●● 消えるマキュウ --- 七 ●●
ベンチに戻ったら、ジョルジュがリディアに問い詰められ、追いかけられ、果ては馬乗りされて暴行を加えられそうになっていた。遥は止めることもできず、すごい剣幕に身をすくませるしかなかった。
どうせジョルジュが何かやったんだ、と大方の予想はついたけれど。事情がはっきりしない。
頼みの綱のラングは体力を使い果たして横になっているし、ルルベールも見ているだけで止めない。もっとも、ルルベールがごたごたを止めるのを遥は見たことがなかった。彼はもともとこういったものに関与しない性格なのかもしれない。
ポーラが駆けてきた。遥は後ろめたさもあって、逃げそうになった。罵られても、仕方がない。だが、ポーラは二言三言を発しただけで、ぎゅっと手を握った。グローブをはめていたせいかじっとりと嫌な汗をかいている、その手を。
追撃するように、がぶちゃんが肩に乗ってきた。ひょっとしたら、慰めてくれているのかもしれない。
「あーあ。使っちゃったのか、あれを」
ラングが倒れているからよかったものの、とピピは心の中でつぶやく。いや、よくない。どっちにしろ何らかの責任は問われるだろう。きっと彼はまた不肖自警団の汚名を着せられるのだ。哀れなことに。
「うちの主ってば何考えているのかしら! あれってハルカちゃんの動きを封じるためのものでしょ!? そこまでして勝たせたくないの!? まあ、なんてイジワル!!」
モモは憤慨していた。
非常用として、召喚者が使う装置を発動したのだ。シャーロワの召喚契約法は被召喚者を保護するだけに留まらない。もしも召喚者が手におえないほどの者を召喚してしまった場合の措置が用意されている。それがこの装置であり、そういった意味でシャーロワは双方にとって不幸になりにくい、召喚に対して先進的なところであるといえる。
しかし今は間違いなくその装置を発動するタイミングではない。モモが怒っているのも理解する。だが、ピピは別の可能性を発見していた。
「……そうでもないぞ。あっちを見てみるんだ」
その言葉の通り。相手チームは統制を欠いていた。弟のピエールが叱咤するも、召喚された者たちはうろうろするばかりで話にならない。
「まあ! ホントね! うちの主ったら、考えなしに使っちゃったのかと思ったけど、違うのかしら!」
「うん、どうだろ……」
そのあたりはピピも首を傾げざるを得ない。あのジョルジュがそこまで考えて行動に移しているとは、とても思えないのだった。
遥はがぶちゃんが嬉々として打席に向かうのを、ぼんやりとしながら見送った。
次は一番だ。自分の番。不安がよぎる。ここでチャンスを逃したらおしまい。帰れない。今の状況はチャンスでもあり、重圧でもあった。
そんな遥をあざ笑うかのように、ジョルジュがくくっと笑みを漏らす。
遥は恐れをなした。言葉が通じなければ、行動の読めない怖い人でしかない。
後ずさろうとする遥をがっと捕まえて、ジョルジュはまるで口づけをするように顔を寄せた。遥は露骨に顔をゆがめたが、それを気にせず彼は耳元で何かをささやいた。もちろん意味はわからなかったけど、遥には激励の言葉であるように思えた。
予想を裏切って、と言うべきか、ある意味予想通り、というべきか。がぶちゃんがいい音を響かせて――デッドボール。何故だか嬉しそうに一塁方向へ歩いていくがぶちゃんを見送り、遥はバッターボックスに入る。
やっぱり、さっきとは違う。ぐるりとグラウンドを見回して遥は思う。
打つ!
気合いだけが前のめりになっていた。空振り。
もう一度、ボールがピッチャーへと戻る。遥のボールを追いかけた視線が、ピッチャーとぶつかる。今度は打つ。
セットポジションと同時に息を吸う。
打っ、た!
