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22.再生


 キヌエが身を翻したのに続き、ムラサキも無遠慮に上がりこむ。その後ろにハヤトも続いた。犬猫もぞろぞろとついてくる。
 キヌエの口元がへの字になるのを、ハヤトは見逃さない。やはり今日もそうだった。彼女は生体に目の焦点を合わせない。そしてムラサキも見ない。
 シラユリは患者の対応のためにクリニックに残った。連れてきたら彼女の眉間のしわがもう一つ増えていただろうな、とハヤトは思った。
 居間兼作業部屋の扉をくぐったムラサキが、大声を上げた。
「なんだこれは?」
 興味深そうに、壊れた生体を観察し、無造作に触れる。
「あの生体か? どうしたんだ。ハヤト、可愛さあまってとうとう殺っちまったか」
「……そんなこと、するわけないだろ」
 ムラサキの冗談ともつかない言葉に、思わず強い口調で反論してしまう。はっとして「やだなぁははは」と態度を和らげるも、そこにはぴりっとした空気が残った。
 あの生体を拾ったときは、まさかこんな最期になるなんて思ってもいなかった。
 キヌエはフウカのことをどう思っていたのだろう。

「誰も壊したくはなかったのだけどね」
 キヌエが重々しく口を開いた。
「ムラサキさん。フウカはどうしても破壊せざるを得なかったの」
 キヌエのかいつまんで、というよりかなり端折った説明をハヤトはなんとなく聞いていた。
 フウカが暴走した影響で凄まじい電波障害を周りに引き起こしたこと。やむを得ず、停止させたこと。
「電波障害? 生体が?」
「……そうなの。私もよくわからないんだけど、この生体にはいくつか通常ではあり得ない性能が備わっていたみたい」
 ムラサキは生体を観察していた。衝撃にやられて、頭部は見るに耐えないが、四肢は驚くほど綺麗だった。
「生体のことはあまりわからんが、損傷は頭部、および頸部……か。何をどうしたらこんな状態になるんだ」
「それは……」
 言いよどんだ彼女に、ハヤトは口を挟んだ。
「それは、キヌエちゃんの日々の鍛錬の成果さ」
「はぁ?」
 不謹慎だが、思わず笑みがこぼれた。ハヤトはその時の様子を二倍にも三倍にも大げさに語ってみせた。キヌエの眉間にしわが寄っていく。しかし、悪ふざけが止まらない。
「回り込むと、こう、ホールドして、そして止めはパワーボム! しかもただのパワーボムじゃない、垂直落下式パワーボムさ。どう、『生体殺しのキヌエ』。なかなかかっこいい二つ名じゃね?」
「……次は旦那殺しの称号も加えることになるのかしらね」
 耳元でぺきぺきと指を鳴らす音が聞こえて、ハヤトはぺろりと舌を出した。
 ひょっとしたら、そう遠くないうちにフウカの隣に墓が立つかもしれない。
「しかし、そのおかげでうちは大損害だ。いや、うちだけじゃない、あたり一帯の機械が全て停止してしまったんだぞ。ハヤト、元々はお前が拾った生体だろう。お前が責任をとってなんとかしたまえ」
「ええええ?」
 ハヤトは頭を抱えた。予想通りといえば予想通りだが、責任とは一体何を意味しているのだろうかと思っていると、ムラサキはすっと手を差し伸べて、そして指で丸い輪っかを作った。つまり、お金、だ。
「いやいやいや。無理だろ。どう考えても無理だろ」
 ムラサキのクリニックにある医療用機器など、ハヤトの稼ぎでは弁償できるはずがない。
「ムラサキさん」
 すっと、ハヤトとの間に彼女が割って入った。
「最初に言ったよね? 他言無用、って。それは守ってもらえるのでしょうね」
「あ? ああ。もちろんだ」
「じゃあ、改めて聞くけど。誰が何によってどんな被害を受けたというのかしら? そしてそれを主張するに足る証拠は?」
 ここまで問い詰められては、ムラサキも沈黙せざるを得ない。
 最初に他言無用と釘を刺されていては、この話をネタに強請ろうとも無駄なことなのである。そして、キヌエ相手にムラサキがそれを出来るはずがなかった。
 しかし、ハヤト一人では言いくるめられていたに違いない。キヌエがついていて本当に助かったと、ハヤトは思った。

