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ひだまりの道化師

the Clown of Suntrap


ひとりぼっちのクラウン  1



 人は愛され、望まれて生まれてくるのだと吟遊詩人は歌う。
 男と女、ただ二人が愛し合って、そして嬰児(みどりご)はこの世に生を受けるのだ、と。
「嘘だ」
 その歌が、妙に癇に障る。神経を逆撫でする。理由はわかっていた。わかりきっていた。
 少年は石を投げつけた。吟遊詩人は悲鳴を上げ、歌は止まる。その歌に聞きほれていた観衆がざわつきだす前に彼は駆け出した。
 あの歌がいけないのだ。
 全ての人は愛されて生まれてくる、そんなはずがなかった。だったら自分はこんな人生を送っていない。家も食べ物もなく、他人から食べ物や金を拝借する生活など送ってはいないはずなのだ。理不尽な暴力にさらされることもないはずなのだ。



        



 コールド領クリエの路地裏ではぼろを着た子供たちがたむろしている。
 彼らはスリや盗みを繰り返していた。彼らの言い分はこうだ。少なくとも殺人はしないし、本当に困窮したときにちょっと拝借するだけ。返す当てなんてあるわけがないが、あくまでもそんな大義名分を主張していた。
 むろん、そんな言い分が町の人たちに通るわけがない。だが、親もいない、住むところもない彼らに同情する者もいないわけではなかった。施しを与えてくれたり、「拝借する」際に時々目をつぶってくれたりして、その隙に子供たちは食料を手に入れたりして生きていた。だが、少年たちが調子に乗って我も我もと主張し始めると、大人は施しを止めてしまった。望むもの全部を与えてやれるほど、町の人も余裕があるわけではない。
「あーあ。面白いことねぇかな」
 道端に座り込んで、頬に傷持つ少年スカーがつぶやく。
「最近はどこもだめだ。近づいただけで追い払われるし」
 こうして彼らは自発的に動く気力もなく、日がな一日、ぼんやりと路地裏でたむろしているのである。通りがかった誰かが金貨やパンを施してくれることを期待して。
「おいチビ、なんか面白いことねぇか」
 スカーに話を振られ、チビと呼ばれた少年は答えた。
 彼はチビとかチビスケとか、おざなりな名前で呼ばれていた。同じような境遇の子供の中でも、背は小さいが負けん気は人一倍強かった。父親譲りの鋭い目つき、だが彼はそれを知らない。
「そういえば、町はずれに立派なサーカス小屋が立ってたぞ! あれなんかどうだ」
 彼はきらきらとした瞳で言った。しょぼくれたクリエの路地裏しか知らない彼にとって、あんなきらびやかなものを見たのは初めてだった。
「は? 本気か?」
「おいチビスケ。あんな芸小屋は実入りが少ない」
 仲間内から一斉に反論を浴び、チビスケは言う。
「だって面白そうだろ? それにサーカスの人たちはすっごいキラキラした服を着てたぞ! 大金持ちに違いない」
 仲間内で爆笑が起こった。
「ちっ、ガキが」
「いいかチビスケ。あいつらの持っているものは所詮まやかしだ。偽物なんだよ。あんなの狙ったところで、一銭にもなりゃしない」
「おい、今ガキって言ったのは誰だ!」
 チビスケはガキとののしられ文句を言ったが、誰も相手にしない。ただ笑い声が響くだけ。
 だが、スカーばかりは話を黙って聞いていた。そして一言。
「ふうん。面白そうじゃねえか」
 チビを囃し立てていた声が、ざわざわした困惑に変わる。スカーはこの中でも影響力のある男だった。
「スカー、まじで言ってんのか」
「いや、確かに一理ある。あいつらは今流れついたばかりで俺たちのことを知らない。カモだ。それに、どうせよそ者だ。後腐れがない」
 スカーが奇妙に顔をゆがめる。どうやら笑っているようだった。
「ま、しょうがねえな」
 続いて青い瞳の少年、ブルーが諦めたようにため息をつく。ここまで行ってしまえば、主張が通ったも同然であった。
「じゃ、今日の日没後。あいつから奪ってやろう。盗れるもの、何もかもだ」
 それから少年たちは、ばらばらと町はずれまで歩いた。町の外れの大きなテント。ブルーはそれを指し示した。他の街から流れ着いた、それはそれは立派なサーカス団であった。少年たちは互いに目配せする。
 色とりどりの垂れ幕に周りを飾り立てる旗。猥雑な空気。人々の歓喜の声。そこでは日夜驚きと興奮がひしめいていた。こんな大きな獲物なら、不足はない。
 チビスケはぎゅっと身を震わせた。この町へたどり着いたばかりの頃から目をつけていたのである。いや、目を奪われていた、といった方が正しいのかもしれない。自らがたどり着けそうにない、あのまばゆい世界に。


