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18.大切なもの


 ハヤトは自分の義肢が好きだった。自分の体のどこが好きかと問われたら、当然のごとくこの腕だと答えるくらいに好きだった。拒否反応はないことはなかったが、今まで至極当然に自分の体の一部だと思ってきたし、事実そのように使ってきた。
 自分の体を支配する感覚は自分だけのものだ。それが崩壊することがあるなんて思ってもいなかった。
 この腕だけが操り人形のようだった。感覚はある。しかし思ったとおりには動かない。自らの呼吸さえもまるで他人事のようだ。絶えず襲ってくる痛みと、勝手に体を支配される乗り物酔いにも似たこの感覚に、胃の中の内容物がせり上がってくる。汚れた外の空気を吸い込むことなど、もはや気にしていられない。
 そしてそれがフウカによって操られているのだと気づいた時、彼の頭の中でようやく、彼女は『フウカ』ではないことを理解したのだった。
 心のどこかで彼女がまだ『フウカ』であることを望んでいた。それは都合の良い希望だったのかもしれない。
 目の前でフウカとキヌエ、二人が対峙している。
 止めなければいけない。
 頭が、靄がかかったように重い。
「フウカ。止めるんだ」
 言葉はむなしく空に消える。自分は無力だと、この時ほど思ったことはない。止めるどころか彼女によって体の自由を奪われているのだ。
 フウカの瞳がきらりと光った。
 周りを取り巻いていたスクラップがキヌエに襲い掛かる。と同時に自らの義肢の関節がおかしな方向に曲がり、喉の奥から声が絞り出る。
 意識が飛びそうだった。しかし、ここで気を失うわけにはいかず、ハヤトは歯を食いしばる。嫁のピンチに何も出来ないばかりか、あまつさえ気を失っていただなんて。そんなこと、出来るわけがない。
 仰向けになりながら、ハヤトはその一部始終を見ていた。
 彼女の言葉を信じるなら、義肢は当然、虫歯の詰め物まで、彼女の体には外から埋め込まれた物は、ないはずだった。

「ふうん。イマドキ珍しいね」
 ハヤトのその言葉にキヌエは顔を少しゆがめた。
「別に」
「ここの山の連中なんて特にそうなんだけど、簡単に強くなれるからね。金さえあればじゃんじゃんやっちゃうぜ。キヌエは肉体派なんだ」
 そう言いながら、ハヤトはキヌエの胸をさりげなく見つめていた。それが本当なら、彼女の体は手を加えていない、まさに天然ものの、しかも上玉だった。
「自分の中に自分じゃないモノがあるなんて、変な感じがするじゃない。それが嫌なだけ」
 言ってから、しまったという表情をして、彼女は「ごめん」と顔をそむけた。
 何に対する謝罪なのかと気づいたのは、しばらく考えてからのことである。それほど肉体改造はこの界隈では自然なことなのだ。
 実のことを言うと、彼女の乗り気でない返事に落胆しないわけではなかった。山の近くで倒れていた、美人だけれど気の強い女性。共有できる話題はないものかとじわじわ探りを入れるも、生き物は苦手そうだし、スクラップも興味を示さない。過去のことは口にしない。手負いの犬を拾ったときよりも扱いかねていた。
「ははは、いいよ。俺もそれほど改造至上主義ってわけじゃないし。この腕は……ちょっと昔ヘマしちゃってさ、それでつけただけ。ま、気に入ってるけどね。カッコイイだろ? この鉄骨って感じがさ」
 同意は期待してはいなかったが。やはり彼女も「……そう?」と微妙な反応をよこした。
「……まあ、似合うんじゃない」
 会話が途切れた後に、彼女がひっそりと呟いたその言葉を、ハヤトは今でも覚えている。


 一斉に飛び掛るコードや工具を、キヌエは跳ね除け、あるいは巧みに避ける。当たり所が悪ければもちろん危険だが、適切に対処できたら威力はたいしたことはない。そしてキヌエにはその余裕があった。
 だからといって、キヌエが特別秀でているわけではない。身体能力が高い人間ならばこれくらいは可能だろう。稚拙な攻撃だった。
 生体の頬が紅潮している。
「こんな程度なの?」
 その言葉が生体の口から発せらるのを、キヌエは確かに聞いた。
 やはり、気づいていないのだ。勝機はある。口の端をぐっとかみ締める。
「どうしたのよ、『フウカ』。貴女は……!」