「しかし、生体が暴走した、だって? 嘘だろう。キヌエさんがついていながらそんなことがあるのかね」
 ぴくり、とキヌエが反応するがそのまま彼女は黙り込む。
 ムラサキの言うことはもっともであった。
 普通の生体であれば、例え暴走したとしてもそんな広範囲に電波障害を引き起こすなどという凶悪な反応はあり得ない。
 しかし、あの山で発見されたということを持ち出すと、その疑念はあっさりと沈んだ。あの山に捨てられているものなら、何が起きても不思議ではないからである。
 そこから先は、フウカの生い立ちについて大いに盛り上がった。
「実はその生体は不良品ではなく、世界征服を企む謎の組織によって開発されたものだったのだ! ……どうだハヤト、夢があるだろう」
「ははは、そんな馬鹿な」
 ちらりとそんな可能性に思い当たらなくもないが、ハヤトは笑って誤魔化した。フウカの力、性能、あれは生半可なものではなかった。下手をすると本当に世界を征服するだけの力が備わっていたかもしれない。
 何よりキヌエがかなり端折った説明をしたおかげで、「ひょっとすると、それは本当かもしれない」などと可能性を示唆することさえ出来なかった。そのぶんムラサキは気楽なものだ。何しろあの出来事を見ていないのだから。
「でも、本当のところはどうなんだろうね」
「知らないわ」
 彼女に話を振ってみると、気のない返事が返ってくる。
 ふと、ハヤトの中の直感が囁いた。
 彼女は嘘をついている。
 もちろん根拠はない。彼女に伝えたところで、とぼけられるか逆上されるか、そのどちらかでしかないであろう。
「ふーん」
「何笑ってんの」
「いいや?」
 ハヤトはキヌエの頭を撫でた。彼女からは顔をつねられる。
 何となく隠していることはわかる。彼女はフウカの重大な秘密を知っているのだ。
 彼女はいつも何かを背負っていた。この家に来たときも、彼女は頑なに自らをさらけ出すことを拒んだ。そして、ハヤトはそれを聞き出そうとはしなかった。
 大事なことを話してもらえないとはお前は信用にあたいしないのだ、などとムラサキからは言われたが、それは違うと思っている。
 キヌエはそういう性分なのだ。そして、彼女にとっては言えない「何か」があるのだろう。それをむやみに暴き出すこともない。
 有体にいうと、信用している。
 そんな言葉は、恐らくムラサキには信じてもらえないだろう。キヌエに言ったらどんな顔をするだろうか。ハヤトの勝手な思いであることは承知していた。
「まあ、その気になったら教えてよ」
 彼女にそっとささやく。それでも、彼女がその気になったなら受け止めてやりたいと思ってはいるのだ。
 答えは期待していなかった。だが。
「……そのうちね」
 その言葉に、ハヤトはどきっとした。そしてくるりと背を向けた彼女をじっと見つめた。彼女は今、どんな顔をしているだろうか。

