×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

ひだまりの道化師

the Clown of Suntrap


ひとりぼっちのクラウン  2



 客席は熱気に包まれていた。
 舞台は薄明るい光に照らされている。サーカスは泥棒に入られ、道具や衣装があちこちでなくなっていた。けれど彼らはそれさえも笑いに変えていた。ピエロは下着姿で舞台に出て観客を沸かせると、次いでお手玉をなくしたジャグラーが玉無しジャグリングを行い、そこからパントマイムに移っていく。はたまた虎が首輪を盗られた体で舞台に放たれると、客席は騒然とした。もはや悪乗りであった。
 少年は縛られたまま、舞台袖にいた。さっきまで虎が入っていた檻に入れられるというひどい仕打ちであった。じたばたもがくと、縄が食い込む。
「俺を舞台になんか出したらどうなると思ってるんだ? ぶち壊してやるよ!」
「やめときやめとき。オイシくなるだけやで」
 露出度の高い女性が隣に立つ。化粧が濃く年齢不詳の美人だが、ヘンな口調が女性としての魅力を半減させる。少年はその女をにらみつけるも、まったく堪える様子がない。
「あんたもわかってるやろ? こんなばかげたことを考えつくぐらいなんやから、座長さんは百戦錬磨やで。どんな変人も猛獣もさばき切る自信がなきゃできひん。どんだけ暴れても、オイシくイジられて、舞台がオモロくなるだけや。よかったなぁボクちゃん、こんな栄誉なかなかないで」
「うるせー!」
「ははは、イジりがいありそうやな」
 舞台の上では座長ピエールが口上を述べている。それによって出番が近づいていることを知る。芸人の一人が檻に近づいてきて、少年の縄の先端をつかんだ。
「さあ、今回の目玉、サーカス小屋に侵入した哀れな盗人であります! 彼はなぜ、こんなところに侵入してしまったんでしょう! この後どうなることかも知らずに」
 前口上に笑い声が起き、そして客席のざわめきが急に静まる。
「じゃあアンタ、行ってきぃ」
 芸人の男によって唐突に檻が開けられる。そして女に尻を蹴っ飛ばされて、少年は無理やり舞台の上に転がり出た。チビ、いや、ウーティスという芸名を与えられて。


 そこは熱気あふれる舞台の上だった。明かりに照らされて、体中の体温が上昇していくのを感じる。観客の視線が、一点に集中しているのを感じる。縄でぐるぐる巻きにされた少年ウーティスは皆の注目を集めていた。
 縄の先端は、舞台中央にある杭につながっていた。まるで飼い犬のようだ。
「さあ、今宵の特別ゲスト。彼の名前はウーティス! 誰でもない者」
 そこでピエール考案のルールが繰り返される。すなわち、少年がナイフを避けきったら盗みの罪を不問にして解放されるのだ。ばかげている。この短い縄の範囲で逃げ回るのは、どうあがいても少年に勝ち目がないように思われた。だが、彼の瞳からは輝きが失われていなかった。
「おい! お前の思い通りになんてならないからな!」
 ウーティスは啖呵を切った。それを聞き、座長ピエールがにやりと笑顔を見せる。面白くてたまらない、といった風だった。
 勝負は三投。
 まず一投目、ウーティスは肩口に狙いをつけたナイフをかろうじて避けた。客席がざわめく。
 どうやら致命傷にならないように投げるという座長の言葉は本当のようだった。
 二投目。足元をかすめてズボンが少し裂ける。
「おおっと! これはセーフだ。こんなところで終わっては面白くないからな」という判定により、続けられることになった。
 そして三投目。ピエールがナイフを投げようとしたその瞬間、体をわざとらしくよじらせた。その動きに少年ウーティスは目を見開く。彼はタイミングをわざとずらし、避けにくいように投げたのだ。
 少年は動いた。それは動物的な勘であった。
 そしてそのナイフは少年の体に突き刺さる。彼は体で受けたのだ。少年の衣服からじわりと血が染み出る。客席は騒然となった。だが、ウーティスが不敵な笑みを浮かべているのをピエールは見逃さなかった。
「俺の、勝ちだ」
 少年は高らかに宣言する。と同時に、ナイフの切っ先によって切れかかった縄を引きちぎった。それは彼の左腕とも左胸ともつかない場所に突き刺さり、真っ赤な鮮血をしたたらせていた。だが、彼の体を戒めていた縄は解かれた。彼は自由になったのだ。そして彼は自分の身に刺さったナイフを抜く。客席はパニックに陥った。
「こんなところにはいられるか! じゃあな!」
 彼は捨て台詞を吐いた。そして客席に降り、出口へと走っていく。
 座長はといえば、不敵な笑みをたたえていた。そして一言、お見事、とつぶやく。
「さあ、この三投勝負、内容としては私の勝ち。しかし勝負に勝ったのは彼、ウーティスでございます。皆様、いかがでございましたでしょうか!」
 座長の口上でもって舞台は締めくくられる。客席はざわついていたが、やがてそれが演出と認識されると、拍手喝采で埋め尽くされた。




