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15.触れてはいけないもの


 みーっ、みーっと数回コール音がして繋がった。
「お疲れ様です、相良ですけれども」
『おう、どうした』
「いつものところに納入しましたので、ご確認いただければ」
『あいよ。ちょっと待ってくれ』
 うねるようなノイズが受話器の向こうから聞こえる。しばらくの間沈黙があった。
『おー。了解了解。さすがだね。今度うちに来た奴がいるんだけど、あいつホントに使えなくてさ……』
「はあ」
 またいつもの愚痴が始まった。キヌエは適当に受け流し、話が途切れるのを待った。数多の戻って来いコールも、スクラップの山の悪口も我慢してお茶を濁しながら通話を切らなかったのは、聞きたいことがあったからだ。
『お前の悪いところは俺の話を聞かないとこだったがな。やけに今日はつきあってくれてるじゃないか』
 相手もそれに気付いたらしい。
「ええ、実は聞きたいことが――」
『なんだ。亭主と夜の関係がうまくいってないのか』
「違います」
 痛いところを突かれた気がするが、キヌエは即否定した。労働庁に訴えてやろうかという気持ちを必死でこらえる。
「ところで、ですね。マネージャーはご存知ありません? タイプDというものを」
 しばらく沈黙があった。
『さあ。知らないなあ』
「そう……なんですか。本当に?」
 この沈黙が不気味だった。上司は何故すぐに知らないと言わなかったのだろうか。いつもは絶対にしないのだが、口答えのように念を押してしまった。
『あ? 俺は一介のサラリーマンだぞ。知ってるわけないだろうが。Dなんて』
 上司は重苦しい口調で妙な物言いをした。明らかにDを知っていて、隠している。予想以上の反応に、キヌエは心で嘆息する。
 しかしキヌエには会話の糸口がみつけられない。
 腹の探り合い。キヌエがもっとも苦手としている会話だった。これだから、会社にはいられなかったのだ。ぎりっと奥歯を噛み潰す。
『……まさかお前、既に関わってたりするんじゃないだろうな』
「いえ、」
 キヌエはそれ以上言葉が続けられなかった。
 上司は明らかにDのことを隠した。知っていて明らかに隠匿したがっていた。フウカというD型生体人形と、今も暮らしていることを言ってしまったら、悪い方向へ転がり落ちてしまう。そんな気がした。真実を聞くことを恐れたのだ。
 受話器の向こうからため息が聞こえた。
『俺からの最初で最後の良心をくれてやろう。いいか、か・か・わ・る・な・よ。じゃあな』
 それだけ言い捨てて通話は途切れた。
 関わるな、か。
 そうも言っていられない。もしもあの生体を勝手に捨ててしまったら、彼は赦さないだろう。だとしたら、キヌエに出来ることは、こっそり生体の能力を解析してしまうことだけだった。無害ならそれで構わないし、危険なものが含まれていたら蓋をしてしまえばいい。
 とりあえず、もう眠ろう。徹夜明けは体に堪えた。頭の中は爛々としているが、瞼は泥のように重い。
 もうプロレスを何日も観ていない。録画した試合はいくつたまっているだろうか。W.P.O主催のベンケイ対竹千代の試合も生で観れなかった。全てマネージャーの無茶振りのせいだ。
 これが終わったらしばらくはプロレス漬けになってやる、と誓って、キヌエはベッドに倒れこんだ。そこに丸まっていた猫が抗議の声をあげるが、聞いていられない。猫の背中に顔を突っ込んだまま、キヌエは眠った。


