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21.秘密


「はぁ……」
 キヌエは、途方に暮れていた。ため息をついて、リクライニングチェアに沈み込む。
 どこから手をつけていいかわからない。
 家の中のガラクタはいつも以上に散乱している。いっそ全て廃棄してスッキリしてしまいたいが、それはハヤトが許さないだろう。
 犬猫たちは意外に元気だ。餌の用意を始めると、我先にと集まってくる。
 そして請け負っていた仕事のデータのこと。停電した際に消し飛んでしまった――と予想している。今もまだ電源が入らないのだ。頭脳が生きていたらサルベージできるかもしれないが、もはや絶望的だった。コンピュータごと壊れたのか、それすらも判断がつかない。
 さらには、この生体の始末にも困っていた。キヌエは出来るだけ視界に入れないようにしていたが、居間の真ん中、手術台の上に置かれては、嫌でも目に入る。
 どうして連れてきてしまったのか。他の誰かに見つけられては困る、と彼は言った。確かにその通りだ。しかし、家の中に置かれても困るではないか。彼女はハヤトを恨んだ。
 肝心のハヤトは、早々離脱して「山」へ遊びに行ってしまった。
 残されたのは自分ばかり。このままガラクタに埋もれてしまいたい気分だった。
 そして、恨めしそうに『フウカだったもの』を眺めた。ミチコが普段と変わらぬように傍に寄り添っている。それだけが救いだった。
 もう一度深くため息をついて、自室に戻る。きいきいと変な足音を立ててミチコもついてくる。
「……これも診てもらわなきゃね」
 義足の関節がおかしいことに気づいていたが、ミチコが痛がるそぶりを見せないので、それほど重症ではないのだろうと思っている。どちらにせよ、ハヤトが何とかするはずだ。

 みーっみーっ。
 予想していないコール音に、キヌエはびくっとした。電気は今も止まっている。鳴るはずがない――と高をくくっていたのだ。それがまさか鳴り出すとは。
 電力が死んでいても、電話線は生きていたのだ。
 コール音は今も鳴り響いている。
 手が、動かない。受信のスイッチを押すことが出来ない。
 キヌエにとってそれは、死の宣告。悪魔のコール音だった。
 キヌエはそこに立ち尽くした。汗が一筋、額から流れる。相手はあの上司に間違いなかった。仕事用の回線だから、他にかけてくる相手もいないのだ。
 無視して、何もかもなかったことにしてしまおうか。
 それとも、謝罪すれば何もかもそれで済んでしまうのだろうか。
 などというキヌエの葛藤をよそに、コールは勝手に繋がった。自動設定を切り替えるのを忘れていたのだ。キヌエの背筋から一気に汗がふき出す。もう、遅い。
 覚悟を決めて、電話に出る。一度ならず二度までも信頼を失うことになるが、仕方ない。彼に従わずD型生体について追究したのも、身から出た錆だ。
「……はい」
『おおーい。無事か』
 相変わらずの上司の声。だが、いきなりのこちらを気遣う言葉に、キヌエは身を硬くした。彼は何を知っている?
