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● 消えるマキュウ --- 【一】 ●

 春の霞がたなびく山々に囲まれた町、御花町。
 全幅百メートルもありそうな神野川の土手には、家庭菜園サイズの小さな畑や砂利が敷き詰められた駐車場、粗末なバックネットが張られた小さな野球場がある。さやかな川の流れはかき消され、時折通る電車の音、車の音、そして子供たちの声が響く。
 きいん、と派手な金属音がした。わっと歓声があがる。
「いけーヨシキ!」
 最終回ツーアウトでの大きな当たりだった。球が綺麗にレフト方向に飛んでいく。バッターは全力で一塁を蹴った。
 ピッチャー公美子は顔を真っ赤にして叫んだ。六回を投げきった疲労から、息が上がっている。
「レフトー!」
「はい!」
 レフトの礼央は、高く上がった球を追いかける。柔らかい春の空に、小さなボールがゆっくりと泳いでいる。落下するにつれてみるみるスピードの増してきたその球は、待ち構えていた礼央のミットにすぱっと納まった。
「アウト!」
 勝った。わあっと歓声が広がり、少年たちは飛び跳ねた。一方、相手チームは呆然と肩を落している。少年たちがわっと内野へ集まっていき、ホームからずらりと二列に並ぶ。先頭に立った審判が権力者のように腕を振ると、少年たちはそれに従い、帽子を取って挨拶する。
「ありがとうございましたー!」
 リトルリーグでの初戦、御花町フレアーズは沖津ドルフィンズを下し、三対一で勝利を飾ることとなった。
 チームのみんなは、きらきらと眩しそうな笑顔ではしゃぎながらベンチに帰ってくる。土で汚れたユニホームも、日に焼けた顔も、立派に戦いぬいた勲章だった。
 遥はそんな様子をベンチでじっと見つめていた。みんなが嬉しそうなのに、この瞬間はいつも心苦しい。汚れ一つない、まっさらなユニホームに身を包んだまま。
 ベンチには、監督と遥と下級生数人が並んでいた。体の小さな遥は、下級生と背格好もそれほど変わらない。むしろ背の大きな下級生のほうがでかいくらいだった。
 せっかく、投球練習もやったのに。監督から体を温めておけ、と言われ、ひょっとしたら、という気持ちが遥をドキドキさせた。しかし、結局公美子が全部抑えて今日のゲームは終了した。
 チームは勝った。でも、遥は何一つ役に立っていない。そのことが遥を重い気分にさせる。
 勝ったんだ。暗い顔をしていちゃいけない。
 監督がよくやった、と重い腰を上げて拍手して迎えている。遥もそれに続いた。
「おかえりー! 皆すごかったねー!!」
 ベンチはわっとにぎやかになった。みんなのおしゃべりと、その中でも一際大きな声が遥の耳をふさいだ。竜之介がタックルをかますように走ってきたのだ。
「遥ーっ!!」
「きゃあああっ!?」
 遥は驚いて悲鳴を上げてしまった。竜之介の力強い腕で抱きしめられる。スライディングで派手に汚れたユニホームから、ざらざら砂が舞う。竜之介の熱気がじかに伝わって、遥はドキドキした。
 それを知ってか知らずか、竜之介は興奮してまくしたてた。
「今日のヒット見たろ! センター前ばっちり!」
 嬉しそうにはしゃぐ竜之介に遥も嬉しくなった。そう、練習が終わった後、遥と二人で秘密の特訓をしていたのだ。お小遣いをためてバッティングセンターに行ったり、お金がないときは竜之介の家の庭でキャッチボールしたり……そんな小さな努力が実ったのだ。
「うん、すごかったねー」
 竜之介に抱きつかれたまま、遥は努めて普通に振舞おうとした。心なしか顔に熱を持ち始めていることなんて気にしない、気にしちゃだめだ。竜之介とは友達なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 竜之介の心臓のドキドキが聞こえる。