手ごたえを感じて、遥は走り出した。
しかし、がぶちゃんは機嫌よく歩いていたため間に合わずアウト。ワンナウトとなったものの、遥が一塁に残塁。
次はポーラ。彼女もまるでジョルジュと打ち合わせでもしたかのように不敵な笑みを浮かべている。遥はまったくわけがわからず、どきっとする。ちゃんと戦ってくれるのだろうか――という遥の心配をよそに、今までで一番いい打球を打ってみせた。地上低く走るライナー。これでワンナウト、一、二塁。
続いてのバッター、リディアの目が熱く燃えている。彼女は今回いいところを見せていないプレッシャーを感じているようだった。
「リディアさん! 危ないっ!」
気合いで――デッドボール。当てられた、というよりは当たりに行ったように見えたのはきっと遥だけではない。だが、審判くんにそんな高度なジャッジをする機能があるわけでもなく、試合はそのまま続けられた。少し疑問を感じたものの、言葉が通じるわけでもなし、黙っていようと思ったのだった。
満塁サヨナラのチャンス。この打者がアグニとなったことに、なんとなく理不尽さを感じたものの、遥はほっと胸をなでおろした。自分だったら、最終回サヨナラのチャンスの打席は荷が重かった。けれど、自分の手で終わらせることが出来ないのはやっぱり悔しい気がする。そんなごたごたの気持ちを吹き飛ばすかのように、アグニの豪快なスイングが球を吹っ飛ばしたのだった。
――終わった。
遥はゆっくりと確かめるように走り、そしてぴょんとホームベースを踏み抜いた。
嬉しくて、というよりは、長い戦いがようやく終わり、気が抜けた、と言ったほうが正しかった。しかし、じわじわとあふれてくる高揚感は紛れもない本物だった。駆け寄ってくる歓声に、遥も歓声で返した。
その後ろから、ラングがゆっくりと歩いてくる。
そして、そっと遥の耳に手を伸ばした。
ひやりとしたものが耳に触れた。遥は反射的に身をのけぞらせた。さっきの不快な音が、ありありとよみがえる。
ラングが、ゆっくりとささやいた。それは遥を落ち着けようとしているように思えた。
手のひらを見せる。やっぱり。さっきの耳飾だ。
ラングはそれを自分の耳にぴったりとくっつける。彼はしばらくそうしていた。大丈夫だ、とでも言いたそうに。
そしてゆっくりと遥に手を伸ばす。今度は、遥も逃げなかった。
言葉が、流れてきた。
「な? 大丈夫だったろ?」
「う、うん」
じわりと、瞳が濡れそうになる。
「あは、この程度で、俺も、情けないな」
ラングはうめく。
「ええと、この耳飾」
さっきの音はなんだったの。
会話に割り込むように、後ろに大きな影が現れた。アグニだった。
「並ぶんだろう! この腰抜けは俺が担いでやるから、行け」
「ははは……誰が腰抜けだって」
ラングは軽口を叩きながらも、アグニの肩を借りていた。
両チームはマウンドに並び、向かい合う。気の抜ける声で審判くんは宣言した。
「ありがとうございました!」
礼をする。相手チームもぱらぱらと、お辞儀を返した。
十二対十三。逆転サヨナラで試合は終わりを告げたのだった。
「ふっふっふ。わしの兵器は役に立ったじゃろ?」
自慢げなジョルジュを、まだ元気なリディアがとっちめていた。
「本当に何考えてるのかしら! これは危険な被召喚者を取り押さえるのに使うものでしょ!? ハルカまで巻き込んで、こんなことに使っていいと思ってるのかしら!」
「後で詰所に来てもらう。……と言いたいけど、どうせ俺の知り合いだからって俺が叱られて終わりなんだよな……」
ラングは力なく耳をかいた。見た目はボロボロながらも、立ち上がるまでには復活したようだった。ただジョルジュとの取っ組み合いに参加する元気はないようで、その様子を見ているだけだ。
遥は浮かない顔だった。
