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13.眠る思考


 キヌエは居間に居座り、ディスプレイに羅列されるコードとじっとにらめっこしていた。ディスプレイの後ろには、力をなくした生体人形ががっくりとうなだれている。
 犬猫は廊下に放り出し、扉を閉め切った。キキョウという白黒猫は、一匹だけそのままにしておいた。大人しい子なので起きだしてもいたずらはしないだろう。今は義手がずらりと陳列されている棚の中ですやすやと眠っている。
「……どういうこと」
 キヌエは知らずにつぶやいていた。
 フウカを動かしているプログラムは、どこにでもある、ごく普通の生体人形を構成するプログラム――だろうと予想していた。事実、彼女の表層思考は間違いなくごく普通の、M型生体人形なのだ。
 しかし、それだけでは終わらなかった。
 まるで意味のない命令文がその途中にいくつも組み込まれ、それが解読を難解にしていた。
 これは……少なくともキヌエが知っている生体人形ではなかった。
「ああん?」
 思わず柄の悪い声を出してしまい、寝ていたキキョウはぴくりと体を震わせた。慌てて口をつぐむ。
 意味のない命令文が幾重にも枝分かれし、それがまるで何かを守るように……偽装されている。またあるところは繋がっていない。とりあえず、今生きているコードだけを色づけする。M型のコードが浮かび上がる。
 この色のつかない沈み込んだコードは、何なのだろう。フウカの中で死んでいるのか。それとも、ただ眠っているだけなのだろうか。
 謎の生体人形に秘められた謎のルーチン。数億行にも及ぶ巨大なプログラムの中に織り込まれたものは、いったい何なのだろう。喉の渇きを覚えながら、ただそれの表層をなぞることしか出来ない自分に歯がゆい思いを抱えるしか出来なかった。ハヤトが帰って来るまでに、何事もなかったように彼女を起動しておかなければならない。
 うなる排気音を聞きながら、キヌエはゆっくりと台所に立ち、コーヒーメーカーのスイッチを押す。ビールが飲みたかったが、酔っ払っては仕事にならない。
 あと一日で請け負っている仕事を完了させなければいけなかったが、フウカの状態が気になって仕事中もそれがちらつき、全く集中できなかった。とうとう我慢できなくなり、ハヤトが外出したのを見計らって、フウカの頭の中を盗み見ることにしたのだ。しかしこれは何なのだ。
 フウカのことばかりを考えている自分に気がついた。仕事のことを考えなければ。


「キヌエさあああん!」
「おおっ!?」
 妙に甘ったるい声が背後から聞こえて、シリコンで出来た手が彼女に抱きついた。咄嗟にカウンターパンチしそうになったがコーヒーをこぼしそうになったため、動きを止める。コーヒーを持っていて良かったと心底思った。こんなことで生体人形は破壊してしまったら、それこそ一生の汚点だ。
 ぼーっとしている間に、フウカは起動完了していた。自ら動き出してきた生体人形にキヌエは呆れた。
「何。自分でケーブル外しちゃったの?」
「えへへへ〜。だって目が覚めちゃったんですよう」
 よくわからない理論を振り回してフウカはぺったりとキヌエにくっついた。奔放な生体だとは思っていたが、ここ最近ますます自分勝手さに磨きがかかっている。
「いいけど、ちょっと離れてくれない」
 なんでこんな甘えん坊になっているのか理解が出来なかった。学習したのだろうか? それともこれが生来の性格なのかもしれない。人見知りの生体も、いないことはないが。彼女はそんな性格付けをされていただろうか。
 キヌエのそんな思考を裏切るように、フウカは言った。
「キヌエさん、あの……ありがとう」
「え? ……何よいきなり」
「うふふ〜」
 キヌエはフウカを引き剥がそうとあしらいながら、コーヒーを一口飲んだ。徹夜によって、頭の中にもやがかかったままだ。コーヒーの香りも、舌に感じる熱さも、その苦味も、どことなく遠いところで起こっているような、妙な感じに襲われた。

 コーヒーを部屋に持ち帰ろうと廊下を行くと、ミチコの独特な足音が玄関に響くのが聞こえた。おおかたハヤトがこっそりとどこかへ出かけてきたのだろう。案の定、こそこそと上着を羽織り、マスクとゴーグルを着用している男を発見した。見つかった、と、ばつの悪さを隠そうと変な笑顔を浮かべている。事情などわかるはずもないミチコは単純に尻尾を振って、ハヤトの帰りを歓迎していた。
