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04.記憶喪失


『赤コーナー、リングの支配者! 割田、勝治〜〜!!』
 スピーカーから歓声があがる。
『対する挑戦者はぁっ、機械仕掛けの侵略者! アンドロイド中沢〜!!』
 派手なスポットライトが手術台の一角を照らすと、そこから、まるでロボットのようないかつい面の男がせり出した。
『おおっ! 中沢の外殻が変わってますねー。どうですか、解説の秋吉さん』
『そうですね。彼はこの試合のために秘密兵器を導入したとの話もあります。何が出てくるのか楽しみですね』

 キヌエは立体映像に心を奪われていたが、ふと視線をはずした。背後で物音がしては集中できない。それに、いつもは彼も一緒にプロレス観戦をするというのに。
「ねぇ、まだやってんの? 中沢出てるよ」
 キヌエは苛立ちを隠せない。いつも立体映像に夢中になっているはずなのだが、ここ数日は生体に心を奪われていることに、彼女は余計苛立っていた。
「んー、もうちょっと」
 夢中になるとすぐそうだ。この間からずっと、仕事も部屋の片付けも放り出しっぱなしで生体にかかりきりになっている。
「ああそう……」
 キヌエは気を落ち着けようと猫をなでるが、しましま猫アズサは迷惑そうに人工耳を寝かせる。ふかふかの毛玉の、この部分だけがピンク色のラバーだ。つるつるしていて、はげているように見える。
『おおっ、中沢の新兵器が発動した! 割田の表情に苦悶の色が浮かぶ!』
『あれは強化アームですね。中沢の体に負担が来なければいいのですが』
 次第にエキサイトしてきたキヌエの手に力が入り、猫がにゃあ、と抗議の声をあげた。
 ふと、背後に人の気配と肩に手の感触があった。実況の声を聞いたハヤトが、キヌエの頭越しに立体映像を見つめている。
「中沢、さらにアーム強化したんだ」
 キヌエはそれには答えず、映像に見入る。
 ひとしきりプロレス観戦モードに入ったところで、まるで社交辞令のようにキヌエは聞いた。
「で、どうだったの」
「それがね、不思議なんだよ。外皮はちょっと汚れてるぐらいで清掃したらきれいになったし、中身の筋繊維は全然消耗していないんだよね。まるで新品のうちに廃棄されたみたい」
 ハヤトはキヌエの肩もみをしながら答える。手袋をしているとはいえ、ごつごつしたハヤトの左手は痛い。なんで外皮で覆わないで骨格剥き出しのままなのか、未だに理解が出来ない。ハヤト自身はそれがカッコイイと思っているようだけれど。
「それは、確かにおかしいわね」
「そうなんだよー。それでさ、お願いがあるんだけど」
「嫌」
 ハヤトをさえぎって、きっぱりと、キヌエは言い放った。このままスムーズに事が運ぶと思い込んでいたハヤトは慌てる。
「ちょっと……まだ何も言ってな」
「い・や・よ」
 用件を言ってもいないのに、キヌエは頼まれる内容を察したようだった。しかし無下に断られてしまい、ハヤトは反撃に出ることにした。ほっぺたをつまむ。
「なにすんのよ」
 キヌエのカウンター。中沢ばりのチョップ。
「うあー」
 彼は大げさに倒れてみせた。それに猫のアズサが反応して、にぎゃーとしわがれた鳴き声をあげた。
「いいじゃんー。ちょっと中身を点検してくれたら、君も生体も幸せになれるよ」
「自分でやったらいいでしょ」
 別に頼まれごとが嫌いなわけではないのだ。当然、ハヤトが頼んでいるのだから、できるならば手伝ってやってもいいと思う。専門分野なのだからきっとキヌエの方が詳しいし、事がスムーズに運ぶだろう。
 しかし問題は、ハヤトがこの生体に熱を上げきっていることにあった。今や彼の興味はこの生体にしかないだろう。キヌエがいくら本腰を入れて解析したって、彼は感謝の言葉もそこそこに生体のほうにつきっきりになるだろう。
 それは癪なのだ。
 だが、それ以上にもっと根深いものがあることを、彼には知られたくなかった。
「あー、はいはい。わかったよ」
