの? ジェイクー。お前の事だからとっくに口説いたのかと思ってたよ」
「何を言う。お前俺の事を見くびってるな? 俺は女の子だからってほいほい手を出すような奴じゃないさ。マリアみたいなクソ真面目な奴を相手にしたって……って痛い痛い!」
 調子に乗って喋っていたら、当のマリアに耳をぎゅっとつかまれていた。タリスは腹を抱えている。
「うわっはっはっ。本人を前にしてそういう事言うか普通?」
 俺は耳を押さえた。そしていかにもわざとらしく痛そうなふりをした。
「いたた……マリア、痛いよー痛いよー俺死んじゃうよー。手当てして」
 マリアにぺし、とおでこを叩かれた。また地味に痛い。


「俺は昨日、歓楽街でふらふらしてるジェイクを見たんだよ。面白そうだったからしばらく様子を見ていたんだけど。そしたら、花売りの女の子がいっぱい寄ってきたんだよ、あいつに」
「おうおう。仕事ほったらかして何やっているんだか」
「えー、ジェイクが? 何々?」
「そしたらなんとこいつは、その女の子の一人と夜の街に消えていったんだよ!」
 すっかり出来上がっている客たちから歓声が上がった。どちらかというと賛同よりも羨望や嫉妬の声が多いが、しかたがない。なぜならここは酒場なのだから。普段は隠されている本音が顔をのぞかせる。
 俺は隅の席で注文をとりながら、その会話の一部始終を聞いていた。
 ビールを運ぶついでに、俺はそのテーブルでの会話に口を出した。
「いやいや違うんだよ。そうじゃなくって」
「何が違うんだよ。ジェイクの女ったらし」
 弁解しようとするとすぐに野次が飛んでくる。酔っ払いどもめ、と思いながら、悪い気はしない。
「誘ったのは向こうからなんだよ」
「なにぃっ」
 どよめきとともに、ヒュー、とどこからともなく口笛が吹かれる。
「お前じきに刺されるぞー」
 俺は悪くない。と、正当な主張をしたつもりだったのだが、批判の声にかき消されてしまう。
 花売り――つまり自分の体を売って生計を立てている女達のことだ。だから俺は彼女らの生活に貢献していると言いたい。実際ここへ来ている客のほとんどが彼女らにお世話になっているはずだった。
 しかし俺がからかいの対象となるのは、俺がそういった役回りだからだ。それは自分でもよく心得ている。
 薄暗い場末の酒場。皆一日の仕事の疲れを癒しに、ここへとやってくる。そして俺は、そんな奴らに酒と笑いを提供する。皆の笑顔を見るだけで、俺は満足だった。
「エトヴァルト! もう帰るのかい?」
「うむ。母ちゃんが最近うるさいしな。俺ももう深酒は出来んからの」
 カウンターで黙々と飲んでいたきこりのエトヴァルトは俺の親父とそう変わらない年頃のおっさんだ。ビールジョッキを二杯空けた彼は、この喧騒の中、早々と帰り支度を始めた。
「エトヴァルトのおっさんも年食ったなあ。ジョッキ二杯でダウンかあ?」
 そんな野次も飛ぶが彼はおかまいなしだ。
「ああ。俺はもう充分楽しんださ。これ以上飲んだって体に毒なだけだ」
 エトヴァルトから代金を受け取り、つり銭を渡す。彼はそれをピンとはじき返す。そして俺は「まいど」と懐にしまう。いつものやりとりだ。
「じゃあ、また来いよ」
 エドヴァルトを見送り、俺は狭い店を見回した。注文がないようなので、飴色の酒をグラスに注ぎこむ。俺はそのグラスを手に取り、カウンターの女の隣に腰掛けた。ジェイク仕事しろーという野次が飛んでくるが、笑って無視した。ちょっとぐらい休憩させろ。
「やあ。一人?」
 話しかけながら、普通の女ではないな、と感じた。
 化粧が違う。匂いが違う。酒と煙草にまみれた酒場の中で、彼女の香水の匂いが妙にはっきりと俺の鼻腔をくすぐった。彼女は、花売りたちと同じ――。
 彼女は笑みを俺に投げかけた。俺もつられて微笑み返す。
「ええ。あなたを待ってたの。ずっと見てたわ」
「またまたー」
 この手の女はその気にさせるのが上手い。と、そう俺は自分に言い聞かせ、気分よく酒をあおる。
 彼女はふと俺の顔を注視した。長い爪が、薄く頬に触れる。薄暗い酒場では、近づかないとこの程度の傷は見えない。ふわりと、また強い匂いが香る。
「どうしたの? この怪我」
「ああ、これはね。昨日子猫ちゃんに引っかかれたんだよ」
 マリアに言った事とは違うことを口にした。酒のせいか少々ろれつが怪しくなっている。視線がうまく定まらない。かっこつけてみたけれど、やっぱり俺には強すぎたようだ。
「子猫ちゃん? それってもしかして、人の言葉を喋るのかしら?」
「うふふふ。さあねー」
 彼女は話をしている間、俺をじっと見つめていた。そしてこう切り出した。怪しげな黒い瞳が俺を吸い込んでゆく。
「やっぱり、あなたって面白い人ね。この後、遊びに行かない?」
「……ああ。もちろん」
 ちらっと、マリアの顔が浮かばないでもなかったが、俺はすぐそれを振り切った。こんなチャンスがあるのに楽しまないでどうするのだ。だいぶ酔いが回ってきたようだ。


