モドル | モクジ

● 消えるマキュウ ---  ●

「ひどい! そんなボールを投げるなんて……」
 無意識のうちに、そんな言葉を口にしていた。何故こんな言葉を口走ったのか、よく覚えていない。
「はるかっ!」
 そこへぎゅっと抱きついてくる、一人の少年がいた。
 ぼんやりした意識の中で思う。この人を知っている。
「……りゅう!? 何、何してんの!?」
 暖かい、春の日差しのようなまどろみから、遥は一気に現実世界へと引き戻された。
 ここは真っ白な、見知らぬ部屋だった。遥の記憶が、これは病院だ、と告げる。しかも、あの世界ではなく、れっきとした現実世界、遥のいた世界であった。
 そして遥を力いっぱい抱きしめているこの少年は、紛れもない、竜之介だ。
 遥はユニホームではなく、パジャマを着ていた。ピカチューの柄が入った水色の、自分のパジャマだった。
「りゅう、痛いよ、やめて、離して」
「心配してたんだぞ! あの時ボールが遥にぶつかって、んで倒れて、びっくりしたんだから」
 そう言われて遥は何も言えなくなってしまった。力のこもった腕も、きつく抱きしめているこの力も、かすかに震えている肩も。竜之介が心配していた証拠だった。
「うん……ありがとう」
 ようやく竜之介が腕を離す。真正面で遥の顔をしっかりと見つめてきた。近い。
 竜之介が言うには、あの後、気を失った遥を抱えて自力で遥の家まで送り届けたそうだ。その惨状を見たお母さんが救急車を呼び、そして遥は病院に収容された。当然それは監督の耳にも入り、こっぴどく怒られたそうだ。
 帰ってきたというより、長い長い夢を見ていたようだった。
 今の遥にとっては紛れもなく、ここが現実だ。じゃああの世界は? あの人たちは?
 やっぱり、夢だったのか。
 そんな不安を打ち砕くように、りりりん、という音が突如割って入ってきて、遥は身をのけぞらせた。何かが耳元から滑り落ちてきたのだ。それはまるで濁流のように、鮮烈に記憶を取り戻させる。
 それは紛れもない、あの耳飾だった。
「何これ?」
 竜之介が拾い上げる。やや紫がかった赤色の石が、きらりと光った。
「それ……」
「遥の?」
「うん」
「……ふうん」
 遥は竜之介から耳飾を受け取った。
 りりりん、と揺れて、『彼』の言葉が聞こえた気がした。
『次回は成長していることを楽しみにしておくぞ』
 あれほど遥を恐怖におとしいれたこの声だったはずなのに、もう、恐怖は感じなかった。
「ね、遥が寝ている間にいろんなことがあったんだから」
 学校の話、クラスの話。ゲームやマンガ、野球の話などを聞いているうちに、ああ、やっぱり遥は『こちら側』の人間なんだという感覚が湧き上がってくる。
 遥は耳飾を握り締めた。
「ね、りゅう。僕のほうも、いろんなことがあったんだよ」
 一言ずつ、確かめるように。遥は語りだした。ずっと竜之介に聞いてもらいたかったのだ。
 あの世界で起こったことを、ずっと忘れない。そう心に決めた。