 あっさりとハヤトは引き下がった。自分が生体ばかりにかまっているから、妬いているんだろう。いつもこんなところがあるから、今日もそうなんだろうと勝手に思っている。実際、それは間違ってはいない。
 しかし、本当の理由をハヤトは知らない。
 キヌエ自身も言うつもりはなかった。ハヤトは何も聞かずに、ただ、この山を彷徨っていたキヌエを家に置いてくれたのだから。

 ケーブルを、頚椎にあたる部分にあるジャックポッドに差し込む。先程の手際のよさとは大違いだ。心や性格を司るプログラムをのぞくのは苦手なのだ。一応、ケーブルが断線してないか、等のチェックは行ったものの、それが実際に機能するのかどうか、わからない。
「とりあえず、起動してみよっかな〜……」
 独り言をつぶやきながらキヌエの顔色をうかがう。キヌエは不機嫌そうな様子のまま動かない。
 口を出されないことを、ゴーサインだと勝手に解釈して、彼はぱしっとエンターキーを叩いた。
 手術台には、すっかり綺麗になった生体が横たわっていた。裸のままはかわいそうなので、ハヤトのちょっとぶかぶかなシャツを着せられている。まるで人間そのもの、なのだが、不自然な格好で停止したままの様子を見て、作り物とわかる。
 宙に浮いたまま固まっていた腕が、ごろっと手術台に転がった。まるで人間のように。
 口元が呼吸のためにわずかに動き、起動時の熱を排気する。
 やがて、むにゃむにゃと人間の寝起きのような姿勢をとりながら、生体は起き上がった。起動したのだ。
「……ん? 起動したのか?」
 起動したようなのだが、生体はむにゃむにゃしている。こちらに反応を示さない。
「寝起きの悪い生体ね……」
 まったく、誰がこんな思考を組んだのかしら、なんてキヌエの愚痴を背に、ハヤトは生体にくぎ付けとなった。まるで純朴な青少年が、初恋の相手と出会ってしまったときのように。
「お、おはよう」
 声に反応して生体はぴょこんと起き上がった。
「お、おはようございますっ!」
 ぱっちりと目を開いた生体は中性的な外見に似合わず、かわいらしい返事をした。ハヤトはうっとりする。
 ミチコもはじめて見るものの様子に興奮して、尻尾をぱたぱたさせ、ふんふんと鼻をひくつかせる。
「かわいいねえ。名前は、なんていうの」
「名前……?」
「まだ、ないのか?」
 ハヤトはキヌエに目配せをする。
 静観している予定だったキヌエが無理やり引っ張り出される。いや、本当は興味があったのだけれど、彼女は無理やりを装う。
「新品なの? そんなはずは」
「あ、あなたたちが主人じゃないのですか?」
 おずおずと生体は口を開いた。どうも、様子がおかしい。
 いち早く事態を飲み込んだハヤトが答える。
「そう、俺が……」
 キヌエはハヤトの背中を叩く。たまらずハヤトは沈黙する。勝手に生体の主人にさせるわけには行かないのだ。
 言葉の主導権を奪い取る。
「残念ながら違うわね。あなたは廃棄されていたの」
「廃棄……」
 生体の水晶体は物を映さない暗い青だ。感情のない言葉に、ハヤトはどきっとして、ひそやかな声で、キヌエをたしなめる。しかしキヌエは耳を貸す様子もない。
「あなたがどんな理由で捨てられたのか、それはわからないわ。でもきっと、あなたには前の主人がいたでしょうね」
 詰問されるような雰囲気に、生体はすっかり落ち着きをなくしていた。
「どうなの? 思い出せる?」
「わ、わからないのです」
「わからない、ですって」
 苛立たしげに舌打ちするキヌエに、思ったより子供っぽい雰囲気の生体は泣きそうな表情を作る。どこまでも人間らしく性格付けがされている。どうやら家庭用なのだろうか。いや、やっぱりそういう趣向のもとに作られたのかもしれない、と鼻の下を伸ばしているハヤトを見てそう思う。
「まあまあ、キヌエ、落ち着けよ」
 誰が一番いらいらさせているのかわからないのだろうか。しかしキヌエは沈黙する。
「そうだね……とりあえずは、製造番号を言ってごらん?」
 もじもじしている生体に純情な女を感じ、内心どぎまぎしながら、ハヤトは助け舟を出した。買主が決める通り名のようなものはなくとも、製造番号ならばどんな生体でも記録されているはずなのだ。そしてそれさえ知ってしまえば、後はデータファイルにアクセスしてどこで製造されたものなのか、そして誰に買われたものかわかる。そこから対策を練ればいい。