試合には勝ったけれど。魔王の怒りに満ちた顔、その怒りの矛先をぶつけられる相手チームの男たち。そしてもはや視線を向けることすらためらうポーラ。なんて後味が悪いんだろう。試合に勝つことって、こんなにも苦しいことだったっけ。
そして何より――活躍していない。いくらなんでも、そんなんで帰れるとは思えない。
「ハルカ!」
「うひゃー!?」
そんな遥の憂鬱を取っ払うかのように、彼はくるりと向き直り、遥を抱きしめた。思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「とうとう勝ったな、おめでとう」
抱きかかえてくれているのは、ラングだった。不思議な既視感が遥を襲う。
ラングの足元がぐらついた。無理しないよう言うと、最後だから、とよくわからない理屈を通された。意地でも遥を下ろす気はないようだった。
遥の体は青白く光を放ちだした。まるで来た時と同じだ。あの光だ。
やっと帰れる。遥は現実世界に帰る資格を得たのだ。ほっとすると同時に、目の前で起きている「現実」が心に引っかかる。素直に喜ぶことが出来ない。
それに。
「僕……活躍してないのに」
「ハルカ」
ラングのたしめなるような声が、驚くほど近くから聞こえて、どきりとする。
「ハルカ。ヤキューって、何だ? みんながみんな、四番だったら、どうなるんだ?」
ラングの言いたいことがわからずに、言い返す。ルールなら散々教えたのに。
「みんながみんな四番だったら、野球はできないよ」
「そうだろ。ピッチャーがいてバッターがいて、足の速い選手がいて打つのが上手い選手がいて、それでこそ『野球』だろ。ハルカはホームランを打つのが役割なのか? そうじゃないだろ。それだけが『野球』じゃないだろ」
「……うん」
そうだろ、と言ってラングはにっと笑う。
「……でも僕、寂しい」
遥はつい本音をこぼした。
こっちのみんなとは会えなくなる。最初はあんなに嫌だったのに。あんなに怖かったのに。泣いてばかりいた。それなのに、別れるとなるとこんなに寂しいのだ。
やっと帰れる。このときを待ちわびていたはずだ。なのに、後ろめたい感情が支配している。
心の準備なんて、まだだ。それなのに、目の前で、次々と別れの挨拶が繰り出される。
「おう、ハルカよ! 元気でやれよ!」
「達者で」
アグニとドニ、ギーと握手を交わす。アグニの手はとても大きかった。
ふわりと人形が飛んできた。モモだけでなく、モモそっくりの黒い衣装の人形も。そして足元にはうさぎのピピが、ちょこんと座っている。
「ハルカちゃん! 勝ったわね! やったわね!」
『うん。面白かったよ』
リディアがぎゅっと抱きしめる。遥は、ラングとリディアに挟まれるような格好になった。そして彼女は耳元でこうつぶやいた。
「なかなか、かっこよかったわよ」
思わず顔が赤くなる。
リディアが解放してくれたその後ろでは、ルルベールが手を挙げている。
「ハルカっ」
そして、ポーラ。
「本当にごめん」
別れが惜しい理由がここにもあった。ポーラに黙っていたことが、今もまだ心をちくりと刺す。それと、ほのかに心に芽生えた何かが。
「謝らないでよ」
彼女はそこでにいっと笑った。いたずらめいた笑み。
「また来れるんでしょ?」
「え?」
ジョルジュが不敵な笑みを見せていた。
「ハァルカ、ワシの下僕よ。今回は使命の達成、大儀であった」
「今回はってなんですか」
嫌な予感がする。ジョルジュがあんな顔をするときは、決まって何かがあるときだ。この短いつきあいでさえ、遥にはそれがわかっていた。
「まさかお主、一度きりだと思ったか? 次回は成長していることを楽しみにしておくぞ」
「えええっ、えええええええ――!?」
それが、遥がシャーロワで最後に交わした言葉であった。
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