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06.藪医者


「ああ。キヌエ寝ちゃったか」
 ハヤトの心のうちは、ほっとしたのが半分。機嫌が悪い原因を作ってしまったもやもやした罪悪感が半分。心穏やかというわけにはいかなかった。
「キヌエさん、どうしちゃったんでしょう」
「あ? いいのいいの。仕事が忙しい時には、引きこもりっぱなしってことがよくあるから。そういう時に声をかけると怖いのなんのって」
 多分、キヌエがいらついているのは仕事のせいではない。ハヤトはそんな気がしたが、やはり声をかけづらかった。どっちにしろ、フウカがいる限りは機嫌が悪いだろう。それがわからないほど、夫婦生活が短くはない。
「まあ。お仕事大変なんですねぇ」
「そうなんだよねー。いつも俺がジャンクフードを食べると怒るくせに。引きこもっている間はジャンクフードばっかり。自分の体を心配しろよっていうのに」
 ハヤトは苦笑する。フウカはハヤトをじっと見ていた。彼女の青い瞳に吸い込まれていく錯覚を味わう。
「ハヤトさん……キヌエさんの事ばっかり」
「そそ、そうか? そんなことないよ。今はこんなにかわいいフウカちゃんが目の前にいるのに」
 指摘され、ハヤトはそんな自分に慌てた。フウカを傷つけちゃいけないという彼なりの紳士意識でまくし立てるが、背中から汗がぶわっと噴き出した。子供のころ、友人に好きな人を当てられたような感情を思い出し、なんだかとても恥ずかしかった。


 がたがたん! と、まるで何かが打ち付けられるような音が玄関から響いた。
 外は危険な粉塵が舞っているので、この辺りの家には、悪い空気が住居内に流れ込まないような二重扉がついているのだ。
 しかし尋常じゃない怪奇現象のようなこの音に、フウカはびっくりした顔をして、ハヤトにすがった。
「ハヤトさん」
「ああ、今日は風が強いのかな。きっと山からいろんなもんが飛んでいるんだろ」
 ハヤトはフウカの指に引っかき傷にパテを塗りこめている。その手を休めず、まるでお決まりの台詞を読むように答えた。なんだか表情が硬い。
 その時、すさまじい金属音がして、思わずフウカは腰を浮かせた。とっくの昔に腐食が始まった褐色の鉄の扉は、たった今、役目を終えたのだった。続いて内扉のロックをはずす音が聞こえ、外の風が塵と共に吹き込んできた。人体に悪そうな化学物質のひどい臭いが、生きている者の喉と鼻を刺激する。
「はっはっはっは! いるんだろうハヤト=アカサカ!」
 派手を通り越してむしろ悪趣味なピンク色のメガネをかけた大柄な男が、そこから侵入してきた。
 唖然としたフウカに比べ、ハヤトは至って冷静だった。壁にかかっているいかついガスマスクを装着し、内扉を閉めて、犬猫を別の部屋へ誘導する。
「……扉は弁償しろよ。キヌエが起きて来たら何て言うか」
「相変わらず尻に敷かれっぱなしなのだな、お前。しかし、キヌエさんに嫌われたら私は出入り禁止だからな。そこはそれ、穏便にひとつ頼むぞ」
「じゃあまずその扉をなんとかしろよ」
「あの扉はもう老朽化していたからな。今日、壊れたのは自然の成り行きだった、というわけだ。はあ、無常だな」
 まったく気にとめず、彼は部屋にあがりこむ。そんな彼に犬猫は群がった。
「うぉい! ちょっとお前ら!」
 ハヤトの制止の声も届かない。こうなったら、もはや諦めるしかなかった。ハヤトはため息をついて、部屋の空気清浄モードをオンにする。不快な音を立てて、旧式の空気清浄機が動き出した。今月の電気代はどれくらいかさむのだろうか。
 空気が入れ替わっていないうちに、男は鼻に詰めるタイプのガスマスクを鼻から取り出した。コンパクトではあるが、間抜けで実用性に疑問視されるこんなものを使っているのは、この男ぐらいではあるまいか。
「やあやあ、元気か畜生ども」
 言葉とは裏腹に、男は擦り寄ってくる犬猫を撫でまくっていた。
