type:D-0004

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11.眩暈


「申し訳ありません」
 頭を下げる一人の女。やや後ろに、追従するように立つ一人の男。
 彼らの前には、どっかりと椅子に座り込み、むっつりと黙りこくる中年の男。
 LBDプロダクツ株式会社――いまや生体人形開発の最大手であるこの会社の本社ビル七階、開発室。一階をまるまるぶち抜いて作ったフロアには、パーティションで仕切られた小さな部屋が無数に存在した。まるで蜂の巣だ。そして女王蜂の間――とでも呼べそうな、一際奥まった部分にある部屋は、開発部長の席であった。そこに彼らはいた。
 きりきりと仕事をし、食事の合間を縫って本を読み、休日は仕事の穴を補填し、開発チームリーダーの地位まで上り詰めた女。上司に対応するには、あまりにも憮然とした態度がありありと出ていた。
 女からしてみれば、もう最後なのだから、取り繕う必要がないのだ。彼女は腕を組み、やや冷淡ともいえる表情を浮かべ上司の席の前で仁王立ちしていた。
「なんでかなー。俺にはよくわかんないんだけど」
 その年齢に不相応な若々しい――悪く言えば子供っぽい口調で、中年の男性は答えた。
「相良(さがら)が辞める必要なんてないじゃん。辞めるなら、そこの無能一人だけでいいっしょ」
「いいんです」
 上司は女の後ろに立っていた一人の男を名指しした。男はさっと表情を変える。
 女――相良は突っぱねた。別に男をかばうわけでもなんでもなかった。
「もういいんです」
 もう、うんざりしていた。一連の事故のミスは、後ろの男――部下である六角の不注意によるものだっだ。
 生体人形を開発するプロジェクトの一員として、生体人形の開発に関わることが出来るのは相良にとって念願のことだった。新人の頃は、ただただがむしゃらになって仕事を覚えた。
 しかし、現実は、自分の描いていたものではなかった。なんだかんだと言い訳をしながらだらだらと仕事を引き延ばし、足を引っ張る同僚。仕様変更の作業量を考えずに無茶な進行を組む上司。休日も返上し、ひたすらくらいついていった結果、相良は異例の抜擢とも取れるチーフに任命された。しかし、現状の組織というものが、いかに無駄が多く、窮屈なものか。日々業務をこなす中、ふと浮かんだ考えがこびりつき、相良の頭をくすぶっていた。
 そんな折、業界を震撼させる一つの事件が発生した。
 ほんの小さなミスだった。しかしこんな些細なミスでも、致命的な欠陥になるとは誰が予想しただろうか。それは決壊した濁流のように大きな穴となっていったのである。
 LBDプロダクツ社の製品、「type:M-0200」。家庭用生体人形、通称「アリサちゃん」。彼女はかわいらしい外見を持った、両親が共働きで家に一人ぼっちになってしまう子供のためのお友達、というコンセプトで発売された。一般家庭には手が出ないような高い買い物だが、当初の見積もりよりも注文は多く、まあ滑り出しは上々だったといえる。
 しかし、全てが順調ではなかった。カスタマーセンターに一本の電話が入ったのが始まりだった。それがきっかけのように、電話は殺人的に鳴り出し、止まなかった。中には泣きながら子供がかけてくることもあったという。
「アリサが、壊れちゃったよう……」
 本社にはマスコミが詰め寄り、その話題は、あっという間にモニターを通じて全国に流れ、お茶の間をにぎわした。
 彼女の前でとある言葉を言うと、反応するふりをして考え込み、体を震わせながら白目をむいたままフリーズしてしまう、というものだった。それは数々の子供にトラウマを植えつけるものであったであろう。検証した現場で、大人たちでさえも凍りついた。テレビモニターの向こうで下品な顔をした評論家もどきが、得意そうに解説していたのを思い出す。
「なんでこんなことになったの」
「すいません! 本当にすいません……」
 六角の泣きそうな顔を彼女は無視した。怒りもわいてこない。