 ふと、周りの視線に気付いた。チームのみんながこちらを見ていて、にやにやと笑っている。遥は血の気がひいた。
「はるかああ」
「きゃー、いやーん、やめてええ」
 早速お調子もんの寅吉と礼央が真似をした。だらしない顔でへなへなした声を上げ、寅吉が礼央に抱きつく。妙なくらいに内股でくねくねしている礼央に、どっと笑いは起こる。
「ちょっとー! 僕そんなんじゃないよっ!」
 顔を真っ赤にして反論する遥に、やはり笑い声は起こる。
 そう、遥は男だった。顔つきのせいか、声も少し高いのが悪いのか、いつも女子とからかわれる。それが遥にはコンプレックスだった。
 竜之介は気合の声とともに駆け出した。ぱっと遥を放し、寅吉と礼央を捕まえにいく。ベンチの中で追いかけっこが始まる。それにしても器用に椅子を飛び越え、人を障害物にうろちょろ走る。
 竜之介の運動神経は憧れるほどのものだ。しかし寅吉と礼央も素早さでは負けてはいない。叫び声をあげながらうまく二方向に逃げていく。礼央を捕まえようとすると、後ろから寅吉がつつき、振り向いて寅吉を追いかけに行くと礼央が邪魔をする。素晴らしいコンビプレーだ。二対一ではかなわない。
 遥も参戦しようかどうしようかと考えていると。
「おい。お前らその辺にしとけよ」
 それまで隅でバットを磨いていた鷹博が一喝した。みんなをじろっと眺めると、とたんに場は静かになった。
 遥はすくみあがった。鷹博がクールな視線を向けていたからだ。からかっているのを助けてくれたのはありがたいけれど、何を考えているのかよくわからない鷹博がちょっと怖い。
「お前ももっとちゃんと嫌だって言えよ」
「うう……言ってるんだけど」
 遥は指をつきあわせてもじもじした。そのしぐさに、また周りから笑い声がもれる。
「あー! タカ、コノヤロウ!」
 竜之介は鷹博をも巻き込んで、彼の尻を集中攻撃するが、鷹博に手をむんずとつかまれてひねりあげられた。
「やーめーろ!」
「ちょ、いたいいたい!」
 竜之介はあっけなく返り討ちにあい、ギブアップしてようやく鷹博に解放された。
 まったく、と鷹博はぶつぶつと愚痴をこぼした。
「なんなんだよ……ガキがっ」
 鷹博が竜之介に対抗意識を燃やしているのは誰でも知っている。竜之介は彼をそんな風に見ていない。というより、竜之介の態度は誰に対しても変わるものではない、といったほうが正しい。誰に対してもちょっかいを出し、憎しみや怒り、負の感情をむけられるとさらりと流してしまう。
 今日は先輩が卒業してからの、初めての試合だった。ちらほらとポジションが空き、てっきり仲の良い寅吉礼央コンビがセカンドとショートを努めるかと思ったのに、監督の人選は不思議なものだった。竜之介をショートに起用、そしてセカンドには鷹博を投入したのだ。
 ショートには身のこなしが軽く、判断力が要求される。それで竜之介を起用したのはわかる。しかし、一番重要なのはお互いにカバーしあうセカンドとの連携なのだ。そこに鷹博を入れたら反発してしまう。
 案の定、守備の連携は散々なものだった。結果的に勝てたからよかったものの、不満は竜之介の顔にもありありと表れていた。普段は鷹博の愚痴など軽く流す竜之介がくるりと向き合う。二人の間に火花が散った。
「お前さあ。五回裏のあれ、カバーしろよ」
 五回裏、ピッチャー越しに打球が飛んだ。ちょうどセカンドとショートの間に打球が落ちて、普通なら片方が捕球し片方は二塁につく。しかしライバル意識を燃やしたのか、二人とも捕球に行きお見合いになってしまった。結果、ランナーを許してしまうことになったのだ。
