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07.探究、苛立ち


 がちゃりと、自室の扉を閉める。気密性の高い部屋が一瞬きしむ。
 捨て台詞を吐いて居間から退散してきたが、今もまだいらいらが体中を支配していた。どうにも治まりそうにない。
 ここはキヌエの牙城だった。ハヤトの作業場ほどは物がないが(何しろあそこはある意味、義肢の手術室なのだ)巨大なサーバが排気音を上げていて、そこからさまざまな機材へと無数のコードがうねうねと部屋中をのたくっていた。こんな旧時代的なものを使っているのは、やはり新型を買うお金がないというのもあるが、ハヤトのアンティーク好きがうつったのかもしれないと苦笑する。
 寝る! とは言ってみたものの眠たいわけでもなかったので、キヌエはパソコンの前に座り、起動させる。ミチコもそれに倣ってお行儀よく座った。
 彼女は過去、生体の開発に関わっていたのだ。ある事件が起こり、キヌエは開発の一線から退くことになった。今は細々と外注の仕事を回してもらっている程度だ。
 キヌエはため息をつく。まさかその生体が今、彼女の生活を脅かす存在になろうとは誰が想像しただろうか。
 企業用のネットワークにアクセスする。
 経路はコンピューターが覚えている。といっても、過去のように第一線で開発をすることはない。もっぱら尻拭いだ。過去の型番となったものとはいえ、未だ現役で稼動している生体人形にも、まだまだ未知数な部分はたくさんある。想定外の何かが起こったとき、その一端を担っていた彼女も非公式ながら呼ばれることになっている。体よくこき使われている、といった方が正しいのかもしれない。
 現役の頃は、休日でもトラブルが起こったらたたき起こされたものだった。そのことを、まるで懐かしい思い出だと美化できるぐらいには年齢を重ねていた。
 この会社からは逃れようがない。しかし結局キヌエも、この繋がりを飯の種にしているのである。
 データベースにたどり着いた。過去に製造された生体人形の一覧が、専門用語とともにずらずらと並んでいる。さらに過去へと遡ると、今まで出荷された分だけではなく、試験的に製造されたものまで表示された。正規版と区別するために、青い文字になっている。
 何通かたまっているメールも無視して、キヌエはその画面を見つめた。
 キヌエ自身、簡単に見つかるとは思っていない。その筋の者からすれば、どの会社のどの型の製品か、ある程度は見当がつけられるものなのだ。しかし、あの生体には、そんなものがなかった。どの製品の特徴も、見受けられなかったのだ。
 そのせいもあって、キヌエは余計に熱くなっていた。無論、ハヤトにからんでいく生体がうっとうしくもあったが、それだけではない。生体を作ってきた自分自身のプライドが許せなかった。わからないことがあるなんて。
 隣についているミチコが、心配そうに鼻を鳴らした。

 パソコンモニタ横のランプがちかちかと光り、ぴこーんと安っぽい音が鳴った。キヌエはふと我に返る。
 上司からだった。正確には、元上司だ。キヌエは会社に所属しない一個人なのだから、もはや上司ではない。ただの発注者と受注者なのだ。しかし、だからといって力関係が変わる訳ではない。
 外付けのスピーカーからくぐもった声が聞こえてくる。
『おぉーい』
 まだ納期でもないというのに。嫌な予感がする。
「……はい。何の用でしょう」
『何の用でしょう、じゃないよ。メール見てないのか? 先方さんから仕様変更がきたんだけど』
 心の中で舌打ちする。ほぼ完成しかけていたプログラミングがおじゃんだ。
 間延びした声ではあったが、彼は有無を言わせない。
『M型……メイド型後期のやつの不具合をさ。もうちょっとかわいらしく誤魔化せないかな、って。先方さんが遊び心を出したいんだそうだ。……何せ君しかいないからさ』
 メールを開けると、内容を確認する。丁寧ではあるが、慇懃無礼な雰囲気が見え隠れする文章が、妙に気に障る。いきなりの仕様変更、しかも期日の延長は記されていない。
「メール確認しました。……期日延長はなしですか」
『うん。一週間後には出来るよな』
 どう考えても無茶な話だった。必死に頭を回転させ、時間を計算する。あの分量から、これだけのパッチをあてて、動作確認をして。
 睡眠時間を切り詰めて、百五十時間。足りないか? いや、出来ないことはない。ないはずだ。
「……はい」
 搾り出したその声に、上司は何故かほっとしたようだった。
『よかったー。君のその返事さえ聞ければ、後は安泰だもんな。じゃあ後はよろしく頼んだよ』
「ええ、それではまた」
『ああ。それでちょっと聞いてくれよ』
 通話を切ろうとすると、上司はさらに続けてきた。また始まった、とキヌエはうんざりして顔をしかめる。この男はいつも一言も二言も多いのだ。
『それで最近入ってきた新人が、また軟弱な奴なんだ。ちょっと多目の仕事をあげたらあっという間に辞めていきやがって。ったく信じられないよ、最近の若い奴は。そう思うだろー? 君もね、君ぐらいの腕なら会社に戻ってきたらいい席が待ってるんだよ? もう充分ほとぼりは冷めた。世間があのことを忘れるのは早いもんだよ。……どうしてそんなわけのわからない奴と』
「仕事を片付けますんで。失礼します」
 彼女は半ば強制的に通話を終わらせた。ミチコが大きなあくびをする。ほこりっぽい床にべったり座り込んで、今日はここで寝るつもりのようだ。
 この上司は昔から他人のプライベートをつっつく人間であった。尊敬できる部分はなくもないが、キヌエはその部分を心底嫌っていた。上司の小言とも愚痴とも取れる発言にげんなりしたが、そんな事を考えている時間が惜しい。苛立ちを振り切って、キヌエはまだ途中で放置してあるプログラムのファイルを開いた。長い夜は始まったばかりだ。