「……な、なんのことです?」
『知らないのか。なにやらそっちの方で大規模な障害が発生したらしい、とニュースになってる。なんでも付近一帯は停電とか。でもコール通じてるから、大丈夫なのか?』
 知らなかった。何しろ今は、あらゆる世間と断絶状態にある。知りようもなかった。
 そう言うと、彼は笑った。苦笑、としか言いようがない引きつった笑い。
『まるで孤島だな。――まあ、多少の覚悟はしているんだけど。心の準備が必要か? 今、どうなってるんだ』
「……出来うる限り最悪の想定をしていただければ、わかりやすいかと思います」
 この言葉は効いた。彼はさすがに絶句したようだった。
 キヌエはどこまで説明したものか迷っていた。フウカの力は世間のニュースになるほどの影響を及ぼしていたのだ。だが、その原因となるとごく少数の者しか知らない。しかも、キヌエたちはその一端を担っている。それを喋ってしまっていいものか。
 いや、いっそ全てをぶちまけたら、彼は「フウカ」の秘密を教えてくれるかもしれない。それは甘い考えだろうか。何しろ相手はあの上司なのだ。
 しばしの間が、場を支配した。ミチコがあくびをする。
『そうか……』
 先に動いたのは上司だった。
『お前さー、アレどうした?』
「えっ?」
『アレだよアレ』
「アレ……ですか。さあ、何のことだか」
 彼は腹の探りあいを止めたようだ。
『とぼけるなよ。D型生体について知りたがっていただろ。お前のところにいるのは何番だ。そいつはどうなった』
 さすがにここまで単刀直入に聞かれると、言葉に窮する。
 キヌエは出かかった言葉を飲み込んだ。このまま答えたら、彼のいいなりだ。
「……ちょっと、待ってください」
『やだ』
 今度はキヌエが絶句する番だった。考えを整理している間もない。飲み込まれる。
『一体どうやったのか知らないが、そいつを起こしたんだろ? よくそれで無事でいられたもんだ』
 段々愚痴っぽくなる彼の言葉を、キヌエは黙って聞いていた。
『悪いことは言わない。それを、廃棄してほしい。やり方は相良に任せるが、もう二度と「生き返る」ことのないように、だ』
「それは、命令ですか」
 ようやく喉から出た言葉がそれだった。
 逆らえるような立場ではないことはわかっていた。いつもの軽口な上司ではない。
 だが。
 この事実はどこへ消えてしまうのか。
 「彼女」の生い立ち。その力の謎。そしてこの無残な結果。それらを全てなかったことにしろと、彼は言っているのだ。彼女に感じた嫉妬、羨望、興味、哀切。それをなにもかも封じてしまえと。彼はそう言っているのか。
『おおい。俺の言ってることがわかるか? あれは電波障害なんだよ。公式にも非公式にもな。つまりこれは不幸な事故だったんだよ。仕事の遅れも、もちろん不問だ。修正前の元データもこっちにある。俺がその遅れぶん頭を下げればいいだけの話だ。安いもんだろ。あとは、そうだな。これを機に新機種に乗り換えたらどうだ。いいきっかけになったろ』
 耳障りのいい言葉が耳を通り抜けていく。
 なんという話のわかる上司だと、泣いて感謝すべきだとでも言いたいのだろうか。そうだ。彼はこういう男だった。今も昔もだ。
 だが、それではキヌエの気がすまなかった。
 彼は自分の手を汚さずに、それを始末しろと言う。
 あんな恐ろしい目に遭ってなお、真実を求めずにいろと言う。
 キヌエは「彼女」をこの手で下した。あの感触がまだ残っている。血塗られている気がする。それはただの部品の塊であるというのに。
「わかりました……」
 キヌエは、一音一音を確かめるように言葉を発し、そして笑うように口元をくくっとゆがませた。怒りの色をたたえたまま。
 ――やっぱり、そんな条件など飲めるわけがないじゃない。
 まるで灼熱の炎を吐き出すかのように、キヌエは咆えていた。
「――とでも言うと思ったら大間違いよ! いいでしょう、けどね、その代わり全てを教えてもらいます。その条件を飲むかどうかは、私があなたの話を聞いて判断します」
