type:D-0004

BACK NEXT TOP


14.バッドトリップ


 玄関で、ミチコが悲鳴のような細々とした鳴き声を上げた。
「おっ? なんだ、どうしたよ」
 ハヤトは仕事場のドアを開ける。気まずい空気のままの仕事場から離れる口実に飛びついたのだ。キヌエのぽかんとした顔を振り切って。
 玄関ではフウカとミチコがにらみ合いをしていた。一方的な図ではあるが。
 真剣な目をして手を差し出すフウカ。一方、ミチコは尻尾を股の下にしまいこんで伏せっている。そしてフウカが手を出すたびにびくっと後ずさる。おびえているようだ。
「ハヤトさあああん。ミチコちゃんがお手をしてくれないんですよぅ」
 ハヤトの姿を認めると、ミチコはすぐに駆け出して部屋に入り込んでしまった。
 未だに慣れることはない。最初のうちは、見慣れない生体にびびっているだけだろうと思っていたが、一向に慣れず牙をむき、逃げ出す犬猫に何かしら違和感を覚えていた。
「うーん、ミチコは人なれしないわけじゃないんだけどなあ」
 どちらかというとミチコは人懐っこい犬だ。初めて家に来た、まだ男時代のシラユリにも物怖じせずに尻尾を振っていたのは唯一ミチコだけだったのだ。
 当のフウカは事態がわからずしょんぼりするばかりだった。
 ひょっとして、見えないところで虐待をしているのではないか――などという考えがちらりと頭の中をかすめたが、ハヤトはそれを無理やり追い払った。フウカがそんなことをするはずがないではないか。そう信じたかった。
 フウカがそっと左の義手を握った。そのとたん、肩にぴりっとした痛みを感じてハヤトは飛び上がりそうになった。
「どうしたんですか?」
「い、いやなんでもないよ」
 無理やり笑顔を作ってみたが、脂汗が額ににじみ出ているのがわかる。ずきずきと義手との接続部分が痛んだ。さりげなくフウカの手を振り払う。強がりかもしれないが、気付かれるのは嫌だった。

「……はぁっ」
 さりげなくフウカの手を振り切って、なんでもないようにトイレへと逃げ込んできた。
 ハヤトは嘔吐するように便器の前に座り込んだ。
 持ち込んだかばんを見やる。この一番奥にムラサキから処方されたクスリが眠っている。ハヤトはムラサキを古くからの友人だと、そう思っている。彼の腕前も知っているつもりだ。
 信用しても、いいのだろうか。
 だが、モリシタの薬を使った人の数々の経験談も耳にしている。やはりやばいものではないのかと不安が襲う。
「……ううっ」
 痛みの波がハヤトを襲った。歯痛にも似た、芯からくるような痛みが肩から全身に響く。
 観念してかばんから薬を取り出した。錠剤が一つ一つカプセルで封をされている。いかにも質が悪そうで、カプセルの中でぼろぼろと崩れていた。不安がよぎるがそれどころではない。考える余裕さえもなかった。
 ハヤトは錠剤を無理やり嚥下した。吐き気がこみ上げてくるが、それをも水で流し込む。
「うぎゅ」
 手が滑って、飲みかけのコップを床にぶちまけた。こぼれてじわじわ広がる水を、ぼんやりと見つめていた。
「ハヤトさ〜ん……」
 コンコン、とドアを叩く音が頭に響いた。フウカだ。
 無様な姿だった。便器に寄りかかって動くことが苦痛だった。フウカの声が聞こえるごとに、それに呼応するように神経がぴりぴりと悲鳴を上げる。
「大丈夫ですか? ハヤトさん」
「ああ、大丈夫だよ〜……」
 大丈夫じゃない。放っといてくれ。
 ハヤトは本音を飲み込んだ。嘘をつくことは慣れている。
 便器に寄りかかってだらしなく空を仰いだ。天井がぐるぐる回っている。倒れそうになりながら、ここは既に床だということにようやく気付く。
 これって麻薬じゃないのか、とハヤトは浅い思考レベルで考える。麻薬ってもっと気持ちよくなれるもんだと思っていた。けれど、全然そんなものじゃない。
 次第に感覚がなくなり、胸がすっとしてくる。気分がいい。それとともに妙に気分が高揚してきた。視界がちかちかと光っている。あは、あはははははは。あははははははははあはははははははははは。
「……ハヤトさん? 本当に大丈夫なんですか」
 乱暴に叩かれ始めた扉の音も、神経に障っていたフウカの声さえも気にならない。
 どうやら一服盛られたようだ、とハヤトが気付いたのは、だいぶ後のことだった。

