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12.処方箋


 砂嵐の巻き起こる強風の日に、機械の左腕の男は歩いていた。ガスマスクとゴーグルで顔を完全に覆いつくしている。飛んできた砂がぴしぴしと服に当たって、少し痛い。
 ハヤトの頭には、ある言葉がこびりついていた。考えないようにしているが、ふとした時に思い出す。
 フウカを売る。
 想定外の選択だった。しかし、本当にそんなことをしていいのだろうか?
 少なくとも自分たちは今の苦境から開放される。キヌエとこのことで喧嘩することもなくなるだろう。
 だが、フウカはどうなるのだ。
 少なくとも売り払われた生体人形がろくな結末をたどらないことは、ハヤトも経験と本能からわかっていた。きっと、人間の臓器売買と変わらない。パーツを漁るだけ漁りつくして、後はポイだ。運がよければ主人に貰われるかもしれないが、この山のマーケットでどれだけの可能性があるのだろうか。
 あれ以来、無意識にあの時間帯を避けていた。できればあの男には会いたくない。あの全てを見透かすような口調が恐ろしかった。
 曲がりくねった細い路地の一角に、目的の看板はあった。趣味の悪いピンク色で塗りたくられた扉。立て付けの悪いその扉を、ハヤトは苦労して開ける。
「いらっしゃいませ〜……あーっ、ハヤトさん!」
 語尾にハートマークがつきそうなほど甲高い声で、受付のお姉さんが微笑む。彼女は派手なナース服で身を包んでいた。彼女はハヤトを発見すると、受付からするりと抜け出てハヤトの首に手を回した。
「久しぶりじゃないの〜。最近どうして来てくれないの? 寂しかったのよ〜」
 女性にしてはたくましい骨格の彼女がしなをつくっている。たくましい、といってもキヌエとは種類が違う。彼女――シラユリは、体は元々男だった。どうやら自分の心と体が一致していない、ということに気付き、心の方に体をあわせることを決断したのだという。
「いやね、ちょっとね」
 ハヤトは目をそらした。まるで水商売だ。だが、ここはそのようないかがわしい場所ではなかった。いや、いかがわしいのは間違いない。ここは義肢を人体と接合するためのクリニックだった。
 まるで清潔感というものを感じられないど派手な壁紙に貧相な椅子。待合室には、珍しく三人ほど男が座っていた。彼らからの視線を痛いほど感じて、ハヤトはシラユリの手を振り払った。
 独特の鼻にかける声で、シラユリは奥の部屋へ呼びかける。
「センセ、ハヤトさんがお見えですよ」
「そんだけ騒がしくしていれば聞こえるというのに! 何の用だハヤト=アカサカ!」
 このクリニックの主――ムラサキが奥の部屋から顔を出した。まあ入れ、と診察室に通される。
「生憎今は忙しくてな。無駄話に付き合っている余裕はないのだぞ」
 いつも無駄話をしにくる当の本人が何を言うのだと思ったが、ここで言い合って、治療をしてもらえなかったら元も子もない。少なくとも今は、歯向かえる立場じゃなかった。
「ちょっと、くっつけた義肢が痛くて……」
「ほお、奇遇だな。最近そんな人たちばかりなのだ。というか少なくとも義肢屋であるお前に責任はないのか?」
 待合室に聞こえるような大きな声で、ムラサキは言った。ハヤトは慌てて彼を抑えるが、もう遅い。ひそひそと言い訳をするようにこぼした。
「ちょ、ちょっと! あのね、俺にもわからなかったんだよ……俺のせいか? 本当か?」
「そうか。まあ仕方ないな。ということで大人しく順番を待っておけ」
 つれない一言で追い返された。待合室に戻ると、男たちの視線に出迎えられた。非常に気まずい。加えてシラユリの色目ともつかない妙な視線に見つめられ、余計に居心地が悪い。
 一人、また一人と奥の部屋へ呼ばれ、そして帰っていった。ようやくハヤトの順番が来たときには、何故か精神的に消耗しきっていた。
「どうした。浮かぬ顔をしているな」
「いや……」