 そして少年は薄暗い路地裏をひた走った。派手なサーカスから一転して辛気臭い見慣れた景色へ戻ってくる。
 そこに相変わらず仲間はたむろしていた。少年の姿を見て取ると、一人の男が腰を上げた。年恰好がほど近い、仲間内の一人だった。
「お、チビスケ。生きてたのか」
「見世物にされてどうなるかと思ったぜ」
 仲間たちは笑う。
「見てたのか?」
 やはり昼間見た人影は仲間だったのだ。なんで助けてくれなかったのか。そんなことをつぶやきかけたが、そんな義理はないのだと思いなおす。へまをした者は容赦なく切り捨てられる。それが仲間内の掟だった。
「お前、血が出てる」
 言われて初めて、傷口に手をやる。今まで忘れていた痛みが、ようやく戻ってきた。
「こんなの大したことねぇ」
 チビスケは威勢よく言うが、それは決して強がりなどではなかった。ちょうど腕と左胸の隙間を直撃したが、呼吸には影響もないし、腕も動いた。止血をしておけばそのうち治まるだろう。
「このナイフで縄を切ってやったんだ」
 少年はナイフの血をふき取り、皆に見せびらかした。彼は少し有頂天になっていた。サーカスからどのように脱出したかを彼は得意げに語りだす。だが、その言葉に素直に耳を傾ける者は少なかった。
「そんなことより、お前の稼ぎはそれだけか。見せてみろ」
 彼の言葉を遮り、仲間内の一人、ブルーが稼ぎを見咎めた。自身も安物しかつかめなくて、言いだしっぺの彼に八つ当たりしていたのだ。巻き上げられてしまう、とチビは直感した。「やめろ」と少年チビスケは抵抗したが、男は容赦がなかった。つい先ほど負傷したばかりの胸を殴られ、チビはうずくまった。こんなのは日常茶飯事だった。力のない方が負け。弱みを見せた方が負け。今までも幾度となく巻き上げられた。
「大人しく獲物を差し出せば痛い思いなんてしなくて済んだんだ」
 そう言いながら、青い瞳の男は奪ったナイフを値踏みしている。
「ふうん。なんだこりゃあ? 装飾も薄っぺらいし。外れか」
「だから言っただろ。サーカスは実入りが少ないと」
「これに懲りたらあんなサーカスを狙おうなんて考えないことだな。糞ガキ」
 周りの仲間たちもブルーに同調する。
「なんだよ……みんな乗り気だったじゃねえか! なんだよ!」
 チビは叫ぶも、味方は誰一人としていない。
「みんな? ははっ。お前のような糞ガキに乗るのは、あのイカれたスカーだけだ」
 スカーは仲間内でも一番力があった。そしてチビスケのような力のない者でも、彼ならば公平に接してくれていた。だが、だからこそ快く思わない者たちがいることにチビスケは気づかなかった。このような醜い形で表に出るまでは。
 チビスケは目でスカーを探した。だが、彼は今ここにはいない。
「まあ、しょうがねえな。明日の昼飯代くらいにはなるか」
 そう言い、ブルーはナイフの腹に触れた。力を入れると、投げナイフはしなやかに曲がる。それが少年チビスケの神経を逆撫でした。
「やめろ……!」
 チビスケは起き上がると同時に、路傍の石を投げつけた。男がひるんだ隙に掴みかかり、そしてナイフを奪い返す。このナイフは、このナイフだけは取られたくなかった。
 チビスケは肩で息をしていた。手にはたった今奪い返したナイフが、月明かりを浴びて輝いていた。
「おまえ……」
 彼らは信じられないものを見るような目でチビを見ている。チビ自身も信じられなかった。
 彼らの中では暗黙の力関係があり、力のない者はただ奪われるのが暗黙の了解だった。逆らった者にはもちろん制裁が待っている。
 だが、チビスケはそれを破った。少年は男たちを睨みつける。人から奪い、そして奪われるだけの生活。理不尽に暴力を与えられる生活。そんなもの、こっちから願い下げだ。
「やっちまえ!」
 ブルーの獣じみた号令に、周りの男たちが動き出す。
「やめろ!」
 そこへ、騒ぎを聞きつけたスカーの声が響く。男たちは一瞬動きを止める。そこにチビは隙を見て取った。
「チビ、逃げろ」
 スカーの声を背に、今来た道を駆けだした。



