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山育ちと都会の猫 6


 ハヤトの家は古い建物だけれど、外の有害な空気を家に持ち込まないような仕組みがついていた。玄関は二重扉になっていて、まず外の扉から入り、そこで埃を落とす。
「本当にごめんなさい」
 キヌエが深々と頭を下げた。そして無断で持ち出したガスマスクが差し出された。
「謝るのは私のほう。あれだけお世話になったのに勝手に家を出て、挙句勝手に人のものを拝借して。もう最低」
「そんな、やめてよ」
 重苦しい雰囲気を誤魔化すように笑顔を見せた。
「でもこれはお気に入りだったから助かるよ。ありがと」
 そう言い、マスクを受け取る。
 そして内扉を開けたら、そこには予想していた通りの光景が広がっていた。犬猫からの熱烈な歓迎。そう、二重扉は彼らが脱走しないための仕組みでもあるのだ。
「ただいまただいま〜」
 集まってくる毛玉たちに埋もれそうになりながら、ハヤトは必死でもさもさと撫でる。はしゃぐ犬猫たちを壁際に寄せながら、なんとか通路を確保する。
「さっ、早く入って」
 そう言って後ろを振り返ると、キヌエはかがみこんでアズサの頭を撫でていた。手つきはまだまだおっかなびっくりだったが、自分から猫を触れに行った彼女の変化にハヤトは目を見張った。アズサは大人しく頭を撫でられて喉を鳴らしている。
 その様子を見て犬猫を誘導することを止め、居間兼作業部屋に入ると、ぞろぞろとみんなついてくる。作りかけの義肢が散乱するカオスな部屋はあっという間に賑やかな部屋になった。
 お湯を沸かし、相変わらず泥のような味のコーヒーを淹れる。
「ささ、どうぞ」
「ありがとう」
 コーヒーをすする音のみが響く。
 キヌエが口火を切った。
「聞いていい? さっきの人、ハヤトさんの知り合いなんでしょ?」
「ああ、いや、その人のことは気にしなくて大丈夫だよ」
 頼むからもう蒸し返さないでほしかった。だがキヌエは不満そうな顔である。
「あの人ハヤトさんを……取った、って言ってた」
「うう、それね……その事なんだけど」
 言ってしまおう。
 言ってしまえば楽になるのではないか。
 だがハヤトは自分の気持ちを言い出せずにいた。言ってしまえば、本当に楽になれるのだろうか? もし駄目だったらおしまいじゃないか。
 そんなハヤトの葛藤を知ってか知らずか、キヌエが慎重に探りを入れてきた。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、ひょっとしてハヤトさんて、その……さっきの人と恋人なの?」
 ハヤトはコーヒーを喉に詰まらせた。誤解されている。「それだったら確かに納得できなくはない」などと言葉を続けられて、思わず肩をつかんだ。
「ちょ、ちょっと待って! そればっかりは違う。シラユリは……仕事関係のつながりの人で、本当に何もないんだ。いつも冗談でああやって言い寄ってきて、本当に困ってるんだよ」
 まさにシラユリの思う壺であった。必死に熱弁を振るうあまりに、気づいたらずいぶん近くまで詰め寄っていた。気恥ずかしくなって、ぱっと顔をそらす。視界の隅にアズサがあくびをしているのが見える。
「そうなんだ。そんな必死にならなくても」
「いやいやいや。大事なことだからね!」
 ぜいぜいと息が上がっているハヤトを尻目に、キヌエがくっくっと笑い出した。
「はー、おかしー」
「そ、そりゃよかった」
 まるでなんでもないことのように、キヌエは語り出した。
「私ね、死ぬつもりでここに来たの。でも、死にきれなかった。なんだかもう、わけわかんなくなっちゃって。ここの人ってヘンな人ばっかり。スクラップの山は人生の終着点だなんて言葉があるけれど、そうでもないみたいね」
「そっか。なんか引っかかる言われ方だけど、あいつらのお陰でキヌエが死ぬのを思いとどまってくれたのなら、あいつらも人の役に立つことってあるんだね。……ひょっとしてその中に俺も入ってないよね?」
 ハヤトの問いにキヌエは笑うばかりだった。ムラサキ、シラユリと同じカテゴリーに配置されるのは微妙な気分だったが、彼らのむちゃくちゃな部分が一役買っていたと思うと複雑であった。
「まあ、ここに来た時点で何かあるんだろうなーって事は予想してたよ。でも、キヌエちゃんが死んだら、悲しむ人がいるんだよ。……お、俺とか」
「……ありがとう」
 最後の「俺とか!」はかなり大見得を切ったアピールのつもりだったのだが、あっけなくかわされてハヤトは内心がっくりきた。
 だが、ここで流されるわけにはいかない。
「本気で言ってるからね?」
「うん。……んん?」
 キヌエがびっくりした顔でこっちを見た。
 妙な沈黙が場を支配する。
「あ、あのさ」
「うん」
 もはやハヤトはキヌエを直視することが出来なかった。
 だが、もうくすぶった気持ちを抱えたまま、方々を探し回るのはこりごりだった。
 ずっと一緒にいて欲しい。できることならば、ずっと。
「その……つまり。ええと、うん」
「う、うん」
「け、結婚してくれないか」