 夜も更けてから、彼らはサーカス小屋に忍び込んだ。
「見ろよ」
 天幕からもれる月明かりだけが頼りだった。宴の後の猥雑な残り香が、まだそこここに残されていた。獣の檻では大きな獣が横たわり、様々な小道具が乱雑に放置され、脱ぎ捨てられた派手な衣装が転がっている。
「チビ? おい、どうした」
 ブルーは金目の物を手にしながら、不審そうに彼を見た。ただし収穫については今一つだったらしく、顔をしかめざるを得ない。やはり芸小屋は貧乏だと相場が決まっている。
「……スゲーな」
 チビスケはしばしぼんやりと立ち尽くしていた。見とれていたのだ。今まで彼が出合ったことのない、色とりどりで、刺激的な、美しい世界に。
 物心ついたころから、ずっと路上で暮らしてきた。ずっと人々から物を拝借し、時には見つかり、殴られたりする生活。そんな彼にこのサーカス小屋は、とてもまぶしく見えたのだ。
 どれもこれもが、金目かどうかでなんて測れるわけがない。まるで夢の世界にいるようだった。太陽の光を浴び続けてほんのり痛みかけた、色とりどりの旗でさえも。
 もっと見てみたい。この色とりどりの世界を。そう思い、彼は不用意に舞台の上に近づいた。それが命取りとなることを知らずに。
 舞台の上にいる人の陰を目の端にとらえた。
「誰なの!?」
 女の声が響き渡った。舞台には女が残っていたのだ。我に返るが、もう遅い。
「やべっ」
 チビスケは心の中で舌打ちする。こんな失態は久しぶりだった。
 動揺は仲間内にもさざ波のように伝わっていく。悲鳴が聞こえてからの彼らの行動は迅速であった。逃走すると見せかけて方々に散らばり、金目の物は懐に入れていく。いやでも身体に染みついていた。猛獣は檻の中だ、手を出すことも出来ずにただ唸っている。
 チビスケは額の汗をぬぐう。見つかったのは女一人、このままずらかってしまえば大したことなどない。――ないはずだった。
「誰? 誰かいるの?」
「どうしたマリアンヌ、私だ」
 遠くから低い男の声が聞こえてきた。
「座長さん? さっきから何か妙な気配が――」
「ふうん。鼠かな」
 そのような会話を耳の端にとらえながら、ポケットに金目のものをつめこんでいく。あと少しだけ、と欲が出る。派手な首飾りを手にかけたところで、ガチャリ、と金属の音が響き、はっとした。
「そこか」
 音に反応して、何者かが立ちふさがった。背は高く、すらりと気取ったような立ち姿。洒落た格好の衣装。手には洒落たステッキ。出口を背に、月明かりにシルエットのみが浮かんでいる。
 こちらの姿は見えないはずだった。チビスケは暗闇の中、息を殺して一人静かに様子を窺う。
 相手は「おやおや」と、慌てた様子もなく、あくびをひとつ噛み殺したように見えた。それが、少年をいらつかせた。
 チビスケは暗闇の中でじりじりと焦りを募らせていた。仲間は脱出したのだろうか? 自分はどうすればいいのだろうか? このまま男とにらみ合いを続けて、この場から逃げ出すことができるのだろうか。
 やがて、しびれを切らしたのはチビスケの方だった。彼はテントの中の暗闇から飛び出し、男に真っすぐに向かっていった。
 素早さには自信があった。ましてや素行の悪い物盗りなのだ。並みの者なら恐怖を覚えるだろう。止められるわけがない。
 ただ、チビスケは男の力を見くびりすぎていた。彼は常人というにはいささか並外れていたのだ。
 男はおびえることもなく、動じることもなく、ただ静かにたたずんでいた。
 なにか変だ。ちら、と不安が襲うが後の祭り。
「なるほど」
 言うが早いか、男はステッキを突き出した。それはチビスケのみぞおちに直撃した。
 ぐえっ、と蛙の鳴くような声しか出せなかった。もう一歩も動けるはずがない。口から液体をまき散らしながら、少年は悶絶してうずくまった。
 そうして少年チビスケは捕まったのである。


