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20.休息
犯罪者は自分が何かをやらかした現場に必ず戻ってくるものだ、と古い小説か何かに書いてあった。そんな言葉をふと思い出し、ハヤトは苦笑した。それはまるで自分自身のようであった。
「どこへ行くの」
「ちょっと息抜き」
疲れきった顔のキヌエに睨みつけられ、ハヤトは軽く手を振って答える。
例のごとく、山へ行くのに決まっている。彼女もそれはわかりきっているはずだ。
自分が起こしたというわけではないが、この一連の出来事に関わった者として、その後の影響がやはり気になるのである。
そして、そのついでに左腕を何とかしてもらおうと、ムラサキのクリニックに寄るつもりだった。未だに腕は故障したまま、反応がない。調べるにしても、自分では外すことも出来ない。どんな罵倒をされるのだろうか。やや気が重いが、仕方がない。
「今度また変なものを拾ってきたら承知しないからね」
「はーい」
家の中にもまだまだ問題は山積している。電力は停止したまま。ハヤトの仕事用工具も依然故障中だし、もちろんフウカを直してやることも出来ない。後は犬猫たちの義肢のパーツ交換もしたかった。ハヤトが診たところ、不調ではあるが、致命的なダメージは受けていない。だが、工具は動かないし部品が今すぐ揃うわけでもない。それらを一時的に放置してしまうことにちょっと引け目を感じながら、キヌエの文句を聞き流して家を出た。
ぶらりといつもの散歩コースへ行くと、山の形が変わっていた。
ぽっかりと空いていたはずの裂け目が見事にひしゃげ、その自重で山自体が少し低くつぶれてしまったようだった。
ハヤトは呆然と立ち尽くした。
「なんだこりゃあ……」
ハヤトはいつもの男を捕まえた。彼はのんきに鼻唄を歌いながら、変わらずその場所に店を出していた。
「おいちゃん。この有様はなんだい」
「おう、あんたかね。なんでも、誰かが磁場装置か何かを動かしたじゃないだか、ちゅうてね。えらい目に遭っただよ」
おいちゃんは命からがら逃げ出したそうで、そのときの様子を語ってくれた。
明け方、この巨大な山が青白い光を帯びたかと思うと、動き出したんだそうだ。しばらくすると収まったそうなので、まあ電力切れを起こしたんじゃないか、とおいちゃんは笑った。
それは磁場装置じゃないんじゃないかとハヤトは思ったが、さすがに黙っておいた。恐らくフウカの力によりこの山は動き出し、そして彼女が破壊されたことによってまた停止したのだ。
この山全体が動いていた様など、想像したくはない。そんな光景を見なくてよかったと、ハヤトは心からそう思った。
最初拾ったときは想像もつかなかったけれど、フウカはすさまじい力を持った兵器だったのだ。何故、これが作られて、そしてこんな不用意に廃棄されたのか。ハヤトは思考に入りかけて、そして放棄した。ここはそういうものを捨てる山なのだ。そうならば、受け入れるしかない。ここでどんなものを引き当てようと、それはそいつの責任であって、運が悪かったとしかいいようがないのだ。
「で、今日はどうするだね。登ればきっと新しいもんが見っかるでよ」
「いや、やめとくよ」
さすがに、今回だけはキヌエの言葉に従うことにした。
「珍しいこともあるもんだで」
「うちのかみさんがやっかましいんだよー。がらくたを拾ってくるな、って」
おいちゃんとひとしきり笑った後、ハヤトはこう言った。
「で、俺の壊れた左腕の代わりになりそうなものってないかな?」
クリニックには休診中、の札がかかっていた。
恐らくこのクリニックに用があるのであろう、屈強な男たちが数人ほど立ち往生している。ハヤトは彼らをちらりと見て、気にせずドアを引いた。鍵はかかっていなかった。ピンクのドアは相変わらず立て付けが悪く、すんなり、とは行かなかったものの、なんとか扉が開く。
そこにはぐったりしたシラユリと、まるで爆発してしまったようなムラサキがいた。
「なんだ、どうしたハヤト=アカサカ! 今忙しいんだ、出てってくれ」
理不尽だと、ハヤトは思った。
ハヤトの忙しいという言葉は聞き入れられたことがないというのに、だ。彼は自分さえ良ければ全て良しと思っている人種だと、改めて思い知らされた。
事態を薄々感づきながらも、ハヤトは尋ねた。
「何が起こったんだ」
「機器が全く使い物にならん。これでは手術など不可能だ!」
彼は頭をかきむしる。頭の爆発の度合いが増した。
「これからどうしたらいいのかしら〜……」
まるで呪いを吐き出すようなシラユリの低い呟きを耳にして、ハヤトは内心ひやりとする。自分の責任、とは思いたくないが、これに関与していることが知れたら、彼らはどういう反応をするだろうか。