「しかしな、事実なんだよ。義肢の不具合で来院する患畜が増えてるっていうのは」
「ムラ。患畜、っていうのやめろよ。人間だろ、一応」
 この男は、治療を受けに訪れる患者のことさえも畜生呼ばわりする。慣れてはいたが、フウカの前でこのような不穏当な発言を放っておくのは気が引けた。
「確かに、部品のほとんどは山で拾ってきたけどさ。でも、今まではこんなことはなかったのに」
「今までなかったからといって、これからもないとは言い切れないぞ、アカサカ」
 もっともな指摘をされて、ハヤトはうめく。
「しかし、だな。まだチャンスは残されている。つまり、私のクリニックに来て不具合を直すことだ。こんな事態を引き起こした責任として、特別にただで雇ってやる」
 もし彼の話が事実だとしたら、自分の仕事が不完全だったのだ。ムラサキの言葉が重くのしかかる。反論する気にはなれなかった。
 いずれは彼のクリニックへ来院しなければならないだろう。お金とか、そういう問題じゃない。自分の作った義肢のためだ。
 心なしか、接続されている左腕が痛むような気がする。神経の通っていない腕が、痛むのだろうか。錆びついた腕が、鉄骨とコードで動く腕が、じわじわと違和感を発していた。
 ハヤトはちらりと時計に目を走らせた。夜も更けてきたが、相変わらずムラサキは帰ろうとする気配がない。
「……ねえ。なんでまだいるの」
「なんだ、失礼な。別に困ることはあるまい。そんなに畜生どもに懐かれてるのが悔しいか」
 ムラサキは、そこらに落ちていたコードを猫じゃらしがわりに振り回していた。面白いように猫が釣れる。
 その様子をフウカは羨ましそうに見ていた。彼女が寄っていくと、警戒され、あまつさえ敵意を丸出しにうなられるのだ。
 この場合、フウカのとる行動はひとつ。フウカは泣きついた。
「ハヤトさぁあん。どうしてですかぁ」
「え、何? どうしたの」
 ハヤトは我に返った。フウカが肩に腕を回してくる。ひんやりした、独特の素材がハヤトの肌に密着する。
「なんで私には、懐いてくれないんでしょう」
「ううん……こいつらは、野良だったから。慣れるまでに時間がかかるのかもね」
 ニヤニヤと意地の悪い笑みをムラサキは浮かべていた。
「アカサカ。生体人形にオプションをつけてやれば良いではないか。畜生が寄ってくるフェロモンを振りまくパーツをつけ、それが作動するプログラムを組み込む。出来ないことではあるまい?」
「いやいやいや。俺の専門はあくまでも人間につける義肢だよ。生体は、いじったことがないよ」
「何、今まで散々不法投棄の部品を人間に取り付けていたくせに、そこを尻込みするとは。見損なったぞ。生体人形も、箱を開けてみないとわからない。……何なら、俺が手伝ってやろうか」
 ムラサキはコードを振り回す手を休めて、尻尾を振る猫を忘れるほどに興奮していた。
 ハヤトにべったりとまとわりついていたフウカは、話が進むにつれてゆっくりと離れていった。生体人形、他人事ではない。自分のことだ。
 ムラサキによる説得は続いていた。あの手この手による悪魔のささやき。ハヤトの心が、傾いているのがわかった。倫理や法律ではなく、技術者としての探究心へのそれへ。
 ゆっくりと二人は振り返る。ムラサキはともかく、ハヤトまでも目がぎらついていて、正気とは思えない。
「え……いや、いいです! 猫ちゃんが懐いてくれなくても、いいですよう!」
 想像するだけで恐怖だった。いくら分野が重なるとはいえ、生体をいじったことのない、いわば素人に体を預けることが、どれだけ恐ろしいことか。
 止められるのは、キヌエしかいない。このときほどキヌエの存在を切望したことはなかった。

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