 彼いわく、問題のモジュールはほんのちょっとしたジョークのつもりで作ったものらしい。子供たちの友達である「アリサ」がこんな言葉に反応したら面白い、なんて事を同僚と話しながら笑いの種にしていたのだそうだ。それを同じフォルダに入れておいたら、テスト動作の際に誤ってアップロードしてしまったのだという。
 これは、どう取り繕って報告したらいいものか。
 相良は報告書作成というものが苦手だった。こんなしょうもない失敗を見栄えのする言葉で飾り立てたって、失敗という事実には変わりはない。それなのに、さっきから何回も書き直しをくらっている。
 くだらない。
 相良は深くため息をついた。諦めというより、吹っ切れたのだった。こんなところにいて、自分は何をやっているのだろう。くだらない尻拭いか。もっともっと、出来ることはあるはずなのに。
 彼女の立場だと、実際にプログラム修正に追われるわけではない。それなのに責任をかぶるのはチーフ職である彼女だった。やってもいない失敗の始末書作成や説明責任に追われることとなる。なんだろう、この矛盾は。
 相良は自席に戻り、新しい紙を用意した。この時代に紙を使うのは非現実的だが、大事な書類は紙媒体でないといけない、という信仰がまだ根強く存在している。あまり考えずにすらすらとペンを走らせた。書式はわからないが、こんなものでいいだろう。
 その様子を見ていた六角が慌てた。
「ま、待ってくださいよ。どうして相良さんが!」
 彼女は立ち上がってつかつかと上司の席まで歩いた。すがりつくように六角がついてくる。
「そんなの、おかしいですって。責任を取るなら僕ですよ。相良さんが辞めることないじゃないですか」
 彼の嘆きを流しながら、相良は上司の前で一礼した。さすがにそこから一歩を踏み出すのに、少し勇気を要した。
「失礼いたします。――これを、受け取っていただきたいのですが」
 封もされていない裸の紙を開いて、上司は目を剥いた。
「ちょ、ちょっと待て」
「辞めさせていただきます。誰に責任を押し付けるか、困っていたんでしょう?」
 目の前のぽかんとした顔を見て、もうどうでもよくなった。堰からあふれ出してしまった勢いはもう止まらない。普段なら絶対に口にしない本音を相良はぶちまけた。
 パーティションは空間をきっちりさえぎっておらず、周囲にはこのやりとりは筒抜けだった。フロアの空気が変わっていく。
 上司は予想もしなかったに違いない。この仕事人間がこんなことで投げ出すなど。こんな暴言も吐き出すことも。
 しばらく沈黙が流れた。上司は早くもこの事態に順応したらしく、口調はいつものものに戻っていた。
「相良が辞めるのは勝手だけど、その後の仕事がまだ山のように残ってるんだけどな」
「大丈夫ですよ。六角が全部やってくれます」
「六角――ねえ。まあいいか。いいよ」
「……いいんですか」
「そんなぁ。止めてくださいよ」
 六角の泣き言は最早誰にも届いていない。
「どうせ説得しても曲げないでしょ。二週間で引継ぎと後処理な」
「……はい」
 跳ね除けられると思っていた辞表がすんなり通ってしまったことに動揺が隠せなかった。それより、忘れていた。引継ぎの関係上、即日辞めるわけにはいかないのだ。二週間もあればこの事態も沈静化するだろうということに考えが及ばなかった自分を恥じた。してやられた、というより短絡的だった。
 自席に戻る相良の背中に、上司は声を投げかけた。まだ二週間あるというのに場違いな台詞だが、今思うと、彼はこうなることを読んでいたのかもしれない。
「お前の席は空いているからな。気が向いたら戻って来い」
 しかし、最後ぐらい一泡吹かせてやりたかったのに。彼のほうが何枚も上手だった。



 引継ぎは多少の混乱はあったものの、つつがなく終了した。これは自分しか出来ない仕事だと思い込もうとしていた。だが、代わりはいくらでもいる、という言葉を嫌でも突きつけられた。この仕事は自分でなくとも良かったのではないか――そんな疑問が彼女の頭の中をぐるぐる回っていた。そしてお別れ会という名の飲み会を固辞し、彼女は会社から去った。