 反論する元気もない。少しばかり、その図太い精神をわけて欲しいと思わずにはいられない。
「さて、痛むのは肩か、義肢か?」
「両方だね。ちょっと肩が痛むけど、それと反応が悪いんだよ。でも解体して調べても、特におかしなところは見つからないし……。砂詰まりとも違うようだし」
「ふうむ。やっぱりそうか。それじゃあ俺が出来ることはただ一つ。痛み止めの注射と薬だ。ハヤトにはサービスでちょっとトリップするやつを出してやろう」
「……は? 薬? いや、そういうところには期待してないんだけど。俺、何のために来たんだよ」
 ハヤトが期待していたのは、そんな肉体を騙す手段ではなかった。もっと根本的な原因を取り除くためにここに来たというのに。しかし、ムラサキは首を振った。
「根本的な原因が見つからん。拒絶反応のパッチに引っかかるわけでもないしな。安心しろ、他の患畜には適当に治療するふりを見せてやっているさ」
 相変わらず、あくどいというか、しっかりしているというか。治療費まで水増しして請求しているところはさすがとしか言いようがない。しかし、原因がわからないとは、どういうことだろう。
「おおかた、ここの毒気に当てられて体質が変わってきたのかね」
 投げやりな口調でムラサキは言った。
「本当にそうだと思うか? アレルギーだったら薬があるじゃないか」
「ハヤトお前、わかってないな。アレルギーだったらパッチテストで反応があるんだよ。別に反応があるわけじゃない。そんでもって試しに一人の患畜の機械を外してみたら楽になったのだよ。だから、義肢が怪しいという結論に達したんだが、どうだ」
 ぐうの音も出なかった。ムラサキはただハヤトにいちゃもんをつけているだけではなかった。普段そういうことが多すぎて、冗談で流してしまいたくなるが、時々彼は的確なことを言う。
「というわけで、お前も外してしまうがいい。安くしておくぞー」
「勘弁してよー。俺のお気に入りなんだよ」
「じゃあ、クスリを処方してやる。それもジャンキーモリシタ謹製のな」
「げげげげ」
 底意地が悪そうにムラサキが笑う。まあ、事実底意地が悪いのだけれど。
「ユリ! 痛み止めを出してやれ」
「は〜い」
 ムラサキが呼びかけると、甲高い声がドアの向こうで聞こえた。
「あのヤク中謹製? 勘弁してくれよ……」
 ヤク中だのジャンキーだの言われているモリシタの薬は、とにかくきついのだ。加えて幻覚を見る、疲れずハイテンションで頭が冴え渡るなどと、ヤバイ副作用が出ると評判なのである。こんな薬を精製するのはヤク中に違いない、と彼らは噂していた。
「まあ、俺は処方するだけだ。痛みがひどかったら使えばいいし使わなくてもいい。俺は治療費をいただく、お前は選択する自由がある。両方に不利益はない」
「いやいやいや。俺が薬を使わないのにお金を取るって、理不尽じゃないか?」
「まだ使わないと決まったわけではないだろう。保険みたいなものだ」
 ムラサキはニヤリと顔をゆがめた。あの勝ち誇った様子を見るに、彼の論理は元から完成していたらしい。いつ言おうかと貯めこんでいたのだろう。
「それと、これは土産だ」
 ムラサキが戸棚から出してきたのは、見覚えがある足だった。右足、膝関節から下の部分。数年前に作った、比較的新しい自分の作だ。ムラサキから請け負い、ある患畜……患者の体の一部となったはずなのだが。今回の治療で取り外したのだろう。
「少なくとも、お前が何かを見落としているんだろうよ。ちゃんとチェックしておけ」
「ムラ、お前に言われたくはないよ」
 ムラサキの言い草にむっとしたが、ハヤトはその足を素直に受け取った。山で拾った材料がベースになっているために不純物が多く、標準のものよりも重みがある。まず、家でこれを調べなおさなければ。骨の折れる仕事だった。メンテ関係は苦手な上に、自分の左腕が痛む。
「またいらしてね〜。きっとだからね!」