 足取りも軽くトイレを出たら、まさに扉を叩こうとしていたフウカが絶句していた。
「やあどうしたんだいフウカ。ほおら、大丈夫だって言ったじゃない」
「あ、あは……そうですね」
 ハヤトは無邪気に手を振って、そして握手を求めてみる。意識して義手を動かしてみるが、もう全然痛くない。薬の効果は絶大だ。それよりも戸惑っている顔のフウカがとてもかわいい。ぐっと近づいたら、心なしか目をそらしたような気がするが気のせいだろう。
 戸惑うフウカを上から下まで観察する。まるで値踏みするように。
 華奢なボディに、ぶかぶかのツナギ。薄汚れたシャツ。フウカを身に包んでいるその衣服はお世辞にも綺麗とは言えなかった。当然だ。自分たちのお下がりなのだから。
「……俺は男として失格だな」
「へ? どうしたんです?」
「フウカがこんなボロい服を着てるだなんて……いつまでもキヌエのお下がりじゃかわいそうじゃないか! ああ、かわいそうなフウカちゃん」
 ハヤトは大げさにフウカを抱きしめた。抵抗するように手のひらが押しつけられている気がするが気のせいだろう。ひんやりとした肌と、生体特有の静かな回転音が心地よかった。
 ハヤトはしばらくこの一方的な幸せにひたっていた。お陰で何もかも気付かなかった。普段の生活からは考えられないくらい犬猫の鳴き声が消えてしまったことや、キヌエが仕事場から顔だけ出してこっちを見ていたことも。
「……なにしてんの。うるさ」
「ほぅあ!」
 キヌエが呪詛のようにぶつぶつとつぶやきだしたら、ハヤトはびっくりして飛び上がった。その隙に、フウカはハヤトから逃れる。
「きききキヌエ? いつからそこに」
「聞こえるっつうの。そんな馬鹿でかい声でしゃべってたら」
 キヌエはむすっとしていた。さっきの機嫌が直ったわけではなさそうだ。再び、気まずい空気が流れる。
「そそ、そうだ。俺、フウカのパーツを買おうと思ってたんだよね」
「え?」
 フウカは不思議な顔をした。ハヤトは強引に話を続ける。
「ハヤトさん、服の話は」
「あ、そうだフウカちゃんも一緒に行こう! それがいいよ」
「え、でもキヌエさんが」
 ハヤトは強引にフウカの手を引っ張った。背後で乱雑にドアが閉められる音が聞こえ、心がちくりと痛んだ気がするが、気のせいだろう。