「あ。ただいま」
「どこに行ってきたの」
「えへへへ、ちょっと」
 玄関の、ちょうど外扉と内扉の間に粉塵を取り払うホースが取り付けられている。ホースで上着や体についた粉塵を吸い込む。スイッチを入れると、昔の掃除機のようなでかい音を立てる。それもそのはず、ハヤトが山で過去の遺物、不法投棄された掃除機を見つけて拾い、取り付けたのだ。業者に頼まなくてよかったー、と彼は単純に喜んでいたが、吸引力にはいささか疑問だ。きらきらと危険な輝きを持った粉が舞う。
 キヌエは嫌な顔を隠さない。だいたい内扉がついているのに開けっ放しなのが気に食わない。彼が横着をしているおかげで、粉が家の中まで侵入してくるのだ。しかしいくら言っても直る気配はない。そういえば、ムラサキが開けていった外扉の穴も応急処置でふさいだままだ。
 ムラサキといえば、キヌエは若干後悔していた。あのことを誰にも言うつもりはなかったのである。墓場まで持っていくつもりであった。
 山にたどりついてからキヌエの不安定な状態は続いていた。そんな折、ムラサキに精神科医の真似事をされて、キヌエはぽろりと秘密をこぼしてしまったのだ。
 キヌエはため息をつく。ハヤトとの決まりきった問答に内心呆れながら、それでもキヌエの言うことは一つしかなかった。
「あんた、いい加減にしなさいよ」
 これも一連のやりとりの中に組み込まれている。その後はハヤトがうやむやな返事をしながらこそこそと出て行くのだ。何を言っても引き止められるわけではないが、それでも言わずにはいられない。
 本当はハヤトが出かけていたからフウカの点検をこっそりしたのに。やってはいけない素人による生体人形の停止、プログラムをのぞきまでしたのに。後ろめたさを隠したキヌエの胸はちくりと痛んだ。それを知らずか、ハヤトは能天気にいつも通りの返答をする。
「そう言うなよー。いいところだよ、山は。なんたって色々なものが埋まっているし。夢の発掘現場だね。あなたも夢を掘り当ててみませんか? なんてな」
 胡散臭いキャッチフレーズを吐きながらハヤトは笑った。その笑顔に思わず和みそうになるが、ふとハヤトが真剣な表情をしたのにつられて表情を引き締める。しかし徹夜続きでとろんとした目はぼんやりしたままだ。頭の中がもやもや渦を巻いている。
「キヌエ……クマがすごいぞ。鏡見た?」
「くまー? しょうがないじゃないの寝てないんだから」
 きっとひどい顔をしているだろう、とキヌエは思った。しかし緩みきった思考のたがが、ハヤトに反抗する言葉しか放出させてくれない。
「おかえりなさいー!」
「おおうただいま! いい子にしてたかいフウカちゃん」
 そこへ、甲高い声が脳天に直撃する。ミチコに負けじと、まるで犬のようになつっこくフウカはすり寄る。それを慣れた手つきでハヤトは撫でた。ミチコは大人しくポジションを譲り、従者のように後ろに控えた。
 ほほえましい風景……であるはずなのだが、キヌエはそれを苦々しい気持ちで見ていた。
 何をいらいらしているのだろう。相手はしょせんプログラムの集合体だ。
 だが、そのプログラムと機械の塊に人は魅せられてしまうことも知っていた。有機物の集合体である人間と何が違うのだろう。徹夜明けのキヌエには、それがわからなくなっていた。
 そんなキヌエの視線をよそに、ハヤトはあっけなく居間兼仕事場に退散した。
「ちょっと、修理がまだ終わってないんだよね」
 それなら、遊びになんか出るなよ。と口から漏れそうになったが、ぐっと我慢した。それくらいの理性は残っていたようだ。
 ハヤトの背中をぼんやりと眺め、フウカはため息をついた。
 キヌエはぎょっとする。生体人形が、あまりに人間臭いしぐさをしたからだった。
「何」
「……いいなあ」
「え?」
「ハヤトさん、キヌエさんのことばっかり」
 キヌエは焦った。焦ったけれども気の利いた言葉が思いつかない。まごまごしているうちにフウカは笑った。
「もう。からかわないでよ」
 フウカが笑っている。フウカ。
 そういえば、さっきまで居間でフウカのプログラムチェックをしていた。そのパソコンは? 電源は切った? 画面は? メモリは?
