type:D-0004

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17.死神のD


 あの人が死ぬときのことを考えたことがある。
 彼の遺体を抱きしめて、そして自分は泣くのだ。彼にはきっと弔い客がたくさん集まるから、自分は笑顔の遺影に向かって二言三言悼辞を読むのだ。
 そんな想像をしている自分は、どんな顔をしているのだろうか。
 彼が本気で死ぬことを望んでいるのだろうか? ――そんなはずはない。それとも、それをだしにして自分を哀れんでもらいたいだけか。夫を亡くしたかわいそうな自分を。
 山へ来るときに、仕事も友人も、何もかも捨ててきたはずだった。自分の肉親でさえも。山に来たときに、全ての関係が断ち切れたはずだった。
 それなのに。山で出会った男と今は暮らしている。仕事だって、どのようなつてか知らないが、結局前の職場の尻拭いをしている始末だ。
 キヌエはハヤトと添い遂げることを心に誓ったのだ。恥ずかしくて、本人には直接伝えはしなかったけれど。
 だからこそ、どうしても想像してしまうのだ。彼が死ぬ瞬間を。
 彼が山へ行くたび、もしもの事態を想定して、人には決して聞かせられない妄想がすっかり癖になってしまっていた。彼はうっかり足でも踏み外して、物言わぬ塊になるのだ。そして自分はその知らせを聞いて、ただ呆然とし、言われるままに現場に向かうのだ。彼の骸に出会ったとき、自分の中でようやくそれを認めたのであろう、やっと涙が――
 しかし、今日に限っては、そんな想像は微塵も浮かんでこなかった。
 それどころか、死ぬのは自分かもしれない。
 今まさに目の前で起きている出来事は、キヌエの限界点を超えていた。それゆえに、逆に恐怖に対する自制を失っていた。もはや絵空事のようにしか思えない。
 砂埃の舞う赤い世界に、青白いオーラをまとった機械たちがゆらめいている。ケーブルが、クレーンが、スクラップの山が、まるで意思を持っているかのようにうねうねと蠢いていた。遠目に見ていると、木々が風に揺れているようだ。しかし近づくと、その異様さがより一層際立つ。
 紫外線が目にしみて、キヌエは目を細めた。めまいがする。
 世界が揺れている。
 夢でも見ているのだろうか。それとも、遠い未来の出来事なのだろうか。今はまだ自立するプログラムは限られているけれど、きっとその先には、鉄くずでさえ意思を持ち、人間に握手を求めるのだ。それとも、彼らが人間に向ける感情は、悪意だろうか。
 吐き気を催しながら、キヌエはゆっくり歩みを進めていく。
 スクラップの山。彼はきっとそこにいるはずだとキヌエは思った。

 行軍は思うようにはいかなかった。今はただ意志を持たず、ただ揺れているだけの鉄くずだけれど、やはり近づくのは怖い。何が起こるかわからないからだ。これらをなるべく避けるような道どりを取るが、山に近づくにつれ、鉄くずの量が増えてくる。
 それにしても。キヌエはかすかな自我の中からさっきの会話を思い出す。
 上司は妙に確信めいた何かをつかんでいた。それはキヌエの直感でしかなかったけれど。
 上司が口をつぐんだ『D』。そして捨てられていたフウカ、中身は目の回るようなコード。頭の悪い開発者が記述したというよりも、まるで解読されるのを拒むかのような、幾重にも張り巡らされた螺旋。
 ――あれは一体、何の目的で作られたものなのだろう。
 その時。
 砂埃の向こうに、ラバースーツを着た人影が立っているのが見えた。