 ざらざらとした砂が体中を覆い尽くす。
 フウカは先ほどのツナギとシャツといった格好ではなく、がらくたの奥に放置してあったかび臭いボディスーツを着用していた。こんなものがあったのならとっとと着せておけばよかったと一瞬思ったが、でもまあシャツ姿も悪くなかった、と思いなおす。山同様、家の中でも発掘することがままある。
 精密機器なので、外では砂塵が入り込まないように防護しなければいけない。ボディスーツの他にも、不恰好だが、まるで宇宙に行くようなヘルメットをかぶっていた。
 体にぴったりと張り付いたそれは嫌が応にも目立つ。ハヤトもフウカの肢体を思わずじっくり観察してしまう。その体つきは、女の子というより少年に近いが、ボディラインがはっきり浮き出た服装に思わず欲情しそうになる。
 先ほどまでのような異様な高揚感は収まってきていた。調子に乗って色々なことをした気がするが、はっきりとは思い出せない。フウカが少し離れて歩いているのもそのせいなのだろうか。
 日が沈み、空がまだ青々としている宵のうち。不意に山のふもとのある場所を目で追うが、そこにはあの浮浪者はいなかった。少しほっとする。
 もし彼に出会ってしまったら、自分はどう答えるだろうか。ハヤトにははっきり拒絶できる自信がなかった。
 ふいに、フウカがよろめいた。
「きゃ……」
 ハヤトは瞬時にフウカを支え抱え込んだ。
「……あ、あっぶねー」
 冷や汗が流れる。生体をこんな足元不安定な場所に連れてくるなんて、なんて思慮が足りないんだ。うっかりしていたが、これは精密機械なんだ。転んだらどうなることか。
 ハヤトはひやりとした視線を感じていた。
 値踏みされている。
 恐らく、自分ではない。このフウカだ。嫌が応にも目立つ。ぼろきれをまとった浮浪者ではなく、一見すると華奢な女性にしか見えない。この山にはまったくそぐわないものだ。
 そんなハヤトなどいざ知らず。
「ご、ごめんなさいごめんなさい」
 慌てて体勢を立て直し、ハヤトから離れようとするフウカ。
 ハヤトは熱く抱きしめようとして、その衝動を必死に押さえ込んだ。まだ、後遺症が残っていたらしい。
 落ち着いて、ゆっくりフウカを立ち上がらせた。
「フウカちゃんは転んだら大変なんだから。気をつけるんだよ」
「……はい」
 フウカは一瞬躊躇したが、大人しくハヤトが差し出した手を取った。
 それから慎重になったのか、おっかなびっくり、まるでロボットのように強張ってフウカは歩く。その様子がおかしくて、思わずハヤトは笑ってしまった。
「な、なんですか」
 顔を赤く染めてフウカは抗議する。
「フウカちゃんはいつ見てもかわいいなあ」
「もうっ。何を言ってるんですか」
 フウカはそっぽを向いて、呟く。
「心配してたんですよ、本当に。ハヤトさんがいつもと違って……」
 不意に、ハヤトはフウカを見つめた。ゴーグルの向こうに映るフウカはにっこりと笑いかけた。いつもと違う、ふわっとした視線に、とっさに言葉が出ない。
 ヘルメットの奥の深い藍色の瞳が、まっすぐにハヤトを捕らえていた。つるりと光を反射するガラスの水晶体、カメラのように絞る虹彩、その奥で光を捉える瞳孔。見れば見るほど、作られたものだという意識が心の中に芽生える。
 しかし、彼女の表情がその全てを払拭する。あまりに人間らしく笑い、しゃべり、行動するフウカ。何故かハヤトは恥ずかしくなってしまい目をそらした。
「そ、そうかな」
 こんな間の抜けた言い回しにでも、フウカは笑って答えてくれた。
「そうですよ」
 照れ笑いで隠したが、舞い上がりそうになる。フウカ、君がいてくれればもう他には何もいらない。そんな気分だった。
 不意に、キヌエのむすっとした顔とちくりとした罪悪感のようなものが胸を刺した。慌ててそれを振り払う。
 鉄とプラスチックでおおよそ出来た足元に注意を払い、フウカをエスコートしながら、山のふもとまでゆっくりと歩く。相変わらず不恰好な山だ。
「フウカはあの当たりに埋まってたんだぜ」
 山の中腹にあった大きな裂け目が、数週間の間に、まるで天から大きな拳が山をぶん殴ったような大きな穴となっていた。人間の底力というものに目を見張る。
「えぇ? どこですかー」
 フウカはさりげなく寄り添う。
「あっという間に地形が変わったな……このへん、だったかな」
 フウカは興味深そうに眺めている。
「この山から棄てられたパーツを拾ってきて、義手なんかに使うんだけれど、近頃はさっぱり取れなくてね……。皆、真っ先に持っていってしまうもんだから」
 数の力、というべきか。先日の地震によってひっくり返った地層から、浮浪者たちはすでにめぼしい物をあらかた取り尽くしていた。表面的には、役に立つようなものは見当たらない。
 フウカという大物をゲットできたのは今までの人生最大の幸運だった、といっていい。しかし、こうもあっという間に取りつくされるとは。密かにまだ拾うチャンスを夢見ていたのが馬鹿みたいだ。
「私、役に立ちますよ」
 フウカの目がきらりと光った。

「で、ハヤトさんは何をお探しですか?」
「な、何って。そうだなあ。義肢の材料になるものがいいかなあ」
 メットの奥で自信満々の笑顔を浮かべるフウカに、ハヤトはたじろいでしまった。
 フウカは山を慎重に見つめている。時折吹く強風をものともしない。
「義肢……ですか。ん〜……あっちのほうに塩化ビニルに包まれた、えっと金属が何種類か混ざった線がありますね。ケーブルかなんかでしょうか。あとは……」
「へえ! フウカちゃん、いつの間に」
「私にもこんな力があったみたいなのです……あとはですね、金属の棒状のものがあのへんと、もっと奥のほうにも埋まってますけど……ちょっと錆びてるみたいです」
 ハヤトは笑ってしまった。得意げにとってきた鼠をたしなめられ、猫、もといフウカはたじろぐ。
「な、なんですか」
「ごめんごめん。だって『あっちのほう』とか『奥のほう』とか、えろーい。あはは。……じゃなくって。そのええ加減さにちょっと感激した」
「もう。本当に本当ですよ」
 この砂嵐の中、極力鉄の左腕の使用は控えていたが、気が緩みつい肩に力を入れてしまった。忘れもしない、ぴりっとした刺激が走る。
 左腕は不自然に曲がったまま停止した。常態なら力を抜くとだらりとぶら下がるはずの左腕なのだが、埃が間接部分に目詰まりしたのかもしれない。しかしそれを確かめようとする気力はない。動かそうとしたら、また痛むのは明らかだからだ。
 普段は義肢ということを意識していないのに。自分の体であるのに、思い通りに動かないなんて。
「本当に調子が悪いなあ……」
 山がぴしっと、電気を帯びた気がした。

BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2007 mizusawa all rights reserved.