 帰り際に薬を渡され、シラユリに抱きつかれた。悪い気はしないのだが、やはりたくましい胸筋に目がいってしまう。つるりとした顎、派手なつけまつげが妙にアンバランスだ。
 女になりたがる男は、必要以上に女らしく振舞うが、シラユリもその類なのだと思う。それでも微笑む彼女に、ハヤトは微笑み返した。
「お? いいのか〜? キヌエさんに浮気したと言ってやるぞ」
「いや、してないって!」
「まあ、ハヤトさんひどいわっ。あたしの事は遊びだったのね!?」
 そんなやり取りがあって、ハヤトはげっそりしながら家に帰った。彼らと会うと、体力も精神力も奪われる。なんてクリニックだ。全然健康を取り戻せる気がしなかった。まあ、肉体改造のためのクリニックなのだから、健康とは関係ないのだ、と無理やり納得する。
 家に帰ると、ハヤトはまとわりついてくる犬を払いのけて部屋に閉じこもった。家の中心である居間でありながら、彼の作業室となっている大きな部屋。元々は彼一人の家だったので問題はなかったのだが、キヌエがいる現在も、これだけの設備とがらくたを動かす場所がないために現状を維持している。
 キヌエは今日も缶詰のようだ。
「フウカちゃん、しばらくこいつらの相手をしてあげて」
「はいっ」
 部屋の中で寝ていたしましま猫、アズサを抱きかかえてフウカに押し付けた。フウカは喜んで抱きとめようとしたが、アズサは突如不機嫌な声を上げて暴れだし、逃げ去ってしまった。
「ありゃー……ごめん」
 この家にムラサキや義肢を売ったお客さんなど、色々な人が訪れるが、犬猫たちは彼らに向かって特に警戒する様子はない。最初フウカに牙をむいた犬猫たちも、そのうちフウカに慣れるだろうと楽観的に思っていた。しかし、何故か全然慣れる様子は見られず、むしろフウカを避ける様子が日に日にひどくなっていった。
 一時期、フウカが影で犬猫をいじめているのでは……とほんのちょっと疑ってみたが、こんなにかわいい生体がそんなことをするとは思えない。ハヤトはあっけなく疑念を打ち消した。フウカは笑顔を絶やさないようにしているが、何かその様子が痛々しくて、つい謝ってしまった。
「いいですよう。ハヤトさんは気にしないで下さい」
 にこっと笑って、フウカはアズサを追いかけて行った。
 積んであるガラクタのうちから大腿部のような骨組みを取り出し、コンピュータに接続した。続いて、ムラサキから受け取った足をそれにくっつける。コンピュータを胴体に例えると、そこから右足が生えている状態となる。まず、正常に動作するかテストするのだ。コマンドを入力して、少し間が空いてから動作する。何回やっても変わりはない。
「反応が悪いなあ……こんなに遅かったっけ」
 足の動作事態に妙なところは見られない。コンピュータが古いせいなのだろうか。仕事のために新型を導入しようとも思うが、新型コンピュータはハヤトの手の届くところにない。それに、長年連れ添ってきたこいつに愛着もあった。旧時代の化石とからかわられても、未だに騙し騙し使っている。
 続いて、部品一つ一つを解体してチェックする。この作業が難航を極めた。目や肩や腰を酷使することに加え、細かい作業をするための左腕が言うことをきかないのだ。
 ハヤトは焦っていた。自分の作品に異常があるとしたら、真っ先に発見して直さなければ。むしろ本当に異常なんてあるのだろうか。それすらもわからない。穏やかでいられないのは、顧客との信用のためではない。自分自身のプライドのためだった。
 結局、異常らしい異常は見つからなかった。神経系に関わるコードも念のため交換してみたが、元々コードに異常があるとは思えなかった。
 ハヤトはため息とともに椅子にもたれかかった。左手を握ったり開いたりすると、そのたびに神経を刺すような痛みがあった。
 薬を使えば、楽になれるのだろうか。ちらりと鞄に目を向け、しかし諦めたように再び椅子に沈み込んだ。

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