 一瞬、呼吸が止まった。すぐに深く息を吐き出す。
 あのラバースーツは、見覚えがあった。家のがらくたの中にあったはずだ。
 こんなにあっさりと目的にたどり着いてしまうことに動揺したけれど、キヌエは覚悟を決めて近づいていった。
 ざっ、ざっと足音を隠そうともせず、彼女は砂の大地を踏みしめていく。
 その人影はゆっくりと振り向いた。
 メットの中から、藍色の瞳がキヌエを射抜く。まごうことなきフウカだった。
 だが、何かが違う。
 普段のフウカは、縮こまって、周りの様子を観察しながら反応する、日和見的な思考を持っていた。しかしこの生体は、このいかれた環境の中で縮こまるどころか、むしろ自分が世界の中心だと言わんばかりに立っている。
「あら。キヌエさんは頑丈なのね」
「き……キヌエ」
 ハヤトがすぐそばで転がっている。
 本当なら、すぐにハヤトに駆け寄って、いたわるべきなのかもしれない。自分の夫なのだから当然のことだ。
 だが、キヌエは目の前の生体に目を奪われていた。
 こいつが――この生体が全部、こんなにしてしまったのだ。ハヤトも、家の犬も猫も、鉄くずもコンピュータもこの世界も。
 キヌエの中でぐるぐる回っていた疑問が、確信に変わっていった。彼女の冷徹な笑みが。この世界を楽しんでいるように見えるその指先が。機械を包んでいる青白いオーラを指先に集め、まるで自分の力で支配しているように見えるという、ただそれだけの理由で。
 何から怒るべきなのだろう。言いたいことは山ほどあった。しかし。
「フウカ。あなたのおかげで進捗がパアよ。どうしてくれるのよ」
 まず口をついたのはこれだった。
「フウカじゃないわ」
「は?」
「私はもう、フウカじゃない。わかるでしょ」
 目の前のフウカは余裕を浮かべた笑顔を見せていた。軽薄な、相手を馬鹿にしているような、そんな笑み。
 キヌエの怒りに油が注がれる。しかし、確かに違う。目の前のいれものはフウカだけど、中身はフウカじゃない。仕草が違う。しゃべり方が違う。性格が違う。何もかもが違っていた。
「じゃあフウカ……じゃないとすれば、何なの」
 それはキヌエ自身もわかっていた。けれど、敢えて尋ねずにはいられなかったのだ。
「私はD-0004。type:D-0004《タイプ:ディーフォー》よ」
 予想通りの答えだった。しかし、それだけでは不十分だ。キヌエは『D』が何なのか知らない。あの上司でさえ口をつぐんだのだ。
「……そうね。あなたは『D』だものね」
 キヌエは表情を変えずに言う。フウカ――「D-0004」と名乗る生体人形は、馬鹿にしたように鼻で笑った。
 見下したようなその表情が全てを物語っていた。何も知らないくせに――。
 まるでこのハッタリが見透かされたかのようで、キヌエは顔をしかめた。
「教えてあげる。『D』はね、DEATH。死神のD」
 死神のD。それが、フウカの本体に刻印されている製造番号。
「死神、ね。随分悪趣味な名前だわ」
 フウカはおどけたポーズをとった。おかしくてしょうがないようだ。
「くくっ。久しぶりに動くのはいい気分ね。ずっと『フウカ』が動いてて、窮屈でたまらなかったの。まったく、M型生体め、あいつが私の体を使って馬鹿なことをしていたと思うと虫唾が走るわ」
「……フウカ」
 キヌエはそっと自らの手を握り締めた。
 ぐるぐると渦を巻いていた疑問が、ようやく一本の線に繋がってきた。解読できないコードの上に塗りたくるように、隠すように、M型生体の人格が植えられていた。フウカはいわゆるメイド用に作られた人格だったのだ。
 そう。彼女はずっとこれに翻弄され続けていた。不愉快の連続だった。彼女がいなければ、二人きりで、そして犬と猫とがらくたに囲まれた平穏な毎日が続いていたはずなのに。
 けれど。キヌエは、あの頃のフウカをほんの少しいとおしく思ったのだ。

「あなたを停止させる前に、最初で最後の質問をするわ。ディーフォー、あなたの作られた目的ってなんだったのかしら」
 耳を刺激する不快な金属音がこだまする。D-0004の不快な笑みはとどまるところを知らない。
「答える必要はないわ」
 キヌエは大きくため息をついた。期待はしていなかったけれども。
「……と言いたいところだけど。気分がいいから教えてあげる。目的? 見ての通りよ。私は機械を破壊し、隷属させる。そうなった世界を想像できる? 今はまだ半径数キロメートルの力だけれど、いずれは私の指先一つで、何もかも動かせるようになるわ」
「……そう」
 見ていられなかった。醜くゆがんでいくフウカのその顔を。
「それにしても、ずいぶん驕っているのね。私を止める、だなんて」
 彼女が手を一振りすると、それまでただ揺れていた鉄くずが一斉にこちらを向いた。
 ハヤトが大きくうめいた。彼の左腕もまた、彼女によって動いていることは明白だった。しかし、その生体は見向きもしない。
「ハヤトっ」
 本当なら、今すぐにでも駆け寄りたかった。けれど。吸い込まれそうな藍色の瞳から、目を離せない。
「あなたはどうせすぐ死ぬのに」
 その瞳が虹彩を絞る。それは、明確な敵意だった。今までとは違うその言葉に、キヌエはひるんだ。
 彼女は危険だった。ならば、止めなければいけない。けれど、圧倒的な力の差を感じざるを得なかった。百の軍隊の前に生身で立っているようなものなのだから。
 そう、死ぬのだ。彼女の手によって腕をねじり切られ、全身を殴打されて。後にはただ肉の塊と血が残り、そしてそれもすぐに朽ちる。やがてこのスクラップを従えたフウカが――
「……キヌエっ」
 その声にはっと我に返る。全身の震えが止まらない。また、妄想にとらわれていたのだ。
 キヌエは首を振る。
 まだ望みは残されている。予感が正しければ。そう、キヌエはフウカには操られないはずなのだ。
 キヌエは押しつぶされまいと邪念を振り払うかのように、声を張り上げた。
「あなたは、危険すぎる。なら、排除せざるを得ないわ。どんな手を使ってもね」
「しょうがないじゃない。私はこういう風に作られたんだから」
「……じゃあ、しょうがないね」
 つくられたものの悲しみをキヌエは知った気がした。
 生体人形は作られたとおりにしか動かない。それ以上は動けないのだ。それはキヌエ自身がよく知っていた。
 だが、同情などしていられない。
 怖くない、と言ったら嘘になる。本当は怖くてたまらない。
「でもね」
 キヌエ自身にも、守るべきものがある。それだけは譲れなかった。
「あんたがいくら機械を操ろうと、私には無駄なのよ!」
 キヌエは、元はフウカだったその生体、D-0004に向かって駆け出した。


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