 言ってしまった。
 頭の中が赤く煮えたぎっている。息が苦しい。体中が酸素を欲しているようだ。
 一瞬の間が空いた。体中の血が音を立てて駆け巡っている。
 もう、何の文句も言えない立場であることは承知していた。それなのに。いや、だからこそ。キヌエは一歩を踏み出してみせた。
 もはや何も失うものはない。分の悪すぎる交渉である。こちらのカードは、フウカが今手元にあることと、そのフウカと自分たちが起こした出来事についてだ。それがいかほど役に立つというのか、と思いつつ、キヌエはカードを切り出した。
「マネージャーは、フウカのことを知りたいのでしょう?」
 少なくとも、あの条件で交渉が成立していたら、彼自身もこの事の顛末を知ることは出来ない。上司らしくない失敗だ、とキヌエは思った。彼の焦りが垣間見えたような気がした。
 長い沈黙。
 やがてその沈黙が必死に笑いをこらえていると気づいたとき、キヌエの顔が羞恥に染まった。
『お前――逞しくなったなー』
「……ええ、それはもう」
 ばつが悪い。
 ひとしきり笑った後、上司はあっさりと言った。
『まあ、いいだろ』
 あっさりとオーケーが出て、キヌエは長いため息を吐く。
『しっかし、お前をそこまで成長させたその旦那は一体どんなヤツなんだ? 一度会って、んでぶん殴ってみたいわ』
 思いも寄らない話題に、思わず声が裏返りそうになった。
「ハヤトは関係ないでしょう」
『おー、ハヤトっていうのか。覚えておこう』
 意地悪な笑い声がして、口が滑ったことに気つくが、もう遅い。
 キヌエの頬が赤く染まる。この通信に動画機能がついていなくて、本当によかった。


 他言無用だと前置きして、上司は、やおら語りだした。
『あれは……そうだな、一番最初の生体を売り出して間もなくの頃。俺はまだぺーぺーのSEだった』
 まったく同じくだりを、宴会の席で聞いたような気がする。交渉には成功したものの、キヌエはげんなりした。そう、彼の私情を鋏んだ語りは長い上に特にオチもなく、有体に言うと面白くないのである。
 だが、そこを我慢しないと始まらない。あの頃は若かっただの、がむしゃらに働いて遊ぶ時間などなかっただの、現在は部長クラスの面々の恥ずかしい過去などを彼はこぼしていく。そんなものに興味がないキヌエの相槌に疲れが見えてきた頃、ようやく話の核心にたどりつくことができた。
『そんな折、俺は大きなプロジェクトの末端に選ばれることになったわけ。それは昔も今もトップシークレットだ。念を押すが、誰にも言うなよ?』
「――ええ」
『それは、タイプDの共同開発プロジェクトだった。依頼主は……これは暗黙の了解ということで。依頼内容は……生体の軍事利用を目的とした開発、だった』
「じゃあフウカは――彼女は、人を殺すための兵器?」
 納得出来なくはない。しかし、それにしては妙だった。それならあんな表層人格など必要ないではないか。
 そこを問うと、上司は少し考えている風であった。
『俺は知らんよ。当時搭載されたのは、今よりもっと原始的なルーチンだった。なにしろ俺は末端だったし、全てを見たわけじゃない』
「はあ」
『とにかく、モデルとしての0001号は完成した。だがな、やっぱり腐っても生体兵器だろ? 上部で反発があったらしくてな――それっきり、このプロジェクトは打ち切り。あんときの人事異動は色々あったなー』
「え?」
 話が飲み込めない。では、フウカは――
『まあ聞けよ。これについては面白い裏話があってな。0001の納品が完了すると同時期に、プロジェクトに関わっていた社員が数人消えているんだ』
 キヌエは息を飲む。
 この業界では、激務に耐えかねて失踪は珍しい話ではない。だが、それとは話が違う。
「マネージャーは、大丈夫だったんですか」
『え? ああ、引き抜きだよ。別に拉致とか失踪とか、そういうのはなかったっぽいから大丈夫。たぶんな。もちろん俺は断ったけどなー。やだよあんなきな臭い――軍事利用だなんてよ。給料は良さそうだったけどな。俺は平和にS型でも作ってるのがいいよ』
