ざ・ブラッドコレクター

 ブラッドコレクターの朝は遅い。
 薄い布団から這い出して、目を細めて窓から差し込む日光を眺める。
 ブラッドコレクターは時間や身分に縛られない。もちろん仕事など行かない。行く必要がない、と彼は主張するが、要するにニートである。吸血鬼だと言うだけあって顔色は悪い。だが日光は平気だ。ニンニクは嫌いなのだが。
 そんなブラッドコレクターは、築四十年の小さなボロアパートに住んでいるのである。もちろん親の金だ。

 彼はニートらしく部屋にこもりっきり、というわけではない。むしろよく出歩くほうだ。日中はよく渋谷や新宿の駅前でしゃがみながらたばこをふかしている。夜は行きつけのバーに入り浸って、やっすい酒をあおっていたりする。暇なのである。
 なまじ顔だけはいいものだから、寄ってくる女は数知れない。中には「でれでれしちゃって。バカじゃないの」などと言いながら、周りとは一味違うアタシという体で寄ってくる女もいる。バカなものである。だがブラッドコレクターたる彼もバカなので、「なんだおまえ」と思いながら相手をしてしまうのである。要するに誰でもよかった、と彼は目を細める。
 一昔前はナンパという努力もしてみたのだが、うっとうしがられることが多く、彼の繊細なハートはぽっきりと折れたのである。むしろこうやって何もせずにいるほうが余計な手間もなく、効率がいいということに気づいたのである。以来、彼は声を掛けられるのを待っている。

 ブラッドコレクターたる彼は、血を吸いたいがために女をホテルに誘う。面倒なときはたまに自分の家に連れ込むときもある。そのあたり、彼は頓着しない。たまに昔連れ込んだ女が待ち伏せていて、修羅場になることもあるが、そういう時も彼は鼻をほじりながら適当に傍観している。そうすると向こうが切れて勝手に見限ってくれる。最低なものだと思う。事実、最低である。
 連れ込んだ女に愛撫をしながら、首筋にそっと歯を立てる。相手はそれもプレイの一環だと思うのか、大抵は気づかない。こうして血を吸った後、行為中にもかかわらず彼は「栄養が足りてない」とか「運動が足りてない」とか、血の味について感想をめぐらせるのである。
 人の血を吸うと、どんな食生活をしているかだいたいわかる。健康的な生活をしている女はやはりウマイ。そして糖分と脂がたっぷり乗った血はやはりマズイ。しかしそんなウマイ血には近頃はとんとお目にかかれない。そりゃ暇な男に声を掛けるほどの女だ、たかが知れているのだが。たまにはウマイ血も吸いたい、と思ったりする。だがそのためには極めて健康的な女性を選別しなければならず、その労力を考えるとイマイチの味で妥協するほうがマシなのだ。

 たまに、血を吸われていることに気づく女もいる。そういう目ざとい女は、まず血を吸った理由を聞く。「趣味だから」と答えると、呆れたようにこう言うのだ。
「貴方、本当に変わってるわね」
「吸血鬼だからね」
 どの女も、このやり取りで納得するようだ。だが、肝心の吸血鬼という言葉は信用してもらえたかどうか怪しいといつも思う。
 そういう女は遠慮というものがなくなるのか、彼の生活について根掘り葉掘り聞こうとする。
「いつもこんなことしてるの」
「吸血鬼だからね」
「じゃあ、生活費はどうしてるの」
「いつの間にか口座に振り込まれているんだ」
 彼自身は身の上についてしゃべることに抵抗はないのだが、しゃべればしゃべるほど相手の女が不愉快な顔つきになっていく。
 そんなわけで、最近は身の上について語るのを止めた。そのほうが神秘性も保つことができて女に受けがいい、と気づいたからだ。吸血鬼とうそぶきながら、実際は親のスネかじりという情けない生活だから嫌な顔をされる、とは気づかない。バカなのである。

「ねえ、吸血鬼って血を吸わないと死ぬの?」
「いいや?」
「じゃあなんでそんなに、血を吸うことにこだわるのかな」
「別に。趣味みたいなもんだよ」
 この言葉で大抵ほら吹き扱いされる。良くて「面白い人」悪くて「嘘つき」あるいは「可哀相な人」。どうせ数時間限りの関係だから、女からどう評されようと彼には関心がなかったが、しかし哀れまれるのだけは優位に立たれているみたいで気に食わない。枕元でたばこをふかしながら、クールを装ってみるが、イイコイイコと頭を撫でられたりして余計に立場が悪化する。
「違う」
「何が?」
「嘘なんかじゃない」
「またまたぁ」
 頬をつんつんとつつかれ、いらっとしてそそくさと服を着、ホテルを出た。女が「ちょっとどこ行くの」などと声を上げたが無視である。すっかり夜も更けて、街角を飾るネオンサインが目にしみた。気を取り直してたばこをつける。
 何故、吸血鬼が血だけを食して生きていかなければならないのだろう。日光に当たってはいけないのだろう。先入観が、人の話に素直に耳を傾けることを邪魔しているのではないかと彼は考える。バカなりに考えるのである。だがその考えが日の目を見ることは恐らく、ない。積極的に事実を公表したところで、メリットは何一つないからである。せいぜい「自分の事吸血鬼とか言うイケメンに会ったのー」「ああ、それ本物かも」程度である。
「ま、しょうがないな」
 彼は煙を吐き出した。ちょっとセンチな気分になる。
 時々は昔会った女のことを思い出したりもする。「今までの経験人数、覚えてるの?」などと下品に聞かれる度にはぐらかすが、実は覚えているのである。彼のちっぽけな脳みそはおよそ七割がそのことに費やされている。ただし顔や人となりに興味があるわけではないので、そのあたりの情報は曖昧だが。その数、星の数ほど。さすがにドン引きされると学習したので、もう人前で言うことはないが。
 そして今日も彼は、大都会の片隅でただ漠然と暇をつぶしているふりをしながら、獲物がかかるのを待つのである。こうやって若い女の血を吸うことで、若さを保っていられるのだから。
 彼の本当の年齢は、誰も知らない。



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