 何故かわからないが、この男はすごく動物になつかれるのだ。ハヤトが傷を作ってやっと拾ってきた成猫も、この男にかかると、あっという間に腹を見せる。
 この光景を見るたび、いつも羨望と嫉妬の気持ちが混じる。
「あ、あのー……」
 事態について行けず、フウカは思わず声をあげた。
 初めて気がついたように、男は驚いた。まるで新しいおもちゃを得たように、色眼鏡の下から爛々と瞳を輝かせる。食らいつくような視線に彼女は思わず一歩退いたが、男は意に介さない。
「おお! ハヤトもついに生体を買ったのか。生体はいいぞ、ただ維持費がきついのが難点だがな。お前のところにそんな金あったのか? ないよな。まだ借金が残っているもんな。いつになったら返してくれるんだろうな? それとも、この生体をかたにするか? さぞかしいい値がつくだろうさ」
「いやいやいや。勘弁してくれよ。拾ったんだよ、フウカは」
「……拾った? あの山で? ほう。……そりゃ、難儀なことだ」
 意味ありげに男はつぶやく。
「そうなんだよ。キヌエもどうやら、わからないみたいで」
「なんと、そんなはずはない! キヌエさんはお前より遥かに優秀だぞ」
「うるさいなあ。キヌエはもう寝たんだから、ちょっとは静かにしろよ」
 そんな一連の会話を聞きながら、当の本体、フウカはきょとんとしていた。
 二人は目的の言葉を発さなくとも通じ合うことが出来る、奥ゆかしい日本語を使っていた。そのため、事情を知らない者にとっては、内容はさっぱりわからない。妙な疎外感を覚えつつ、フウカは笑みを絶やさない。そういう風に出来ているのだから。
 しかしおかしな二人だった。罵り合いのようなけんか腰からはじまり、そうかと思えば会話が同じ方向を向いている。こういうのを仲がいいと言うのだろう。フウカはまた一つ学習した。
 それにしても、男の正体がさっぱりわからなかった。推測しようにも、フウカの中にはこんな格好に該当する人種データが存在していなかった。強いて言うなら、放浪者、社会からはみ出している者。といったところだろうか。だが、フウカの常識データベースがそもそもこの家の常識と異なっている可能性をフウカは認識していた。彼もまた、そういう基準に当てはまらないのかもしれない。慎重に確認を要した。
「ハヤトさん……」
 泣きそうな顔に、ハヤトはようやく気づいたようだった。
「ご、ごめんごめん。こいつはね、ムラサキといって、まあ、早い話が藪医者だね」
 やはり、フウカの想定したデータとは違っていた。この時代に即していないのだろうか。データベースの更新が必要なのかもしれない。
 藪医者と呼ばれた男はわざとらしく耳を傾けた。
「ん? 今、何か気になることを言ったようだが、まあいいとしよう。借金の利率が増えるだけの話だ」
「なっ! ムラ、お前に仕事を回してやっているのは誰だか忘れたのか!?」
「世間ではそれを癒着というのだよ。違法な義肢師、そして共謀する藪医者、かぁ? ここがまっとうな世間なら、間違いなくネット上で祭り上げられているところだ」
「まっとうな、ね。いいんだよ、この山はまっとうなところじゃないし。俺たちには人権もない」
 自虐的に肩をすくめたハヤトを、男はたしなめる。
 やはり。時代ではなく、この場所の常識がフウカの常識データベースと不一致なのだ。無意識に修正をはじめる。
 ムラサキの悪趣味な黄色い上着が、どうやら白衣を改造したものらしいことに気づく。無秩序にカラフルなワッペンが貼り付けられ、今や白衣の片鱗を残しているのは、ぎざぎざの襟ぐらいだった。
 そして相変わらずこの男には、犬猫がすりすりとくっついていた。まるで何かに酔っているかのようだった。と、ここで動物好きな者ならその違和感に気づくかもしれないが、生憎フウカにはそのような知識などない。
 どうして自分には寄ってこないのだろう。疎外感を覚えながら、フウカは男を観察した。確かに自分は人間じゃない。機械から作られた「生体人形」だ。しかし、本当にそれだけなのだろうか。