 チビスケはテントの中で吊るされていた。口の周りは吐き出したものでべとべとだが、手が縛られていて拭くこともできない。
「やあ。気分はどうだ。ハングドマン君」
 ランプの薄明かりに照らし出される、黒ずくめの気障な男。それが第一印象だった。タキシードに、シルクハット。象牙のステッキ。気障な言葉使いに振る舞い。いちいち芝居がかっている。彼の後ろにはおびえたようにサーカスの女が様子をうかがっている。
 こんな状況で気分も何もあるものか。少年は彼をにらみつけた。
「そんな顔をする元気はあるようだな」
「おい、放せよ!」
 女は小さく悲鳴をあげる。少年の大声にも怯むことなく、サーカスの男は言葉を紡ぐ。
「君は――君たちは、私たちの大事な仕事道具を盗んで行った。君の盗ったものは返してもらったが、君の仲間たちが盗んで行ったものを返してもらいたいんだがね」
「知らねぇな」
 チビスケは舌を出した。仲間はうまく逃げ出したようだ。あとは自分が逃げ出すだけ。
「そうか」と男は言うや否や、ステッキを打ち込んだのと同じ場所に踵が打ち込まれる。たまらずチビスケは蛙がつぶれたような声をあげ、口から液体をまき散らす。
「私は座長のピエール。君の名は?」
 チビスケは吐瀉物を口から垂らして苦しんだまま答えない。額にステッキをぐいと突き付けられて、顔をしかめながら「言わねぇ」とだけ答えた。チビスケなどという適当な名前で呼ばれているのを知られるのが嫌だったからだ。
「ふうん」
 苦しそうな呼吸が、ようやく整い始める。
「おっさん、わかってるだろ。そんなの返ってくるわけがねぇ」
「返してもらえないとあれば、君を開放するわけにはいかないのだがね、ハングドマン君」
 さっきから妙なあだ名をつけられて、チビスケはいらだっていた。
「君は人質だ。もちろん仕事道具を返してくれれば解放する用意はある。さて、返しにくるかな? それとも仲間奪還に来るかな」
「来ねえよ。来るわけがねえ」
「そうか。そいつぁ残念だ」
 さも残念そうに男は言った。あまりにわざとらしすぎて、楽しんでいるのかと思ったほどだった。



 翌日、サーカス小屋の横には妙なものが立てられていた。
 その楽しげなサーカスの中でひときわ異質なもの。それは木の棒にくくりつけられた少年であった。
 背は小さく、やせっぽちで、みすぼらしい身なりの少年。まだ子供といえるかもしれない。ずいぶん汚れているからと、ベージュ一色のまるで囚人のような格好に着替えさせられていた。こっちの方が幾分かまともに見えるのだから皮肉なものだ。
 その横にはご丁寧に「この者、サーカスのテント内で盗みを働いた者なり」などと看板まで立てられていた。通りがかる人々は驚きや憐みといった様々な反応を見せていく。
「見世物じゃねえんだぞ!」
 と少年は恫喝したが、誰もが見世物だと思うだろう。逆に笑いが起こる始末であった。
 少年は思いつく限りの罵詈雑言を並べていく。だが、サーカスの前という立地的にその恫喝は無意味であった。むしろ本当に見世物だと誤解する人までいた。
 チビスケはこんなところに盗みを働きに来たことを後悔しはじめていた。一時の気の迷い、ただ蛾や羽虫が明かりに吸い寄せられていくように、彼もまたサーカスというまぶしさに吸い寄せられてきただけなのだ。そして火に飛び込む羽虫のように、その身を焼かれようとしている。
 仲間は助けには来なかった。
 そりゃそうだ。人質になった時点で少年の価値はもう、切り落とされた尻尾でしかないのだ。
 しかも、すばしこい少年があっけなく捕獲されてしまうほどの手練が目の前にいるのだ。もう奇襲は出来ない。そんな危険を冒してまで少年を救出する利点がどこにあるというのだろう。
 自分一人がいなくたって、誰も困りはしないのだ。所詮、家もなく親もいないというだけで繋がっていただけ。ただ、互いの利益が一致していたからこそ群れていた。それだけのことだ。
 一般人に紛れた格好の座長ピエールが、わざとらしくため息をつく。似合っていない、とチビスケは思う。うまく変装しているつもりなのだろうが、すらりとして平服を身にまとっても垢抜けた雰囲気を醸し出す男がこの町にいるわけがない。どこからどう見ても彼は生まれついての芸人であった。
「うーむ、来ないな。君たちのような集団は情に厚いと思っていたのだがね」
 それが少年チビスケの反感を煽るとも知らずに。むしろ煽られたようにしか思えない。
「ああ? どういう意味だ」
 彼らは情に薄いともとれる発言だった。あるいは利用価値がない、とも。チビスケが頭の中で考えていたことと同じだが、彼には言われたくない。
「さて、ハングドマン君。このまま仲間が来なかったとしたら、無罪放免で釈放というわけにはいかない。ぼこぼこにして放すというのも面白みがない。――そこで、だ」
 黒ずくめの男は笑った。諧謔を含んだ仮面を彷彿とさせるような笑みであった。
「今日の興行で特別ショーをやろうと思う。縄でつながれたその状態のまま私の投げナイフを避けきったら君の勝ち、だ。当たったら……酷い怪我にはならないように投げるから大丈夫だろ」
「なっ!? おい、ふざけんな!!」
 それは賭けではなく、暴力的な通告であった。ルールは既に破綻している。だが少年には抗う術などない。
「さっき君の切った啖呵、なかなか受けていたじゃないか。君、素質があるんじゃないか」
 男は愉快そうに火に油を注いでいく。笑いをとろうとして口走ったのではないことぐらい、男もわかっていたはずだ。サーカスに向いているなんて思ったこともなかった。身を売って生計を立てるより、奪う側にいたのだ。
 座長は平服を脱ぎ捨てた。その下からは舞台衣装が現れる。派手な衣装は人々の目を惹いた。とたんにざわめきと、衆目を集める。
「さあ、紳士淑女の皆様! ここにいる罪人は我がサーカスで盗みを働いた太い野郎でございます! この男が今日のサーカスでどのように断罪されてしまうのか!? こうご期待!」
 座長は声を張り上げ、通りがかりの町人から注目を集めていた。つられて客寄せの芸人たちも声を合わせる。
「おい! ふざけるな! そんなもん受けるわけないだろ!!」
 少年は暴れた。余計に縄が食い込み、ぎりりと痛む。
「じゃあ私は準備があるのでね。もし仲間が来たら大声で知らせてくれたまえよ。客寄せも何人かいるから心配するな」
 暴れるチビスケを放置してピエールはテントへ入っていった。注目を浴びているが、気にしている余裕がない。
 ふと、遠くの人影を見つけ、彼は動きを止めた。
 視線を向けた瞬間、建物の影に隠れてしまった何か。あれは仲間だったのだろうか?