「……で、もうすっかり具合はいいのか」
「はい!」
 竜之介が怒られたと聞いて、遥は自分も怒られるんじゃないかと内心びびっていた。けれど、またこのユニフォームを着てリトルリーグの練習に来れたことが、遥はすごく嬉しかった。
 監督から二、三、叱責ともいえないような注意を受けた後は、あっけないほどすぐに解放された。そこへすぐさまチームのみんなが取り囲む。
「遥ちゃん、元気してた〜?」
 まずは寅吉と礼央からの洗礼。一人からはない胸を後ろからわしづかみされ、もう一人からはカンチョー。
「いやあああっ! 何すんのっ!?」
 逃げ回るが、二対一じゃ分が悪い。
「お前ら、ホントにそれしか能がないのな」
 つっけんどんな物言いは鷹博だ。
「なんだよ〜」
「ちょっと、やめろっ」
 そして彼らの標的は鷹博へと移る。全くいつもどおりの流れに笑ってしまう。そうだ、これがフレアーズだった。
「また、バカばっかりやってっ」
 そこへ強気な声が割って入った。少し日に焼けた顔が、遥を真正面に見据えた。ポニーテールがまた少し伸びた気がする。
「遥! おかえり」
 公美子だ。彼女は、ぽーん、と弓なりにボールを投げてよこす。
「遥が寝てる間に、私ずっと頑張ってたんだからね」
 だから、遥も頑張ろ。それは挑発の言葉というより、彼女が言外に遥を思いやっているように思えた。
 僕もホントは頑張っていたんだよ。遥はそっと心の中でつぶやいた。
「よし、みんな集合!」
 監督がベンチの前で手を叩いた。それにみんなは大声で応え、駆け出す。
 遥も慌てて駆け出す。体力が落ちているのか、ちょっとふらふらしながらみんなについていく。こっそり竜之介を見ると、ばっちり目が合った。監督が呼んだらもう私語厳禁なのにもかかわらず、彼は笑いかけた。
「みんな遥が帰ってくるのを待ってたんだよ」
 にっこり微笑む顔に、あの犬耳の人の面影が重なった。


   ◆◆◆

「行ってしまったか……」
 ラングは今まで遥がいた重みを手に感じながら言った。かすかに残った体温も、急速に消え去ろうとしている。
「いやー、あの驚いた顔! 痛快じゃのう」
 ジョルジュはにやにやと笑みをこらえきれないようだった。
「本当なんでしょ? 本当にまた来れるんでしょ?」
 ポーラがジョルジュにせっついている。
「ああ。本当だとも。ワシが召喚を成功さえすればな」
「なにそれ! 駄目ってことじゃーん」
 ポーラの容赦ない言葉がジョルジュを刺す。
 彼の後ろからは、敗北のショックからすっかり立ち直ったピエールがつかつかと歩み寄り、ジョルジュを蹴り上げていた。彼の召喚した者たちは、すっかり跡形もなく消え去っていた。
「っこの! 馬鹿兄! くそ兄! 誰が魔王だと!? 冗談じゃない!」
「やめろ! 止めるんじゃ! 痛い痛い痛い痛い!」
 目の前にはいつもの光景が繰り広げられていた。
「兄いがせっかく召喚が成功したって喜んでいるから、協力してやったんじゃないか! それを魔王だと!? ふざけるのも大概にしろ!」
 この兄弟は屈折しているとは思う。弟のピエールの方が力関係が上に見えて、結局兄に踊らされている。そしてラング自身も、こいつに踊らされているのだ。このむちゃくちゃな召喚術師、ジョルジュに。
 遥への説明はウソが混じっていた。召喚した者が帰るには、戦って勝つ必要などない。結果はどうあれひと段落ついたところで、魔法の効果は切れてしまうのだ。
「まったく、お前のおかげでみんな振り回されっぱなしだ」
「いい刺激になったじゃろ」
 ラングはこのジョルジュという男を、少し恐ろしく思った。今はまだ満足に召喚もできない召喚術師、と軽蔑されてはいるのだが、初めて召喚した遥に対してこの操縦ぷりはなかなかどうして、たいしたものだった。ひょっとしたら将来大物になるかもしれない。
 ……いや、まさかな。そんな自分の考えを一笑に付す。
「よし、帰るか!」
 その声を聞いてか、みんなもぞろぞろと帰り支度を始める。
「こいつももう用済みかあ」
 ばすん、と審判くんを叩いた。遥の球を受け続け、ラングが寄りかかった影響で、胴体はたわみ、地面に刺した軸が少し傾いている。
「なに、また開催すればいい」
 ルルベールはそう言って、審判くんを地面から引っこ抜いた。
「それもそうだな。……あいつの成長に期待するか」
 ラングは伸びをした。がぶちゃんも同じ仕草で伸びをしているのを見て、思わずふきだす。
 また、退屈な日常に戻るのだ。
 問題は山積みで何も解決していない、自警団としての、選ばれし子としての、この日常に。
 それでも、彼らのおかげで面白おかしいことが起こるのだろう。振り回されるのも悪くはない、と思った。

(了)


初出 2009.02.15(コピー誌)
web版初出 2009.11.01



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