「ジェイク。……こう言うのは何だけど、私、ジェイクが酒場で働いている事が心配なの。そんな、悪い仕事だなんて言ってるんじゃなくて……ほら、ジェイクはお酒も弱いし、それに酒場には悪い人も来るでしょう?」
 いつものように俺は修道院の前で暇をつぶしていた。洗濯物を干し終えたマリアが珍しく決然とした顔で俺の前に現れたときは、昨日の出来事がばれたかと思ってひやひやしたが、そうではないようだった。
 マリアの言っている事はわかった。だが俺は素直にそれに賛同する事は出来なかった。酒場で働く事は俺の天職みたいなもんだと俺は思いこんでいた。皆を喜ばせて、笑わせて、いい気分にさせるていれば俺は幸せなのだ。
「大丈夫だよ。俺は強いからねー。柄の悪い男にからまれたら、とっとと逃げる! これ鉄則ね。ははは」
 俺はいつものように軽口を叩いてみたが、マリアの顔は晴れない。
「……そういうことじゃなくて」
 言いたい事ははっきり言うマリアがもぞもぞと口ごもっているのを見て、さすがに様子がおかしいと俺は気付いた。
「ん? どうした」
「その、柄の悪い男の方じゃなくて、女の方よ」
 俺は血の気が引くのを感じた。
 いや、気付かないほうがおかしい。俺の悪名は町中に知れ渡っている、といっても過言ではない。なにせ俺には知り合いが多く、俺自身がそいつらに吹聴しているくらいだからだ。
 しかしマリアは少々俗世間から離れているところもあってか、そういう情報には疎い。彼女と顔をあわせるのは配達員のタリスや、修道院に住む司祭様、信心深い年寄り、何も知らない子供達ぐらいだ。だからそんな噂が知られることはないと思っていた。
 だが、マリアが心配していたのは別の事だった。
「ジェイクが悪い女に誘惑されると思うと、私、心配で」
 俺の片眉がつりあがった。マリアは目を伏せたままで気付かない。
「どういうこと?」
 彼女は俺の潔白を信じていた。俺は少し腹が立った。マリアは何も知らないのに。花売りがどんなに必死で生活しているのかを。
 からかってみたらどうなるだろう。ほんのちょっとだけ。彼女はどんな風に思うだろうか。
 俺は、マリアには見せていない「悪い冗談」に手を出した。
「マリア。俺がそんな女にたぶらかされるわけがないじゃないか」
 マリアは見るからに安心した顔をした。それに構わず俺は続ける。
「たぶらかされているんじゃなくて、奉仕してあげてるんだよ。マリアも言ってたじゃないか。人が生きていくためには、助け合いの精神が必要、だったっけ? これも立派な助け合い! なんつって」
 マリアの目の色が変わっていくのを俺は直視しないようにしながら言い切った。
「……冗談でしょ?」
 マリアのかすれるような呟きを俺は聞いた。
 重い空気を振り切るように、俺はまくし立てた。次から次へと言葉があふれ出てくる。
「マリアは俺が毎晩何をしているか知らないんだろ。繁華街じゃあ俺はもてもてなんだからさ。女の子が向こうから寄って来るんだよ。今じゃ大抵の子は顔見知りなんだけどね、まぁ断るのも悪いかなーと思ってだいたいは」
 台詞を言い終える前に、乾いた音が空に響いた。
 頬のひりひり痛む感触に半ば呆然としながら、俺はマリアの目からこぼれ落ちる水を眺めていた。ああ。何だっけな、これは。
「ひどい。そんな嘘はつかないと思っていたのに」
 俺の喉から、乾いた笑いが漏れた。
「あは。あははははははは……」
 声は次第に大きくなっていった。誰が喋っているのだろう? これは俺じゃない。俺はにこやかにいつもの文句を繰り出す。笑っているのは誰だ。俺じゃない。頭の中はからっぽだ。
「ごめんごめん、冗談だよ。こんな嘘にひっかかるなんてマリアもまだまだだなあー……」
「もう知らない」
 小さくなったマリアの背中を見つめながら、俺は相変わらず意味不明な笑みを張り付かせていた。
「何をそんなに怒っているんだあ?」
 俺はあくまで軽口を叩く。顔とは裏腹に、心は重く渦を巻いていた。

「ジェイク! 今日もご機嫌かい?」
 呑気なタリスの声が聞こえた。俺は顔を上げる。俺の顔を見てタリスは声を落とした。
「……でもないみたいだな。あれ、マリアはどうした?」
 俺は無理やり笑顔を作った。自分の心に嘘をつく。
「おうタリス。実はな、マリアの奴、俺に気があったみたいだから押し倒そうとしたら思いっきり引っぱたかれちまったよ。もう痛いの何のって」
「おいおい嘘だろー。お前ホント馬鹿だな」
 俺は相変わらず軽口を叩く。俺のジョークでタリスは馬鹿笑いしていた。
 俺の心の中は晴れない。


(了)




 エイプリルフールを元に作ったネタ。
 2005.04.24   瑞沢
(2009.10.25改稿)

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