 その生体はうつむいた。どこまでも可憐に出来ている。
「えっと……あのぉ……あれ?」
「……あんた、カマトトぶってんじゃないでしょうね」
「そんなこと言われても……わからないものはわからないんですよう」
 キヌエの恫喝に、生体は泣き出した。ハヤトは必死にキヌエを止めたが、ハヤト自身も動揺を隠せない。
 製造番号がわからない生体人形。
 知性を持ち、感情を表す、このプログラムの集合体を人間と同等に扱うことさえ主張する権利団体が世間に存在するように、世間でも、生体と家族同然に暮らす人たちも多々存在する。そんな世論に役所も頭を悩ませ、遅ればせながら対応をはじめた。今や、まだまだ市民権を得ているとは言いがたいものの、生体にも生存の権利というものは保障されている。ただし、人間同様のそれではなく、当面は犬猫等ペットと同じ扱いとなっているが。まだまだ人間主体の世の中で、生体を「所有する」「売り買いする」といった感覚があるからこそこういった法案が通ったのだろう。すなわち、メーカーは生産した生体を、所有者は彼らを役所に登録する義務がある、というものだ。
 製造番号は、生体人形を登録し、家で管理するために存在する。もし何らかの理由で生体が行方不明になってしまったとしても、その製造番号があれば、一発で家がわかるのだ。製造番号を言えない生体人形は、よっぽど頭脳に損傷を受けたかなにか原因があるのだろう。しかし、この生体に限っては、そんな不審な挙動は見られない。おかしな話だった。
 あるいは、何者かによって記憶を消されているのかもしれない。
 キヌエはため息をついた。このまま何も知らない生体を役所に突き出してしまってもいいのだが、いちいち拾った経緯を調べ上げられ、面倒なことになるだろう。何しろこの「山」は、社会的には存在していないものだ。
 世を生きている大多数の市民はここの存在を知らない。一部の人間はここの存在を知っていても、見て見ぬ振りをしている。関わらずにいられたら、そのほうが幸せだからだ。管轄する役所はその存在を知っていても、見てみぬ振りをしている。あってはならないものだからだ。
 昔のことを苦々しく思いだす。ハヤトが乳飲み子を拾い、さすがに人間の子は手に余ると役所に届けたのだ。しかし、役所の人間は冷たかった。
「本当? あんたたち、邪魔になったから届けにきたんじゃないの?」
 役所の人間が、まるで野良犬を見るような目つきで自分たちを見たことを、今でも覚えている。
 かろうじて、我々の存在を認めてくれていたとしても。その立場は限りなく低い。
 しかし、このままうちで養っていく、なんて考えは認めたくなかった。毎日チャージする電力、こまめに行わなければならないメンテナンス。パーツもそこらで拾えるような安物じゃない。限りなく消費されるお金に、一般の家庭は持ちこたえられない。生体は未だに金持ちのためのものだ。
 これは厄介なものを拾ったわ……とキヌエの気分は重かった。製造番号がなければ、一覧から調べ出すことが出来ない。パーツ等から、作られた年代、業者をあぶりだしていく他ないのだ。その手間もさることながら、第一、これの性格が気に食わない。
 正直、廃棄してしまいたかったが。一度起動させてしまった以上、そういうわけにもいかない。扱いは人間に準ずるのだ。
 しかし、旦那の方はどうやら違ったようだ。
「そっか……君は大変な目に遭ってるんだね」
 ハヤトの哀れみを含んだ眼差しに、生体は泣き声を飲み込み、しゃくりあげる。つくづくよく出来ている。
「ほ、本当ですか?」
「大丈夫。俺たちがきっと元の主人を見つけてみせるさ」
 勝手に数のうちに含まれている。
 胸に引っかかるものを感じながら、自信たっぷりのハヤトの言葉を訂正させることは出来なかった。


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