 それはすなわち、社会からの脱落を意味していた。
 仕事を辞めてから、彼女はしばし放心していた。
 何もする気が起こらない。
 かろうじて命をつなぐだけの食料を食べ、排泄する。徐々に部屋の中は汚れ始め、身だしなみに気を遣うこともなくなっていた。
 今住んでいる住居の契約更新をすっぽかし、管理会社から半ば恫喝のような手紙が届いて、ようやく彼女は世間から取り残されていることに気づかされたのである。

 山にでも行こうか。
 なんていうと、とても気楽なハイキングのようだが、この場合はそうではなかった。
 スクラップの山は、この世間に迎合し得なかった人がひっそりと暮らす人生の終着点。この世から役立たずの烙印を押された物体が埋められる墓場なのだ。
 スクラップの山には、この世界で生きることに絶望した人が、ひとり、またひとりと集まっていく――そんな怪談のような都市伝説を、今までは無関心に聞き流していただけだったのに、まさか自分自身がこの場所へ引きつけられるとは。人生はどう転ぶかわからないものだと、女は自嘲的に笑った。笑う元気があるものだと思えたのは発見だった。
 駅には驚くほど時代錯誤なバスが停まっていた。一日数本しか運行しないこの無人バスに女一人を乗せ、ゆっくりと走っていく。木々は生い茂り、いかにもといった田舎の道なのだが、どこからか様子が違ってくる。木は段々とまばらになり、そしてやがては完全になくなってしまう。緩やかな川沿いには生き物の気配が全く感じられない。
 バスを降り、ここからの移動手段は徒歩しかない。山はまだこんなに遠いのに。世間とは違う異様な雰囲気を、その場所は発していた。ここへ来る者へ警告を与えるように。
 数時間ほど、歩いただろうか。赤々と燃える日が、天から灼熱の光を地上へと落していた。立ち上る悪臭、目を刺すような化学物質の埃。
 山のふもとには粗末な建物がちらほらと並んでいる。誰の姿も見えないのに、常に誰かに見られているような気がする。熱気のせいか、妙な雰囲気のせいか、脂汗が流れてくる。気持ちが悪い。目が痛んで涙がにじんだ。
 この場所に来たことを彼女はやっと後悔した。ここは人間が住む場所じゃない。引き返そう。そう思い、踵を返した。窮屈なパンプスに突っ込まれた足が、悲鳴を上げていた。袖を口に当てながら呼吸をする。それでも、砂が口に侵入してくるのを防ぎきることは出来ない。
 大きな風が吹いた。粉塵が気管に入り、女は大きく咳き込んだ。
 我慢できず、そのままゆっくりと座り込む。ざら、と手のひらに不思議な色の砂がまみれ――
 そのまま、記憶が途切れる。


 目が覚めたら、見知らぬベッドに寝かされていた。
 思わず自分の着衣を確認する。が、薄汚れている以外にはおかしなところはなかった。おそらく山の空気のせいだろう。上着は化学物質の埃をかぶり、ベッドさえも埃にまみれてしまっている。
 ぞわぞわと悪寒がする。体の調子が悪いのか、今おかれた環境のせいか、いまいちわからない。
 部屋には扉が一つと、小さな窓が一つ。とりあえず窓から外の様子をうかがうが、どうやら目の前は壁のようだ。灰色の風景が続く。おまけに薄汚れていてよく見えないし、サッシが錆びついていてこの窓は換気の役にはたたないようだ。外は有害な物質を含んだ化学物質の嵐だし、無理して開けることもないだろう。
 とすると、出入り口はここ一つしかない。
 ゆっくりとドアノブを回す。部屋は廊下につながっていた。足音を立てないように歩く。
 女には自分の置かれている立場がわからなかった。あの山のふもとで意識を失った、はずだった。厚意で助けてもらったのならありがたいのだが、世の中そう簡単に事は運ぶだろうか。下手をしたら得体の知れない人間に軟禁されているのかもしれない。
 とらわれの姫、だなんて、自分でも笑ってしまう。しかし、その考えがちらつくたびに、腕の震えが止まらない。もしかしたら、もしかして。なんにせよ、正面から対峙するのは愚策でしかない。
 モーターの音がその部屋から聞こえてくる。おそらく、この部屋に誰かいる。そっとドアを開ける。つんである荷物にぶつかったらしく、その荷物の山が派手な音を立てて崩れた。