 客寄せの影響もあってか、客席は大入り満員であった。チビスケは縄をつけられたまま、楽屋に引き上げられていた。
「そういえばハングドマン君。君の名前はなんだね」
「……」
 チビスケはぺろりと舌を出す。
「それが名前か」
 男は慣れた風に、少年を鉄の檻に押し付けた。がつっと鈍い音が響く。雌の虎がぐるぐる唸りながら、彼に近づいていく。
「やめろ! 放せ! 放せってば!!」
 少年はわめくが、男は表情を変えない。少年の叫び声に消されそうになりながらも、座長は質問を変えない。
「君の名前は?」
 少年はついに根負けした。虎が彼の鼻頭をぺろりとなめたからだ。
「……チビ」と、こそっとつぶやく。
「それはあだ名か?」
 ピエールに指摘されるが、彼は下を見て黙りこくった。彼の名前はそれ以上でもそれ以下でもなかったからだ。物心ついたころから少年はこう呼ばれていたし、本当の名前を付けてくれるはずの両親の顔も形も知らない。自分には両親がいない。そう思い込んで生きてきた。
 妙な様子を察したのか、座長ピエールは言葉をつけたす。
「それが名前か」
 顔を上げることが出来ない。
 自分には普通の名前すら付けられなかった、それが彼にはどうしようもなく認めがたい汚点であった。捨て子でも普通は着せられた服に縫い付けられているものだが、この少年にはそれがなかった。自分が自分自身であるという証明が、ただの一つも。なかったのである。
 こんなことを知られるのは屈辱だった。まるで親から愛されていないという証明のようではないか。取り繕って、適当な名前を答えてしまえばよかったのだ。
 そんな少年の心境を知ってか知らずか、男はにたりと笑う。
「ふうん。じゃあ私が君に名前を付けてやろう」
「何を言ってるんだ」
 まさか。少年の肌が粟立った。まるで魔法使いの弟子の話じゃないか。
 それは吟遊詩人がもっともらしく歌い、そして仲間内で流行っていた冗談だった。今までの名前を奪われ、彼によって真名をつけられてしまったら。魔法使いの弟子にさせられたら、蛙に変身させられ、そのままどこか知らない世界へ吹き飛ばされてしまう。
 だが、そんな与太話と笑い飛ばす余裕が今の少年にはなかった。この男、ただの道化師とは思えなかった。仲間たちとも、無気力な町の人たちとも、今までに会ったどんな人物とも違う。
 そんな状況さえも楽しむように、目の前の男は言った。
「そうだなあ。ハングドマン、は見たまんまだし、芸風が縛られてしまって面白くない」
「芸風ってなんだよ」
 いったい何のつもりなのだろうか。
「ステージデビューを飾るわけだから、やっぱり格好をつけないと」
 ムチャクチャだった。命懸けの余興が、いつの間にかステージデビューの話にすり替わっている。自分は今ものすごい顔をしているだろう。
「決めた。君の名前はウーティス。誰でもない者、だ」
 その言葉はまるで魔法のように体の中を吹き抜けていった。



        

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