「それより、どうだハヤトよ。こいつのパーツをお前の義手に使いまわしできるんじゃないのか?」
「えっ」
 そんなことは考えもしなかった。なんとかして彼女を生き返らせてやりたいと、ただそれだけを願っていたのだ。
 それに、人間用の義手と生体の手は同じように動くのだろうか?
「いや、それより……フウカちゃんが直らないかと俺は思ってるんだけど」
 ハヤトは段々小声になりながらも自分の望みを打ち明けた。現実的な考えではないことは承知していた。それでも、なんとかしてやりたい。
 そう言うと、ムラサキが難色を示した。
「しかしな。キヌエさんの話を聞く限りじゃ、そいつを復活させたとしてまた同じような目に遭わない可能性はどれだけあるんだ? 俺の見立てによると、ないな。性犯罪者が出所後に同様の行動を繰り返すようにだ」
 ハヤトはむっとする。
「フウカちゃんはそんなんじゃない」
「だから、ものの例えだろうが」
 ムラサキでは埒が明かない。むくれながらキヌエに助け舟を求めた。
 そういえば彼女からは、まだ返事を聞いていない。ハヤトはわずかな期待に望みをかけようとした。だが、彼女もまた首を横に振ったのだった。
「ムラサキさんの言うとおりかもしれない」
「ほほう。気が合いますね」
 ムラサキがぐっと親指を立てて熱い視線を送るも、彼女は軽くスルーする。
「それに、その部分を削除して復活させたとして、それは本当にあのフウカのように動くのかしら」
「……うう」
 ハヤトは力なくうなずいた。
 わかっていた。
 本当は、最初から頭の片隅で理解していたのだ。確かにフウカを元に戻すより、分解してパーツを再利用したほうが間違いなく現実的であった。ただ、現実を受け入れられなかった。こんな形で幕を下ろさざるを得ない彼女に未練があっただけなのだ。
 ハヤトはくるりと背を向け、ほんの少しだけ泣いた。
「……大丈夫?」
「ん?」
 裾で顔を拭い、すぐになんでもない風を装った。
「……うん。まあフウカちゃんが俺の一部として生きるんなら、それもいいかな、なんてね」
 キヌエが心配そうにこちらを見ている。ハヤトはそれを見ないように、ガラクタの中を漁る。程なくして目的のものは見つかった。
 それは持ち手の先に細い頭がついただけの、まさに原始的ともいえる工具。これなら電力がダウンしていようと関係ない。それをムラサキに渡すと、彼はにやりと笑った。
「じゃあ、始めようか」
「おうよ」
 ハヤトはムラサキと二人がかりで、器用に生体を分解していった。それをミチコが尻尾を振って見ている。
 キヌエは手際のよさに感心していたが、もちろん生体を分解するのはこれが初めてではない。でも、そんなことは決して言えなかった。腕の表皮とシリコンをはがしていくと、中に骨組みが表れる。神経系であるケーブルを損なわないように、丁寧に落としていく。そして胴体から肩を切り離す。
 胴から外されたその腕を、ハヤトの肩にあわせてみる。
「ふむ。まあくっつけることも出来なくはない、と思うがな。だがしかし、だ」
「ちょっと、長さが違うわ。……それに、女の腕でしょ。思いっきり変! 似合わない」
 ムラサキの懸念する声とキヌエの大反対により、その案はあっけなくお蔵入りとなった。
 どうせ骨組みだけにしてしまうのだから、フウカのすらりとした腕でも大丈夫だろうと思っていたが、あてが外れた。やはり長さがハヤトの体長に合わない。これは見た目もさることながら、実際の生活では不便なのである。これならフウカの腕を流用するより、元々の義肢を修理した方が早い。
「俺の腕が戻ってくるのは、当分先かな」
 未だに動かない左腕を見ながら、ハヤトはそうつぶやいた。



 世間のニュースを騒がせていた謎の電波障害も、日が経つにつれてあっという間に人々の記憶から消えていった。何しろ原因不明、そしてあの山の近辺ということもあり、常識的な人たちはそれに関わることを嫌ったのである。また、ニュースであまり報道されなくなったことについて、どこからか緘口令が敷かれたのではないかと囁かれたが、それすらもあっという間に消えた。
 もっとも影響を受けたであろう、山に住む者たちは何一つ事実を知らない。ただ、ほんの少しの人たちを除いて。
 やがて電力も復旧し、彼らはそのことを忘れるように、普段の生活へと戻っていったのである。