 ねぐらを追われた少年は、夜のクリエの町を駆け抜ける。家もない、身寄りもない彼が今思い当たる場所は一つしかなかった。そう、たった今まで拘束されていたサーカスだった。
 現場百遍、盗人は再び現場に現れるという。もちろんそんな法則を年端もいかぬ少年が知る由もない。
 サーカスは解体されかかっていた。月明かり程度の薄い闇の中、慌ただしく人々は動き回り、サーカスの天幕は外され、屋台骨は降ろされていく。
「なんだよ……これは」
「おや、君はウーティス君ではないか」
 座長ピエールは何となしに解体される光景を眺めていた。
「その名前で呼ぶんじゃねえ」
「そうかい」と彼は気にもしていない風であった。
「なんなんだよこれは? サーカスは?」
 少年は呆然としていた。
「ハハハ、傑作だ。借金まみれのサーカス団を泥棒が狙うとはな。……ほら、このとおりだ。本日でこのサーカスは解散するのだよ」
 男は全く面白くなさそうに笑う。周りは慌ただしかったが、彼の周りだけ風が止まっているかのように静かだった。次々に物が持ち去られていく。
「私に残ったのはこの証文ばかりだ」男は紙束を見せびらかす。少年は字が読めなかったが、それがお金ではなく、忌々しいものであることは少年にも想像がついた。
「だからなんだよ。そんなもん引きちぎって、貸したやつを刺してしまいだ」
 少年の倫理であった。彼は奪うことが生業であったし、金を借りるということは奪うことと同義であった。だから腕づくで解決する。ずっとそのような光景を見てきたのだ。
 男は鼻で笑った。
「あいにく、そこまで落ちぶれちゃいないんでね」
「何だと……!」
 侮辱されたと感じ、少年はカッとなった。
「俺は! そんな生き方しかしていなかった! それ以外のことなんか、知るかっ」
 ピエールは哀れむこともせず見ていた。
 少年は懐に入れていたナイフを投げつけた。それは舞台で使われた投げナイフだった。座長はそれを難なく弾き飛ばす。ナイフは宙を舞い、地面に音を立てて落ちた。
「お望み通り返してやるよ」
 自分でも何をやっているのか不明だった。泥棒が獲物を持ち主に返すなんて、正気ではない。
 男は驚いたように眉を上げると、薄っぺらく笑った。そしてナイフを拾い、刃を指に挟んでひらひらと振る。そして空に投げ、落下するナイフを素早く受け取るとそのまま少年の喉元に突きつけた。一連の動作のなか、ナイフを突きつけられてもなおチビは一歩も動けなかった。
「これはくれてやるよ。私の虎の子、宝剣だ」
「宝剣だと? こんな投げナイフが?」
「舞台上でぞんざいな扱いを受けていれば、誰もが宝物だと思わないだろう。そういうことだ。つまらん借金取りになんぞ渡してしまうくらいなら、お前にくれてやる」
 ナイフの柄には石がはめ込まれ、鈍く輝いていた。ブルーはそれを偽物だと判断したが、少年にはそれが粗悪品なのか、本物なのか区別がつかなかった。
「いったいどういうつもりだ」
「人を一人泥棒から更生させたと思えば安いものだろ。君は私の弟子だからな」
 少年は「は?」と声を裏返して言った。やはり魔法使いの弟子にさせられてしまったのだ。いや、違う。彼は芸人の弟子だと言っているのだ。少年の体は震えた。それがいったい何の感情によるものなのか、彼にはわからなかったが。
「俺はお前の弟子になったつもりはねぇ。こんなもん、売っぱらってやるよ!」
「そうかい。できるかな? それを売り払ったら、君はまたただの泥棒に逆戻りだ」
 ピエールはにやにや笑った。癇に障る笑顔だった。
 そして座長はくるりと刃を反転させる。少年の手を取り、半ば無理やりナイフを握らせた。
「君はなかなか見込みがある。勘の良さ。機転。そして芸人なら誰もが喉から手が出るほど欲しがる、華がある。それを活かすか殺すかは、君次第だ」
 少年は奥歯をかみしめたまま動かない。耳触りのいい言葉が並び、心が動きそうになる。ひょっとしたら騙されているのかもしれない。座長ピエールはそれを見透かしたように笑顔を見せた。今までのどの笑顔とも違う顔に、少年は不意を突かれた。やはり彼は魔法使いなのかもしれなかった。