 キヌエはしばらく固まった。
 やってしまった、と思った。タイムマシンがあるのなら、一瞬前に戻って全てを取り消したい。一瞬前の自分をぶん殴りたい。わずかでも可能性があると思った自分が馬鹿だったのだ。
「…………は?」
 だいぶ間が空いて、彼女はやっとそれだけを口にした。
「あ、いや。ごめん。ほんとごめん」
 いつもの癖でつい謝ると、彼女の顔がみるみるうちに赤く染まる。思いのほか強い力で、襟元を掴まれた。
「あんたねえ、そんな、そんな大事なこと、軽はずみに言うもんじゃないの!」
 彼女が今まで聞いたことのないような大声で怒鳴ったから、ハヤトは小さくなって「ごめん」と言うほかなかった。
「だって、だってまだ出会ったばっかりじゃない。私のこと何も知らないでしょ!? 私だって、ハヤトさんのこと何にも知らないんだから」
「あーうん、でもこれから知っていけばいいんじゃないかな」
「そういう問題かーっ!!」
 キヌエはハヤトにチョップをお見舞いした。もちろんフリだけで全然痛くはないけれど。
 なんだか様子がおかしいと、さすがのハヤトでも気がついた。確かにキヌエとは出会ってから間もない。だが、こんなに彼女が取り乱している姿は見たことがなかった。シラユリと対峙した時でさえ、平静を保っていた彼女が、である。
 彼女は胸元を押さえて、はぁー……と深くため息をついた。
「――本気で言っているの」
「う、うん。もちろんだ。男に二言はない」
 言ってしまえ。
 半分やけである。勝算なんて計算できる頭ではない。それに、もはや引き返す道などなかった。今更冗談だと言って取り返せるだろうか?
 心臓が激しく鳴動して、体中に鼓動が響いている。
 もうここまで来てしまったら、潔く散るのも悪くはない。傷つかないでいられるか自信はなかったけれど、せめてかっこ悪いところは見せないで散りたかった。背中を向けてアズサをからかいながら、全身は張り詰めていた。自然体を装いながら、彼女の言葉を待つ。

「わかった」
「そっか……え? 何?」
 聞き間違いだろうか。振り返るとキヌエの視線とぶつかる。覚悟を決めた女の顔が、そこにはあった。その真剣なまなざしに吸い込まれそうになる。
「――よろしくお願いします。ふつつかものですが! あと、仕事ばっかりしてたから家事はほんとに不得手ですが、できる限り善処していく次第です」
 今度はハヤトがぽかんとする番だった。
「本当にいいの?」
「……。男に二言はないって言ったんじゃない!!」
 キヌエの中で何かが切れたらしい。ハヤトの首に腕をかけ、そしてそのまま締め上げる。それは紛れもなくハヤトイチオシのプロレスラー、アンドロイド中沢仕込みのヘッドロックであった。振り払う術は試合を見て当然知っているけれど、ハヤトはなすがままにされていた。自分が惚れた女性が図らずもプロレス好きであったことが嬉しかったし、何より体が触れるのが嬉しかった。笑みがこみあげてくる。
 自然と締め上げられていた腕がゆるんで、キヌエと目が合った。ハヤトはキヌエの顔をまじまじと見つめた。顔から耳の先まで赤く染まった彼女を、今はただいとおしく思った。
「ぎゅってしていい?」
「それを敢えて聞くの」
「うん。ぎゅー」
 ぎゅっとしてやった。キヌエは困った顔をしながら、だが抵抗しなかった。柔らかい曲線が、ハヤトの胸に当たる。
 ただハヤトにとって残念だったことは、この時のヘッドロックで今後の力関係が全て決まってしまったことである。


 * * *


 数年後。
「キヌエちゃん」
「何?」
「今更だけどさ、なんでプロポーズを受けてくれたの」
「なんで今更それを聞くの」
「いや、まあいいや……。愛してるよ」
 ぎゅむっと頭を両手で掴まえられ、妻キヌエの怒ったような顔と対峙する。不機嫌なのではない。照れているのだ。
「耳の穴かっぽじってよぉく聞けー。いいか、女は度胸だ」
 それは中沢のマイクパフォーマンスのパロディであった。
「うははは。やっぱりキヌエちゃんらしいよ」
 笑っていると、キヌエの顔がぐっと近づいてきて、柔らかいものが唇に触れた。今夜は長い夜になりそうだった。


(2013.08.10 了)

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