 LBDでは性的能力を搭載したS型生体を作っていないことを指摘すると、『相変わらずだな。ジョークだよジョーク』と返された。
『ここからは俺の予想を交えるが、おそらくそこでも開発は続けられていたんだろ。で、何らかの手段を経て、その生体が打ち捨てられたと』
 おおよその話はつかめた。キヌエは礼を言う。
『そういうことだ。そいつはこの世に存在していてはいけない。依頼元で何があったか知らないが、打ち捨てられていたんなら、なおさらだ。こちらはお願いするしか出来ない立場なのはわかってるんだけどな。――よろしく頼むよ』
 喉がつかえる。今度こそ、わかりました、と消え入りそうな声で呟いた。

 ミチコがむくりと立ち上がり、部屋の扉をかいた。
 にわかに玄関が騒がしくなる。
 ハヤトが帰ってきたのだ。しかも――客を連れて。
『さて、今度はそっちの話』
「ええ、とても参考になりました。申し訳ありません、今緊急の予定が入りまして、私の報告はまた後日にさせていただきます。失礼いたします」
『え? おい――』
 通信を切る。回線ごと切断し、玄関に向かう。
「ただいまー」
「相変わらずだな、この家も」
 そこにはハヤトとムラサキがいた。
「……ムラサキさん、今日はどういったご用件でしょうか」
 思いっきり苦々しい顔をしてみたが、キヌエの剣呑な響きにも、彼は気にしない。
「もちろんキヌエさんに会いに来たに決まってるじゃありませんか。ああ、そのついでに障害の原因を探りに来たわけだがね。何しろ、ハヤトがその原因を知ってるなどと抜かすものだから」
 キヌエはハヤトを睨みつける。
 ぴくりと、ハヤトの顔がこわばる。
「ちょっと……どういうこと」
「いやね、あのね、これには深い訳がね」
 などと意味不明な言い訳を繰り返すハヤトの首に左腕を回し、ヘッドロックする。右手は拳を作って、ぐりぐりとハヤトの腹に押し付けた。腐っても客が来ている立場上、本気ではやらない。腹を抱えてわざとらしくうめくハヤトを解放し、後で覚えてなさい、と耳元でささやいた。
 あれだけ上司に駄目押しされた「他言無用」の言葉も、彼によってあっさりとぶち壊された。ムラサキまで伝わった以上、秘密のままでいられるとも思えない。どうしてくれよう。
「ムラサキさん。お願いがあるの。これから家で見聞きしたことは、絶対に秘密にして欲しいの。もし誰かに教えたら……私は信用を失うことになる。ここにいられなくなるし、ムラサキさんも『山』に沈められることになるかもね」
 後半はハッタリだったが、さすがに効いたようだ。「任せてください」と余裕たっぷりに言ったムラサキの顔が、かすかにこわばっていた。
 うなずいて、ムラサキを部屋へと招き入れる。
「キヌエちゃん、それ本当? 大丈夫なの?」
 ハヤトがそっと声を掛けてくる。本当に彼はどこかがずれている。だが、彼はいつも本気なのだ。
「……大丈夫よ。あなたもこれ以上他人に言わないでね」
 その言葉に、彼はほっと胸をなでおろし、キヌエを抱きしめた。
「よかったあ。キヌエちゃんがどっか行っちゃったらどうしようと思った」
 ハヤトは、自分自身の心配はしないのだ。この「秘密」を漏らしたことについて、彼は危機感など持っていない風であった。
 どこまでもずれている気がする、と思いつつ、彼の甘い言葉にどこか心が休まるのも、また事実なのであった。キヌエは一瞬だけ彼を抱き返すと、自らの感情を悟られまいと、わざと冷たく突き放した。


 そして後日、強制的に通話を終了したことについて、キヌエは上司から散々お説教という名の愚痴を聞かされる羽目になったのである。身から出た錆とはいえ、彼に社会人としての常識や身の振る舞いについてネチネチと言われるのはさすがに堪えた。
 特に「お前、俺のこと尊敬してないだろ」という問いには即答できず、拗ねた上司をなだめるのに手を焼いたのであった。


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