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08.共犯者たち


「大丈夫だよ、フウカちゃん。ほんとに! ほんのちょっと、のぞくだけだから!」
「嫌です! そればっかりは嫌ですぅ!」
 嫌がる生体に迫る男。
 このシチュエーションに、自然とハヤトの呼吸は荒くなる。
 イケナイコトをしている、この背徳感。嫌がるフウカの泣きそうな顔。部屋の隅に追い詰めて、ゆっくりと歩を進める。行き場を失った彼女は、もがくのみだ。
 もはや、探究心なのか、性的欲求なのか区別がつかない。正直彼は、欲情していた。
「ハヤト、欲求不満か……。キヌエさんはそんなこと、してくれなさそうだからな」
 冷静な指摘が水を差した。ぎょっとして振り返る。
「や、やめろよ! 俺の夫婦生活に口を出すなよ!」
 ムラサキがゆったりした椅子の上でふんぞり返っていた。
「おおかた、キヌエさんに迫ったら羽交い絞めにでもされるんじゃないか。……俺はそういうのもありだと思うが」
「ぐ……そんなことないもん。キヌエはああ見えて、か、かわいいんだよ? ベッドの中では、俺にメロメロさ」
 言うたびに虚しくなってくる。ムラサキの冷ややかな視線が痛い。
「……その様子だと、図星だな」
 彼のそんな言葉にも反論できない。すっかりやる気をくじかれてしまった。
 にやにや笑いを浮かべながら、ムラサキはずかずかと歩み寄っていた。なんだ? と思っていると、あっという間にフウカの腕を捕らえ、捻りあげていた。
「見ろ。捕獲っていうのはこうやるんだ。ちょっと関係ない話題を振って油断させるのがコツだな」
 捕らえられたフウカ自身も、信じられない、という表情を隠せない。
 ハヤトが何を手こずっていたかというと、生体人形は驚くほど高価なものでありながら、また驚くほど繊細なものであるためだ。むやみに捕まえると、故障してしまう可能性がある。専門分野ならずとも、少し生体に興味があるものならば知っていることだ。
 そのためフウカ自身も、乱暴に扱われる事はないだろうとたかをくくっていた。
 しかし、この医者はまったく予想外の動きをした。
「や、やめてください! 腕が!」
「ムラ! 腕が壊れる!」
 慌てふためいている二人を見下すように、ムラサキは鼻で笑う。そして、針の穴ほどの電源スイッチを針金の頭で突いた。しばらくすると、意識がなくなるように生体が崩れ落ちた。ムラサキはそれを抱きかかえる。
「何、その時はアカサカが直してくれるさ」

 手術台、とハヤトが呼んでいるテーブルの上に、生体人形はごろっと転がされた。
 それから、邪魔をしないように犬と猫をハヤトの寝室へ閉じ込める。睡眠中の猫を抱きかかえ、目を覚ました不機嫌なそいつに何発かパンチをくらったりしたが、大多数はムラサキが寝室へ誘導すると素直についてきた。そのまま彼ごと閉じ込めてしまおうとしたが、残念ながらそれは叶わなかった。今も彼はハヤトの横に立ち、余計な口を挟んでくる。
「しかし、この生体人形はお前の好みそうなシチュエーションど真ん中だからな。ちょっと、揺らいだだろ」
「いや、まあ、……確かに、こういうのは好きだけど」
 ハヤトは意味ありげに目配せする。
「ただ、これは純粋な……探究心としてだね!」
「おお、わかったわかった。われわれはいわば共犯だ。この件に関しては、何があろうと不問にしようじゃないか」
 キヌエには告げ口などできない。言ったら、ムラサキにさっきのプレイを暴露されてしまう。彼らはお互いの導火線の端をにぎっていた。
 生体をいじるのは初めてということもあって、分解するのにも苦労した。購入した一般人に解体されたらかなわないから、継ぎ目がわからないように精巧に作られているのだ。
 数時間かかってようやく胸から継ぎ目を発見し、ほとんど無理やりではあったが、蓋をはずして内部を覗き見ることができた。
 まるで人間そのものと錯覚してしまいそうな生体人形だが、服を脱がせ、その皮膚の下に開いた蓋を見ると、やはり機械だと思い知らされる。そこには生々しい骨や臓器はなく、ただ人工的な物体が存在するのみだ。
 一息ついて、筐体をしげしげと見つめる。
 基盤の上をうねるようにびっしりと走るコード。そして、本体ともいえる一番大きな箱の片隅に、小さなスイッチがひとつ、ふたつ。
「どうだ?」
「だめだ、わかんないよ。やっぱり人間とは全然違う。……そういえば腕が壊れてないといいけど」
 強制終了させたことによって、記憶が飛んでいないといいけど……とは言えなかった。生体が無理やり終了させられたことが知れたら、血の雨が降る。しかし、どこまで記憶が残っているか、ハヤトにはわからない。再び起動させたら、どうなるのかも。
「お? ここ、何か書いてある。製造番号かな」
 指でなぞると、削られた跡があるのがわかった。黒い筐体に、文字が刻印されている。光に反射させると、はっきり見て取れた。