 少年を脇に待たせ、ピエールは自分の荷物の準備を始める。といってももう大したものは残っていなかった。証文を抱えたまま借金取りから逃げ出すのだ。必要最低限のものは鞄に詰め込んだ。このサーカスにも別れを告げなければならない。
「座長、楽しそうやね」
「そうでもないな」
 そう言いながら、彼の頬は緩んでいる。付き合いの長い団員には、彼の本心などすぐ知れた。
「私、こっそり見てましたよぉ」
 とサーカスの女が横から口を出す。
「座長さんは女の子にしか興味ないんだと思ってました。意外と子煩悩なところあるんですねぇ」
「ああ。楽しませてもらった」
 そう言いながら、ピエールはさりげなく彼女の尻を触るのを忘れない。彼女は軽く悲鳴を上げた。
 彼らはサーカス小屋の建っていた場所に集まった。皆、一人一人が持てるだけの荷物を抱えている。元々身軽が身上の彼らの荷物は多くないが、さらに盗難や借金返済に充てた物もあり、荷物はさらに減っていた。サーカス小屋のテントや大きな仕掛けは馬車に積み込んだ。この馬車と、そして馬や虎は借金取りに渡してしまうため置いていくことになる。動物使いが涙を流していたが、それを止められる者は誰もいない。
「力になれず、すまない」と仲間の曲芸師は言う。太ったピエロもうなだれている。彼らも衣装を脱げばただの男。舞台の上で見せるような笑顔を浮かべる者は誰一人いなかった。この責任と借金を座長が全て引き受ける気でいるのを、彼らは知っているのだ。
「なぁに、気にすることはない。我々は芸人だ。その気になれば一人でどこへでも行ける。君たちも新天地で生きていくのだ」
 彼は座員たちの前で最後の口上を述べる。それは夜中の静謐な空気の中、小さな声でも十分に響き渡った。仲間たちは神妙な顔でうなずき、あるいは泣き出す者もいた。解散の合図とともに、散り散りに散らばっていく。
「さあ、私も逃げなければな」
 座員たちが言ったのを見届けてから、彼はにやりとしてつぶやいた。どんな時も笑みを浮かべる余裕を忘れない、そうすればきっと生きていけるはずだった。
 それに新たな目標もできた。小さな弟子を見届けるという目標が。負けん気が強くて、予想もしない行動に出て、そして何より人を惹きつける華がある。当分楽しめそうだった。



        



 サーカスの者たちは散り散りになった。彼らの行方は知れない。
 そして縁もゆかりもなかった少年の手元には、宝剣が残された。
 座長ピエールの宝物。そう聞かされた投げナイフだった。少年の身体を貫いた一本のほかに、あと二本正式に譲り受けた。少年はそれをなんとなしに放り投げる。それはもとから少年が扱っていたように、手にしっくりとなじんだ。
 そしてナイフとともに、厄介な自称師匠もついてきた。もっとも実際におんぶにだっこなのは少年の方だった。身のこなしに多少の心得はあるものの、何しろ芸の初歩も知らない。彼の修行は、予想以上につらく厳しいものだった。
 ほんの出来心だった。自称師匠の目を盗んで、彼はそれを古物商に見せた。宝だと言われたら、誰しもその価値を知ってみたくなるものだ。そしてもし高値だったら、これを売り払って逃げることもできるのではないか。
 古物商の男はそれをしみじみと眺めた後、こう言った。
「宝剣? あんたこりゃ偽物だね!」
「なんだって!? あんのやろう!」
 少年は激昂した。やっぱり、あの男は虚言にまみれている。素質がある、なんていうのも嘘に違いない。担がれたのだ。
「まあ……でも偽物にしては出来がいい、相場の半額で引き取ってやろう……あれ? お客さん?」
 少年は古物商の言葉を聞き流し、とっくに去っていた。古物商は舌打ちする。
「ガキの癖に、どこからあんなもんを調達してきやがったんだ……ふん、どうせ盗品さ」

 投げナイフを携えて、少年ウーティスは次の町へと旅立っていく。
 これから波乱万丈なあれこれに巻き込まれ、付き合わされ、時には身を乗り出すことになるのだが、彼はまだそれを知らない。

(終)
2016.02.20


        

前へ
目次