 夜は、宇宙だけの出来事ではない。
 巨大な山には明かりなど存在しない。この夜に乗じて、人々はスクラップを投棄する。名もない一個人や、音もなく夜間飛行する巨大企業お抱えの業者まで、闇はその全てを覆い尽くしていた。この山は無法地帯と呼ばれているが、そこには確かに法が存在しているのである。
「色々考えたんだけど」
 影は、一呼吸置いて続ける。
「やっぱり廃棄する場所はここしか思いつかないのよね」
 目の前には、スクラップの山がそびえていた。それは不気味なほど静かな、大きな影であった。
「ううっ。フウカちゃんとお別れするのは寂しいなあ」
「……あんたもここに埋めてあげようか?」
「そ、それは困るなあ……」
 そして二人は黙々と山に登っていった。大きな荷物を背負いながら、足場の悪い山に登るのは骨が折れた。なにより、その暗闇がその行く手を阻む。
 山は、彼らにとって廃棄する場所であり、そして再生する場所でもあった。


 結局、ハヤトの義肢は今のものを修理して使うことにした。フウカの手に心が動かなくもなかったが、やはり愛着のあるこの手が軽快に動くところを見ると、心地よかった。
 そして、ハヤトは自らの手で一つ一つフウカのパーツを解体していった。
 キヌエとは話し合いの末、データを消去できるものは出来るだけ消した上にチップをばらばらに分解し、そして使えるものは再利用することで決着がついた。やっぱり彼女は秘密を墓にまで持っていくつもりのようだ。けれど、それこそが彼女なんじゃないかと思う。
 フウカは死んでしまった。けれど、自分の知らないどこかで、フウカが生きている。極限まで細分化されたパーツがまた何かに再利用されるなら、それでいいじゃないか。そう思うことにしたのだ。
 彼女を分解し、そして使えそうなものは取り出した。こんなにもたくさんのパーツで出来ているのかと、改めて人間の英知を思い知らされずにはいられない。
 彼女の体から取り出した四肢は、また誰かの体で生きていくことになるだろう。
 そして残りのパーツを山に廃棄する。それをまた誰かが拾い、考えもつかないような物事に用途を見出すだろう。
 ゆっくり山を歩きながら、彼らはフウカのパーツを撒く。
 山を歩きなれているハヤトでさえ、真夜中の山は予想以上の恐怖であった。古びた暗視スコープの貧弱な視界を頼りに歩を進めるが、不安定な足場によろめき、けつまずく。ましてや山に不慣れなキヌエは言わずもがなである。二人は手をつなぎながら、一歩ずつ踏みしめて進む。そしてフウカだった部品を撒いた。
「だから、一人で行くって言ったんだけどさ」
「……ごめん、でも、どうしても――わあっ」
 彼女はどうしても行くと言い張った。ハヤトは危険だからと一応説得したが、それでも意見を曲げなかった。彼女なりにフウカと決別したかったのだろう、と思っている。
 足を滑らせかけたキヌエを抱きとめる。
「大丈夫?」
「うん……」
 珍しくも、主導権はハヤトにあった。借りてきた猫のように大人しくなっているキヌエを見て、たまには山に連れてこようかと愚にもつかないことを考える。恐らく一生実現しない気がした。
 最後に、フウカの頭脳ともいえる数十に分かれたチップを、そっと握り締め。ゆっくりと山を下りながら、一つ一つ、立ち止まっては投げた。
 また、君に出会えるといい。
 「散骨」を終えて、すっかり空っぽになった袋を最後に投げ捨てた。
 去り際に、山に向かって手を振った。それをキヌエは黙って見ていた。長い時を経て、再びフウカと出逢うことが出来たなら。今度はキヌエも文句を言わないだろう。
「行こうか」
 彼はキヌエの手を握り締め、そして歩き出した。
 山がぴしりと、電気を帯びた気がした。

(完結) 2010.06.27




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