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 筐体には、そう記されていた。
「Dの……4? Dってなんだ?」
 フウカ自身は言い出せなかった製造番号。いや、製造番号なのかどうかもハヤトにはわからない。何しろこんな型番は見たこともないのだ。よほど古いタイプのものなのだろうか。
 現在、一般に流通しているものといえば、メイドのM、性産業……SexualのS。他に工業用、IndustrialのI。Dという番号は聞いたことがなかった。
「ムラ、ちょっとパソコンで見て」
「このおんぼろパソコンでか。俺はこういうインターフェースは好かんのだが。大体、何世代前の遺物だ、こりゃあ」
 ぶつぶつと文句を言いながら、ムラサキはおぼつかない手つきで文字をパチパチと入力していく。
 検索画面に映ったのは、おおよそ生体とは関係のないようなけばけばしい怪しげな発色のサイトばかりだった。今も昔も、広告ばかり並べたて、実際に中身がないようなページ作りをするような輩は消えない。
「むう、わけがわからんぞ。これは何かの研究資料か? こっちは……軍事愛好家のホームページらしいな」
 恐る恐る、そのスイッチのひとつを押してみる。フウカは何の反応も示さない。電源が入っていないのだからあまり意味はないのかもしれないが。
「それだけ?」
「だいたい、キーワードで引っかかるのは変な噂話とか、内容のないページばっかりだぞ。たまに有用なページがあるかと思えば、キーワードが断片化されていたり、閉鎖されていたり。まったく使えん」
「まあね。優れた検索エンジンが開発されたと思ったら、それを追うように皆が検索にかかるような対策をするからねえ。いたちごっこって奴かな。それが出来なきゃ、取り残されるだけだからね。皆必死だよ」
 ハヤトは逡巡して答えた。
「じゃあ、生体のデータベースサイトにアクセスしてさ。一覧に載ってないかな」
「ないぞ。むむう、しかし最近はこういう……おっぱいの大きいのが好まれるのかね。うちにも来たぞ、Oカップにしてくれ! なんていう阿婆擦れ女が。俺はささやかなのが好みなんだがねえ」
 ムラサキはざっと見て、ないと判断した。すぐに風俗用生体のページに飛び、今の生体人形ラインナップに興味を示していた。派手なウェブページのちかちかした光が、彼のメガネに映る。
「ムラ。真剣に見てくれよ。フウカちゃんみたいな型のやつって、ないか?」
「ないな。大体お前は清純派が好みなんだろうが、今時こんな男か女かわからないような体型の生体なんて流行らないね」
 フウカが目覚めていたときは、あんなに褒めちぎっていたくせに。ダブルスタンダード、というか何でもけなしにかかるのはムラサキという人間だから仕方ないのかもしれない。
 しかしそんなムラサキからキヌエの悪口は聞いたことがない。惚れているのか、と聞くと、キヌエ張りに首を締め上げられた。
「惚れている? ナンセンス! 大体惚れているのはお前なんだろうが」
「ま、まあね……」
 そう言われては、ぐうの音も出ない。
 彼は自分のために譲ってくれたのではないか、とハヤトは実のところ疑っていた。だが、今更そんなことを聞いたところでどうしようもない。大体、キヌエは現在ハヤトと結婚しているのだ。
 しかしそれはハヤトの心の中に、しこりとして残っていた。彼女と結婚したときも。ずっとだ。
 だが、ムラサキは全く予想しなかったことをこぼした。
「キヌエさんは素晴らしい。虫歯一つない体の持ち主なんて、いまどきいないだろうな」
 ムラサキにとっては、このご時世、肉体改造という非人間的な行為に走らず、生身の体で生きているキヌエは賞賛に値するらしい。
 彼自身が肉体改造の施術を行う医者であるというのに。ハヤトには矛盾しているように感じられた。

