4.わたしとかぴばらとさけとなみだとおとことおんな




「……へ?」
 わたしはすっとんきょうな声をあげた。
「もう一回。もう一回言って? よく聞こえなかった」
「……だーかーら」
 目の前の男は落ち着いていた。どちらかというと、冷めている。それがまたわたしをいらいらさせる。
「俺、結婚するんだ」
 バン。
 わたしは我慢できずに拳をテーブルに叩きつけた。かわいらしいコーヒーカップががしゃんと大きな音を立て、コーヒーが少しこぼれる。周囲の人の目も気にしない。
「なんで……なんでよ!」
「なんで、って言われても」
 男は苦笑する。それがまた鼻につく。まるで見下されているみたいじゃない。
 周囲からのひそひそ話が聞こえる。別れ話と思われているのかもしれない。でもそれは違う。
「なんで、私よりあんたが先に結婚しちゃうの!」
 それはホンネだった。わたしの魂の叫びだった。
 だって、姉より弟が先に結婚するだなんて……悔しいじゃない。順序的にも、親の視線的にも。世間体的にも。
 今は周りの視線が痛かった。我に返り、大人しく座りなおす。家じゃなく、ファミレスに呼び出された理由がわかった気がする。
 そう、目の前にいる男、というのは弟。大事な話があると聞いて、薄々感づいてはいたけれど。あえて気づかないようにしてたのだ。認めたくなかったから。
 弟はクールにアイスコーヒーなんてものをすすっていた。昔はドリンクバーにあるもの全種類混ぜて飲んでたあの弟が。
「ねーちゃんがさっさと結婚しないからだろ。あれ? カレシいたんだっけ?」
 一言一言がむかつく。同級生の八重子とは違う、家族だからこその遠慮のなさ。
「かーちゃんが泣いてるぞ」
「うるさい! わたしの人生はわたしのものよ!」
 なんという強がり。自分で言ってて、これほどむなしいものはなかった。そう、自分の人生は自分のもの。けれど、結婚は一人じゃ出来ない。
 カバンをちらりと見ると、隙間からジョニーが首をかしげた。ような気がする。


 気を取り直して。
「相手は誰なの? まさか……あいつじゃないでしょうね」
「そう」
 弟はこっくりうなずいた。
 と同時に、わたしの後ろから大きな声がかけられた。
「久しぶりね! みちる先輩……いいえ、お義姉さま!」
 振り向くと、想像通りの顔がそこにあった。忘れもしない。中学、高校と部活の後輩だった亜季。後輩の面々の中でもリーダー格で……ようするに気に食わない女。付き合っているのを知ったとき、わたしは猛反対したものだけれど、まさかまだ付き合いを続けていたなんて。
「なんであんなのと……」
「そう言うと思ったよ」
 わたしが顔をしかめて小声で言うと、弟は椅子にもたれかかった。その余裕がむかつく。
 改めて弟から彼女を紹介された。むかつくけど、不承不承挨拶する。
「まあ、あんな姉だけど気にしないで」
「うん。全然大丈夫」
 と、亜季はけろっとしている。そして弟の隣へ座った。悔しいけれど、その振る舞いはとても自然だった。わたしはため息をついた。まるでこっちが悪者だ。
「あんたいくつだっけ? 結婚なんて、まだ早いんじゃないの」
「そうは言っても、もう六年目だし、俺たちも大人になったし。いい頃かな、って」
 目の前の男が、やけに大人びて見える。昔はこんなんじゃなかったのに。
 ハナをたらして、よくわたしにくっついて回って、よく泣いて。それがわたしの弟像だった。その弟はもうどこかにいってしまったのだ。今目の前にいる男は……弟の面影を残した、大人の男だった。
 仕方ないけれど、認めざるを得ない。
「そう……おめでとう」
「ねーちゃん、顔が怖い」
 うるさい。そうは言っても、素直に祝福することなんて出来るわけがないじゃない。
 わたしはむすっとしたまま、弟と彼女が談笑しているのをフクザツな気持ちで見ていた。

「……いいもん。わたしにはジョニーがいるもの」
 わたしはこれ見よがしにつぶやいた。
「ジョニー? え、ねーちゃんのカレシってガイジンなん?」
「ううん。そんなんじゃないけど、強いて言うなら……大切な存在? かな」
 わたしはにんまり笑う。もちろん、ジョニーとはかぴばらのジョニー。ただのはったり。でも、はったりでも弟たちに感心されたのなら、それでよかった。ちょっとした優越感。
 そこに、彼女が話しに割り込んだ。
「そう言えば、私にも大事な子がいるんだー」
「おいおい」
 亜季が話の主導権を奪っていった。つくづく空気の読めない子だ。興味はなかったけれど、弟がそれに乗っかるから、自然と話はそっちに流れていく。
「ふっふっふ。実はね、今ここに連れて来てるの」
 あれっ。
 なんだか妙に引っかかるものがあった。ここに連れて来れるぐらい小さくて、大事な子。いや、でも。まさか。
 そんなわたしの葛藤をよそに、亜季が不敵な笑みを浮かべ、ごそごそとカバンから何かを取り出した。
「じゃじゃーん」
「そ……それはっ! ホワイトかぴばら!」
 わたしは思わず椅子から立ち上がった。ジョニーもつられてぴょこりと顔を出す。
 それは白いかぴばらだった。うちのジョニーはオレンジ色だけれど、このかぴばらは真っ白で、ぽわぽわしていた。亜季の手の上でおめめをぱちくりさせて、にこっと笑った、ような気がした。りんごのおもちゃがお気に入りなのだろう、がじがじとかじりついたりして遊んでいる。悔しいけど、かわいかった。
「彼女、かぴばらにはまっててさー」
「いいえ、わたしの方がはまってるんだから!」
 聞き捨てならなかった。わたしのほうが、ずっと、ずっとずーっとかぴばらを深く愛でているんだから。絶対に負けたくない。
 わたしはカバンからジョニーを取り出した。もふっとする手触り、相変わらず柔らかくて気持ちいい。
「これがうちのジョニーよ」
「なんだジョニーってかぴばらかよ……」という弟のツッコミはもはや誰も聞いてない。わたしたちはばちばちと火花を散らしていた。
 亜季はうちのジョニーを見るなり、ふふっと鼻で笑った。
「あらー、どおりで年季の入ったかぴばらですね、お義姉さま。うちのゆきちゃんは綺麗好きだから」
 かちーん。
 あったまにきた。確かにうちのジョニーは飼い出してから随分たつし、ちょっと毛並みも若い頃のようにキレイとは言えない。けれどそんなことは関係ない。うちのジョニーを馬鹿にするなんて、ぜったいに許せない。
「なによっ。うちのジョニーのほうが出迎えてもくれるし、呼ぶと返事もするし、ずっとかわいいし賢いのよ!」
「うちのゆきちゃんには芸なんてさせないわよ。高貴なホワイト種ですもの!」
 そんな飼い主たちの醜い争いをよそに、ジョニーはゆきの匂いをくんくんとかぎ、いつの間にか二匹仲良く寄り添っていたのだった。




今日のかぴばら。

( ^・ェ) 。0(なかよし?)







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