 とっさに顔を引っ込めるが、もう遅い。
 モーター音が止み、無骨な義手をつけた青年が振り返った。ゴーグルを外すと、幼さの残る瞳が現れた。
「……おはよう」
 青年は、はにかむような笑みを浮かべた。
 そんな笑顔も女の警戒心を溶かすには至らず、彼女は身を硬くした。さあ、この人はどのタイプの人間なんだろう。笑顔を見せて油断させる殺人嗜好者とか、社会に迎合できなかった性犯罪者とか。それとも、本当にご厚意だったりとか? ――まさか。
「外から来たんだよね。……なんで、こんなところに来たのかな?」
 自らの汚点を口には出せない。言葉を飾り立てる術を身につけておくべきだった、と思ったがどうしようもなかった。黙っていると、彼はマイペースに質問を繰り出した。
「まあいいや。名前は?」
「相良――絹枝」
「キヌエ? いい名前だね。俺はハヤト」
 彼はさらりと名を名乗った。どうやら敵意はないようだ。――いや、油断はできない。第一、それが本名である保証はない。といったところで、自分が素直に本名を名乗っていることに気づき、思わず口をふさぐ。失敗した。
 その様子に男は首を傾げる。
「ああ、そうだ。キヌエは動物が好き?」
「は?」
 質問の意図がわからず、答えあぐねていると、男――ハヤトは目つきの悪い猫を抱きかかえてきた。耳が欠損していて、代わりにピンク色のラバーになっている。猫はむすっとしているようだが大人しい。
「アズサっていうの。猫は嫌い?」
「――嫌いじゃないけど」
 その返事を聞くと、ハヤトは満足そうにうなずき、ほい、と猫を渡して部屋の真ん中に戻っていき、ゴーグルをかけなおした。台の上に放り出してあった、機械のようなものを触り、作業をはじめる。
 キヌエは不機嫌な顔のしましま猫を抱えたまま、呆然と立ち尽くす。根掘り葉掘り事情を聞きだされるのか、あるいは実力行使に出るのかと思っていたが、そのいずれでもなく、ただ放り出された。猫は寝言のようにうにゃうにゃと鳴く。
 わからない人だ。これが、初めてハヤトに会ったときの印象だった。
 このとき、ハヤトががっちがちに緊張していたらしいことは、後々本人から聞いて知ったのだった。
 キヌエは猫を抱いたまま、そっと部屋に入っていった。最低限の間合いを取って近づく。彼は金属片に無数の細いケーブルをつなげていた。何かとても強烈な既視感に襲われる。これは――見たことがある。
「何をしているの?」
「おお。これはね、足を作っているの」
 彼の言葉少ない説明でも、キヌエは完全に理解した。そうだ、生体の足だ。開発室に置かれていた、外皮に覆われていない現物はこんなものだった。こんなところでもまた出会うなんて。
「あなたも生体を作っているの」
「生体? じゃなくて。これは人間用の足。俺は義肢作る人なの。義肢技師、なんつって」
 しゃれのつもりなのか、はははと一人で笑う。彼は得意げに仕事について語りだした。山から部品を集めてくること、変な医者とコンビを組んでやっていること……。彼が指し示した棚の上には、色々なパーツが並んでいた。
「でもよくわかったねえ。ちょっと驚きー」
 キヌエは黙り込んだ。気分が悪くなってくる。それを敏感に察知してか、猫が不満そうに声を上げた。嫌そうに首を振り、キヌエの手からすり抜けた。
 キヌエはぐらりと座り込んだ。景色がぐにゃりと歪み、ぐるぐると回っている。
「大丈夫? ちょっと山の空気を吸いすぎたかな。あれは、毒だから」
 ハヤトは、キヌエの体を支えようと手を伸ばすが、彼女は身をよじって拒否した。呼吸とともに吐き気がこみ上げる。ハヤトが体をしっかりと抱きかかえる。怖い。その冷たい腕が、ぞくりと神経を逆撫でする。見知らぬ男の腕が、これほど恐怖心を煽るとは。触らないで……情けなさに涙がにじむ。
「休んだ方がいいよ」
 そんな声がやけに遠くから聞こえた。

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