動揺を抑えつつしばらく彼らの様子を見ていたが、右往左往するばかり。彼らもまたこんな事態に対応しきれず、パニック状態であった。とにかく、何とかしなければ。というより話が進まない。
ハヤトの頭に一つの妙案が浮かんだ。それは、一つの賭けでもあった。
「……俺、知ってるよ」
とたんに、二人の注目を集めることに成功した。さて、難しいのはここからだ。ムラサキ相手に交渉を有利に運べたことが、彼には一度もない。だが、勝機はあった。なにしろ彼は憔悴している。
「何だと、それはどういうことだ」
胸倉をつかみ掛かろうとするムラサキを、ハヤトは何とか避けた。ほっとしたところへ、さらに彼の非情な援護指令が下る。
「おい! シラユリ、アカサカを捕まえろ。挟み撃ちするんだ」
「はいセンセ!」
さすがに二対一ではかなうわけがない。ハヤト一人で二人の男――正確には男とオカマを相手に乱闘だなんて、どう考えても勝ち目がなかった。
「ちょちょちょ、ちょっと待って! それには一つ条件が、あるんだから」
なんとかこの言葉を言い終えたことによって、ムラサキはともかくシラユリの動きが止まった。とりあえず一対一になったことで、ハヤトはやや気を緩める。
ムラサキは尊大な態度を取り戻しつつあった。
「何だ。聞いてやらんこともない」
「アタシに出来ることなら何でもするわよ。ハヤトさんの愛人ならいつでも歓迎だけど」
「いや、そういうのはいいや……」
今にも脱ぎださんばかりのシラユリをなんとか押さえ込めて、ハヤトはムラサキに向き直った。
「この左腕を直してほしいんだけど」
とりあえずこの言葉はムラサキに届いたようで、彼は動きを止める。とにかく、交渉のテーブルに着くことには成功したようだった。彼はしばらく考え込んでいた。
ようやくムラサキからまともな返答がくると期待したが、それはにべもない言葉であった。
「いや、無理だな。機器が直ったら直してやることは出来るだろうが、今の段階では全く持って不可能だ」
「ええー……」
せめて役に立たない部分が外れないか、とハヤトは懇願した。
「頼むよ。俺、片手じゃ外せないんだよ」
「うむ。じゃあシラユリ、ハヤトの体を固定しろ。そして俺がお前の腕を全力で引っ張る。なぁに多少痛い思いはするが外せるぜ、ただし肩ごとな」
「そういう悪い冗談はよしてくれ」
「ふん。他に方法があるのか」
確かにクリニック中の全ての医療機器が故障しているのであれば、人力に頼るしかない。他に方法と言えば、電力を必要としないほどのシンプルな工具で、一つ一つ外していくしかない。
「いや、待てよ」
すうっとムラサキの目が細くなる。嫌な兆候だった。
「情報に疎いお前がこの障害について知っている。ということは、つまりお前がこれに何らかの関与がある、と見て取ったほうが自然、だな。そうだ。そうに違いない」
「うわ」
ムラサキは高らかに笑った。目の色を変えたシラユリがハヤトに詰め寄る。
「え〜っ!? そうなの? ハヤトさん……オイ、舐めた真似してっと絞めんぞコラ」
後半は耳元で低く囁く。もはや脅しだった。初めてシラユリの怖さを知った気がした。
この界隈では高額な医療費を払わずに武器を振り回し、逃亡を図ろうとする輩がいるそうだが、このクリニックはそういう赤字が出ないことで有名だった。これでは確かに払わざるを得ない。
「ちち違うよ……俺は巻き込まれただけで」
抵抗の声もむなしく、そのままシラユリに組み敷かれる。力を活かしたやや強引な関節技に、思わず苦痛の声が漏れた。くどい香水が鼻に香り、シラユリのやや高い体温が肌に伝わってくる。荒い呼吸が耳元で聞こえる。嬉しくもない。
同じ寝技を受けるなら、キヌエのほうがずっといい。そう思った。
「さあ、吐きなさい?」
「さあ、吐け」
もう言い訳は通じないな、ということが今までの経験からわかっていた。あんなに有利な位置にいたはずなのに、どうして形勢が逆転したのだろうか? もはやハヤトは笑うしかなかった。
「……わかった。わかったよ」
とにかく手を放してくれ、とハヤトは訴えた。とても残念そうなシラユリから解き放たれ、よろよろと立ち上がる。
「話せば長くなる」
「いいだろう。お前の奢りで飯でも食ってやる」
ハヤトは露骨に嫌な顔をした。そんな金など持ち合わせてもいない。第一、本当に良く食うのだ、この男は。
「……俺んちにしようか」
そう言って、ハヤトはそそくさとガスマスクをかぶる。またキヌエは嫌な顔をするだろうか。
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