「フウカちゃん。ご褒美に何か買ってあげようか」
「いいんですか?」
「いいよう。フウカちゃんの頼みならなんでも聞いてあげる」
 ハヤトはほくほく顔であった。フウカの言い当てた場所を掘り出したら、そのとおり、ケーブルと鉄くずがざくざく出てきたのだ。まるでよくある昔話のようだ。
「ぽちかぁ。ぽちだな。うん」
「何がですか?」
「ぽちー」
 フウカの頭をメットの上から撫でた。フウカは首をかしげたままだ。
 山のふもとのスラム街。
「ハヤトさん……?」
「ん? どうしたよ」
 フウカがほんの少し身を寄せた。
 角を曲がると、そこは、薄暗い路地であった。人っ子ひとり見当たらない。いつも店を出している浮浪者たちの姿もない。
 妙だ。
「おい」
 ハヤトの心臓は跳ね上がった。瞬間的に、これはまずい、と知る。
 暗がりの中に、確かにいる。一人、二人、三人。いや、もっとだ。ゆらりと暗がりから歩み出た屈強な男たちにハヤトは戦慄を覚えた。
 その中の一人には見覚えがあった。覆面をしていても見間違えようがない。ゆらゆらゆれながら歩く、妙に足の短いいびつな姿。
「売らなかったんだねぇ、その人形。いや、それとも売りにきてくれたところなのかな。なんにせよ、手間が省けて助かったよ」
 ハヤトは軽はずみにフウカを連れてきたことを後悔した。そうだ。こういう事態も想定できたはずなのに。
「さっき偵察から連絡があってね。人形を連れた旧時代の義肢の人がいるってさ。はははっ。お兄ちゃんにしては軽率な行動じゃない? それとも、まさか自分はこんな目に遭うはずがない、なんて思ってたのかな。山育ちのくせに」
 男たちが近づいてくる。それに押されるように一歩後退すると、嫌な感触が背筋をよぎった。いつの間にか、後ろにも二人。物売りのふりをしてさっきまで座っていた男たちが立ち上がり、じりじりと近づいていた。
 囲まれている。
 フウカはきょとんとしている。
「この人たちはどなたです?」
「いいから逃げるぞ! 走れ!」
 この言葉がスイッチになったかのように、ハヤトは身を翻してフウカの手を引っ張り、駆け出した。丁重に扱わなければ成らない精密機械であるとか、そんなこと構っていられない。今すぐ、この場所から立ち去るということが何よりも先決であった。
 さっきから左手が動かない。右手でフウカを引きつれ、左は棒立ちという不恰好な姿で駆け出す。フウカもよろけそうになりながらついてくる。
「ははっ。逃げられるとでも思っているのかい」
 男の声が耳にまとわりつく。そんなことはわかっていた。生体を連れて、ましてやこの大人数に取り囲まれて。逃げ切れるわけがない。それでも、ハヤトは逃げなければならなかった。
 血路など見つかりようもない。あっけなく、ハヤトは男たちに捕まった。もがいてみるが、腹に一発、拳とともに電撃を浴びせられる。そして畳み掛けるように後頭部に鈍い衝撃が走り、ハヤトの視界はぐわんとゆがんだ。
 無音室に放り込まれたかのように感覚を失う。耳鳴りが聞こえる。
 ハヤトは崩れ落ちた。ガスマスクの口が地面にぶつかり、ハヤトの鼻と口を打ちつける。
「ハヤトさん!? ハヤトさん!」
 フウカの悲痛な叫び声が、遠くから聞こえてくる。
 男たちの手で、ガスマスクが外された。乱暴に服の中を荒らされて、財布を取り上げられた。左の腕を千切れそうなほどひねり上げられて、ハヤトはうめいた。身ぐるみをはいでいくつもりなのだ。
 男たちの略奪は手馴れていた。肩の接合部から力ずくで引きちぎろうだなんて、丁寧に施術を行う側の人間からは想像もつかなかった。こんなことをしたら、最悪、肩ごと持っていかれる。神経が使い物にならなくなるだろう。
 抵抗しようとしたが、激痛に耐えかねて身動きをとるどころではない。悔し涙が目をにじませる。
 何も守れない。フウカだけでない、自分自身でさえも。このざまか。
「ふん。そんながらくたなんて金になりゃしないよ。買っていくとしたら、そう、旧時代の義肢をつけた野郎ぐらいのもんだ」
 男の一言で、略奪を行っていた男が手を離す。ハヤトはそのまま無様にも倒れこんだ。義肢はどうやら奪われないことになったようだが、無様だった。
「やめろ……フウカには手を出すな」
 かすれる声でつぶやく。背中に重い衝撃を受けて、ハヤトは咳き込む。誰かが背中を踏んでいる。口の中に砂が混じり、唾を吐き出した。
 目の前には荒廃した地面が横たわっている。フウカの悲鳴と、男たちの乱雑な足音が聞こえる。それでもハヤトは動くことが出来ない。
「おい! 人形には傷をつけるなよ」
 あの男が偉そうに指示をしている。癇に障る。
 ――ああ、そうだ。何が引っかかっていたのかようやくわかった。人形、人形ってまるでモノのような言い方をしやがって。フウカは人形じゃない。
 その時、青白い光が、かっと炸裂した。と同時に、耳をふさぎたくなるほどの不快な金属音が鼓膜を突き刺した。
「何をする!」
 男たちの悲痛な叫びが聞こえる。
「ぐ……あっ」
 頭が割れるように痛い。
 その音は、ハヤトの左腕から発信されていた。肩にすさまじい激痛が走る。
 義肢だけでない。強盗たちの体のパーツから、転がっている鉄くず、ありとあらゆる部品が震えている。まるで自分の意思を持ったかのように、揺れている。
「……ふう。野蛮なんだから」
 誰の声だろう。聞き覚えのない冷静な女の声をぼんやりと聞きながら、ハヤトは気を失った。



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