 その時だった。わふ! と大きな声を上げながらかしんかしんと足音を立てて部屋に入ってきた大型犬がいた。ミチコだ。
「な!? ミチコ? お前どこにいたんだ?」
 ミチコは答えるでもなく、尻尾を振って抱きついてくる。上体を起こすと、人間の背の丈にも届くほど彼女は大きい。
 フウカ解体をするとき、犬猫は一部屋に閉じ込めたのだが、そのときにミチコはいただろうか。記憶の糸がぼやける。
「さあな」
 投げやりにムラサキは答えた。
「……そういえば。さっきキヌエについてった気がする」
 そう、ミチコはキヌエの部屋にいた。それが今、この作業部屋に現れたということは、誰かがキヌエの部屋の扉を開けたことになる。
 ここには扉を開けた奴はいない。ということは、開けたのはキヌエしかいないのだ。
 つまり、キヌエは自分の部屋から出てきたのだ!
 そんな結論に達してからの、二人の行動は速かった。
 ハヤトは真っ先にフウカの解体を中断し、元通りに組み立てにかかった。愛想良く尻尾を振りまくるミチコなんてそっちのけだった。
 一方、ムラサキはキヌエを探し出し、足止めを図る。
 この部屋に入られてはならない。入られたら、全てが知られてしまう。おしまいだ。彼はリビング前の扉で待ち伏せ、キヌエがトイレからこちらに向かってきたところを立ちはだかるように声をかけた。若干、心拍数が上がる。普段から抱いている憧れのためか、それとも、後ろめたいことへの恐怖のためか。張り付いたような笑みを浮かべる。
「やあ、キヌエさん。ご機嫌麗しゅう」
「うわ、……ムラサキさん。どうしてここに」
 キヌエは寝ていないようで若干声のトーンが落ちていたが、気にしない。一瞬嫌そうな声を聞いた気がするが、気のせいだ。彼はそう思い込んだ。ここは一気まくし立て、主導権を握るのだ。そうだ、それで決まりだ。
「いやだなあ。キヌエさんに逢いたいからに決まっているじゃないですか。そんなよそよそしい僕らの関係じゃないでしょう」
「そうでしたっけ。――ところで、そこを通してくれない」
 とろんとした目つきでキヌエは見つめた。ムラサキの背中を汗が流れる。
「まあまあ。たまには、われわれだけで語ろうじゃありませんか。水入らずで」
 いきなり核心をつかれてしまい、彼は背中にじっとりと汗をかく。だがそんな様子は微塵も感じさせずに、彼は、人を小馬鹿にしたようないつもの笑みをみせた。内心はハヤトに罵声を浴びせながら。

 廊下から声が漏れ聞こえてくる。さすがにムラサキも、いつものような弁舌はふるえないようだ。若干途切れ途切れになる会話が、彼の窮地を物語っている。
 ハヤトはせかされるように必死で生体を組み立てていた。なにせ無理やりこじ開けたものだから、どうやって外れたか、など覚えているわけがない。元通りにはめ込むのだって半ば無我夢中だった。
 かなり乱暴に服を着せ、起動スイッチを押す。起動にどれくらい時間がかかるだろうか。今にも押し入ってきそうなキヌエを押しとどめなければ、これまでが水の泡だ。
 ハヤトは、今にも押し入られそうな扉から顔を出した。
「二人して、何の話してたの? 俺もいれてよ」
 援護射撃開始。
 肩で息をしながら、妙ににこやかな笑顔でハヤトは会話に加わった。ムラサキに目配せする。彼も意地の悪い笑顔で、にやりと返した。これならば恐らく間に合う。
 男たちは満ち足りたような笑顔でいっぱいだった。彼らは達成感とともに、異様なほど高揚したテンションを発散していた。笑顔とともに飛び散るさわやかな汗も、彼らの勲章だ。
「なんかいいことあったの?」
 いやにテンションが高い男たちを見て、キヌエはいぶかしむ。
 ムラサキも態度には出さないが、明らかにほっとしていた。気が緩んでか、陽気になった彼はうっかり口が滑る。
「じゃあ、そうだな。今からキヌエさんとの新婚初夜の話を存分に」
「ムラサキさん。これからウチに立ち入り禁止」
 キヌエの冷たいツッコミにも、彼はなんとか笑顔でいられたのだった。そんなことはたいした問題じゃない。彼らは大いなる目標を達成したのだ。
 しかし、ハヤトは忘れていた。恐る恐る、フウカの体内にあったスイッチを押していたことを。あれが何だったのか、彼は知る由もない。

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