 キヌエは目が覚めた。頭からすーっと血が下がっていく。
「ちょちょ、ちょっと待って」
 ハヤトが入っていった部屋に突撃する。コーヒーが揺れて床と指先を濡らすが、気にしていられない。
「ななな何? 買って来たばかりのエロ雑誌を見ようとなんかしてないんだからね!」
 キヌエの闖入にハヤトも慌てていた。古びた雑誌を背中に隠そうとしているのが見て取れる。
「あのね、パソコンつけっぱなしだから。ちょっと、片付けさせて」
「あ、ああうん。いいよ」
 お互いにやましいところのある二人は、それ以上突っ込むことができない。よそよそしい空気の中、白黒猫のキキョウはあくびをした。
「何買って来たの」
「昔の雑誌。廃刊前の『明けの明星』とか、懐かしくね? 青春時代にはお世話になったなあー」
 いわゆるヌードとかゴシップとかが掲載されている低俗な雑誌をハヤトはぱらぱらとめくった。開き直ったようだ。
「ああ。カルキ臭いな……」
 ハヤトはページがくっついた部分をぺりぺりとはがしている。何を必死ではがしているのかと思えば、顔をしかめたくなるキャッチコピーとともに裸体が紙面に踊っていた。
「そういえばさー」
「何よ」
 適当にキヌエは調子をあわせる。しかし、キヌエの頭の中はフウカからコピーしたコードをどこに移すか、どうやって移すか、その手段を考えていた。
「キヌエが来てからもう二年になるんだなあ」
「そうね」
 キヌエが平静を装いながら必死で考えているその横で、リクライニングチェアに座ったハヤトは悠々と雑誌をめくる。
「……で、何?」
 間に耐え切れなくなり、キヌエは聞き返した。
「いやさ。ほら、何でキヌエは山へ来たんだっけ? って考えてたら、思い出せないんだよね。うーん、何だったのかなあ」
 キヌエは口をつぐんだ。彼が思い出せないのではない。言っていないのだから。
 間の悪い沈黙が場を支配した。
 会社が大打撃を受け、世間を騒がせたあの生体人形の一連の事故に自分も関わっていたことは、キヌエにとっての古傷であり汚点であった。直接手を下していないとはいえ、部下の仕事をチェックする立場にあったのだ。それを見逃したのはありえない。あのときの職場はまさに修羅場だった。
 言ったら、楽になれるだろうか。それともまた傷口をえぐるだけだろうか。
 キヌエが深刻な顔で口を開きかけたその瞬間、すごい勢いでハヤトがまくし立てた。
「いや、何でもないよ! うんうん、俺すぐ忘れちゃうんだよねあっはっは」
 キヌエはそのまま静止した。言葉が出てこない。出てくるのは空気ばかりだ。
 ハヤトは気遣って言ってくれたのだろうか? いや、もしかしたら、受け止める気などなかったのかもしれない。ハヤトの笑顔が作り物のように空虚に笑っているのを、ただ眺めるだけだった。

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