 この男の不可思議な正体を暴くようにじっと見つめる。頭のどこかで何かが切り替わった音がした。違和感を覚えながらも観察を続けると、それは突如起こった。
「……あ」
 不思議な感覚だった。視界が細くなり、男は影になった。男についていた義肢のパーツが浮かび上がる。同じくシルエットになった犬猫にも、体の一部分から半分ぐらいまで埋め込まれた義肢、人工臓器などが視える。
 相変わらず二人はだらだらと話を続けていた。
「しかしな、妙なんだよ。このごろ、義肢の誤作動による受診というのがかなり多い。まあ、俺は中身のほうは全然わからないから適当に言って帰したが。ハヤトお前、エラーが出るように細工しやがったな? 悪いやつだ」
「ちょ、ちょっと待てよ! それは本当か?」
「ああ。だから適当にもみ消してやったんだろうが。借りができたな」
「そ、そんなはずはないって。ちゃんと動作テストしたんだろ?」
「まあ、原因は他にもあるかもしれん。が、そんなの知ったことではない! とにかく、また借りが増えたということで、感謝しろ」
 ハヤトの影は頭を抱えている。その左肩から伸びた無骨な義肢も、はっきりとこの目に映る。そして背後に積まれたがらくたの機械も、視界に入ってきた。どうやらあの機械はまだ「生きて」いるようだ。
「わ、すごぉい!」
 今まで話に夢中で、まったくフウカの異変に気づかなかった二人は、びっくりして振り返った。犬猫もわれに返り、警戒して様子を見ている。
「ど、どうしたの」
「い、いえ……あの〜」
 フウカの視線は初対面であるその男へとのびていた。どっかりと椅子に座り込み、まるでこの家の主のようにムラサキはフウカの視線を受け止めた。
「ん? 俺の顔がそんなに面白いのか? それともこんなこ汚いところより、うちへ来たいか? 賢明だな君は」
横からハヤトが抗議の声を上げようとする。フウカはそれに答えず、媚びたような笑みを浮かべる。
 今、見えたもの。ムラサキの腹の中だ。あそこに何かが埋まっている。
「えぇーと? ムラサキさんも、身体改造しているんですねぇー」
 フウカの言葉に、ムラサキは少したじろいだ。モードが切り替わったのか、今はそんな顔もはっきり見える。
「な、何を言う。私のどこにそんなものが」
 ハヤトは意外そうに目を瞬かせた。
「あっれえ? ムラ、嫌改造派じゃなかったっけ? 改造施術師のくせに」
「は、笑止。俺がいつ、そんなことを言った」
「じゃあ、このおなかのは何なのでしょうー」
 フウカは腹部をじっと覗き込む。しかし、先ほどのようにはもう見えず、白衣と派手なアクセサリーが見えるのみだ。ムラサキは、思わずおなかを隠すように押さえ込んだ。
「ムラ、キヌエの前で必死にアピールしてたよね。あれー? おっかしいなー。あの言葉は嘘だったのかな」
 いつの間にか、立場が逆転していたようだ。ハヤトはにやにやしながらムラサキを追い詰める。ムラサキは肩で息をしていた。
「い、いや、嘘ではない。キヌエさんの前で嘘はつかない!」
「すごく残念だけど、キヌエに報告しないでおくよ。で、いくらくれる?」
 ハヤトは会心の笑みを浮かべた。
 ムラサキはひたすら粘った末、とうとう折れた。そうまでしてキヌエに知られたくないのかとハヤトは思ったが、借金の額面がだいぶ消えていったのでよしとした。
「すごいねフウカちゃん。そんな機能が装備されてるなんて!」
 ハヤトは勢いでフウカに抱きついた。
 何のパーツなのか、医者は口を割らなかった。せっかくのチャンスだったが、普段優位に立つことのないハヤトだけに、追い詰めるのは上手くなかった。
 しかし、ハヤトの喜ぶ姿を見ることが彼女にも喜びを与えていた。フウカは思わず、彼の無骨な左手をそっと握り締めた。
「役に立てて嬉しいですぅ」
「うん、すごいよー。フウカちゃんはかわいいだけじゃないねえ」
 彼はフウカを見つめ、にへっとだらしなく笑った後、うきうきしながらつぶやいた。
「キヌエに報告しなきゃ!」

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