『自分の中に自分じゃないモノがあるなんて、変な感じがするじゃない』
 ――そうは言ったけれど。キヌエが肉体改造に縁遠いのはたまたまであって、深い理由などなかった。流行りものに乗るのは気乗りがしない、とばかりに目を背けていたら、いつの間にか言い出しにくくなってしまった。とその程度のことである。
 ましてや、山に流れ着いてからは改造は当たり前であることを目の当たりにする。強い者がより権力を持つ。わかりやすい理由だ。
 もっとも直接的な原因はハヤトだった。ガラクタオタクで、暇さえあれば何でも拾ってきて。挙句キヌエ自身まで彼に拾われたのだ。下心は感じないわけではなかったけれど、彼は優しかったし親切にしてくれた。
 キヌエが義肢に興味を示したときの、屈託のない笑顔を見た瞬間。キヌエの胸は波打った。
 過酷な環境ではリスクよりも実用性が上回る。彼が改造しないのかと問うたのは当然の流れであった。
 彼に従い、彼の好みに合わせたら、衝突することもないだろう。
 なんとなく好意は感じていたし、無下に断って気まずくなることもない。
 しかし、もし施術を受け入れて彼が大好きな機械の体を手に入れたら、それは、本当に自分の体なのだろうか。彼が好きなのは、体を改造した自分なのだろうか。そんな疑念にとらわれながら生きていく自信がなかったのだ。
 だからキヌエは肉体改造をしなかった。

 要するに、天邪鬼だ。
 彼の好意にそっぽを向いて、後でこっそり枕を濡らす。厄介な性格だと自覚している。
 それでも「いいよ」と言われたときに、もう少し素直になろうと決めたのだった。

 そしてそれがまさに報われたともいえる、この瞬間。
「どうして? 何故? 何故動かない!?」
 生体の表情から余裕が消えていた。キヌエを攻撃しようと動かした機械や部品はことごとく失速する。まるで彼女が何か得体の知れない力で守られているように。
「驕っているのはあなたよ! 知らないの? フウカは――生体は人間に攻撃できないのよ!!」
 ハヤトのように一部が機械の体だったら、どうなっていたかわからない。恐らくハヤトと同じように彼女に捕まり、のた打ち回っていただろう。
 だが――キヌエには、彼女が自由に動かせる機械の部品が、ただの一つもないのだ。
「なんですって……生身の体の持ち主がいるというの」
 キヌエは、今や恐怖を浮かべているその生体に駆け寄っていく。
「ハヤト!」
 自然に、雄叫びを上げていた。
「あんたについて行けるのは、あたしだけなんだからあぁぁ!!」
 何を叫んでいるのか自分でも理解できなかったけれど、今まで胸にしまいこんでいたものが一気に解き放たれた気がした。爽快だった。
 ひるんでいるフウカに、キヌエはつかみかかった。髪の毛をわしづかみにし、後ろに回りこむ。頭部に植え付けられた頭髪繊維が何本かちぎれ、抜け落ちる。
 まるで呆然としている彼を、視界の隅で確認する。
「おりゃー!」
 キヌエは生体を気合で持ち上げて、力任せに脳天から叩きつけた。派手な音がして、生体の口から火花が飛び散る。
 A.M.T.所属、アンドロイド中沢の必殺技。頭上から落下するパワーボムだ。もちろん、生身の相手に使ったら危険である。
 リングの熱気。熱いざわめき。雄叫びを上げる中沢の姿が、キヌエの目にはありありと浮かんでいた。
 とっても分厚い生体の取扱説明書には、パワーボムをしないで下さいとは書いていない。しかし、そんな扱い方をしたら誰だって壊れることは誰にだって予想がつく。
 事実、ぴくぴくと痙攣しながら、生体からはうわごとのように言葉が発せられていた。CPUがいかれているのだろう。ファンがうなりをあげ、目が怪しく点滅していた。
「くっ……まさか、フウカ……貴女のせいなの……!? 私の使命は……」
 生体の口からそれ以上、言葉を発せられることはなかった。
 キヌエは咆えた。まさしく、中沢がそこに乗り移ったかのような咆哮だった。
 やがて、いくつかの点滅を繰り返した後、フウカの動きは完全に停止した。人間らしい動作の一切は失われ、がらくたの一部と化したのだ。
 それとともに、リングの熱い熱気も、人々のざわめきも。意思を持ったスクラップを取り巻く青い光も消え、彼らの動きもまた停止したのだった。
 山は、完璧な静けさを取り戻していた。
 キヌエは荒い呼吸を吐いた。
 疲労が、そして今更のように恐怖が、どっと押し寄せる。気を張っていないと、震えてしまいそうだ。
「キヌエ!」
 ハヤトはよろよろと立ち上がった。左腕がおかしな方向に曲がっている。彼の腕もまた全く機能していないようだった。
 どんな顔をしたらいいだろう。彼の目を直視できない。彼が今、どんな表情で見ているのかもわからない。
「ごめん……」
「ん?」
 彼が顔を覗き込んでくる。反射的にキヌエは顔を背ける。
「――壊しちゃった」
 彼が大事にしていた生体を。
 彼の温かい右手が肩に触れる。その温もりが、ゆっくりと背中へすべる。そして腰のゆるやかなカーブに収まる。
 ハヤトは、手加減無しで彼女を抱きしめた。


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