「俺が捕るんだよ。お前がカバーだろ」
 鷹博は吠えた。
「りゅう、やめなよ……」
 嫌な空気を察知して、遥はそっと竜之介の裾をつかんだ。
 理屈っぽくて怖いところがあるけれど、遥は決して鷹博のことが嫌いではなかったのだ。その二人が対立しているところを見るのは、心苦しい。
「あんたたちねえ」
 そこに割って入ったのは、フレアーズ唯一の女の子、公美子だった。左ピッチャー、今日も最後まで投げきっている。勝気な目が挑戦的にこちらを見ていた。びくっと、二人の背筋が凍った。
「五回裏、何やってんの。あれさえなければだ完封だったかもしれないのに! あんたたちのせいだからね」
 公美子は地団駄を踏んだ。
「ま、まあ、まあまあ」
 後ろから、ぬうっとキャッチャーの星児が顔を出して公美子をなだめる。
 星児は図体がでかいわりに性格は温厚というか気弱な奴で、よく公美子についていけるものだなあと遥は感心した。なんだかんだいってこのバッテリーはうまくいっているようだ。
 そのことが、遥を劣等感に追い立てる。
 ああ、これがバッテリーなんだ。
 遥はボールを弄び、うつむいた。
「そうだよタカ。お前がカバーしないから」
「違うだろ。お前がカバーするんだろ」
 竜之介がやあいやあいとはやしたて、鷹博が顔を真っ赤にして反論している。それに対して公美子はきっちり突っ込みを入れていた。
「りゅうもでしょ! あんたたちがちゃんと声掛け合ってないから――」
 正論だ。公美子は強い。とてもかなう気がしない。
「そーだぞタカー。声掛けろよー」
 しかしやんちゃ盛りの男二人を説得しきれるはずもなく、公美子は息をついた。男どもは言い合いからつかみ合い――というより竜之介の一方的な急所狙いに発展している。何故か寅吉と礼央も加わって、結局いつもの追いかけっこになっていた。
 遥はくすっと笑った。さっきまでの険悪な空気はすっかり消えてなくなっていた。
「まったく、ガキなんだから」
「まあまあ。りゅうもタカもわかってるって」
 星児はなだめた。しかし公美子のいらいらはおさまらない。
 公美子がつかつかと歩み寄り、遥の前に立ちはだかった。全くの傍観者だった遥はぎょっとする。
「な、何?」
「いつまで控えをやってるつもりなの」
 公美子の目がまっすぐ射抜いていた。遥は、思わず目をそらした。
「ぼ、僕まだ下手だから……」
「そんなんでいいと思ってんの?」
「で、でもっ」
 現在フレアーズの投手は公美子。遥は控え投手だった。遥が正投手になったら、公美子は控えになるじゃないか。どうしてこんなことを言うんだろう。
 遥は公美子が苦手だった。というより、女の子全般と接するのが得意ではなかった。しかしその中でも勝気な公美子は怖い、というイメージができあがっていたのだ。遥に向けても、チームメイトに向けても物怖じしないでずばずばと言う。
 遥だって、このままでいいと思っているわけがなかった。いつも練習に参加し、仲良しの竜之介とこっそり特訓をしたりしている。でも、反論する言葉が出てこない。何を言っても、現在ピッチャーでエースである公美子が強いし、それに言い返されそうで怖かった。
 遥は所詮控え投手、公美子の代わりにすぎないのだ。
「あんただって試合に出たいんでしょ! しっかりしないでどうすんのよ! 男のくせに」
 ぐさっときた。普段あれだけ女の子と言われるのが嫌なのに、男のくせに、なんて。男であるはずなのに、そんなことは言われたくなかった。胸の奥がきゅっとする。
「うるせーよ、ハム美ぃ」
 振り返ると寅吉が舌を出して礼央の後ろで尻を振り振り踊っている。礼央も変な顔をして、明らかに挑発していた。公美子の顔色がみるみるうちに真っ赤になっていく。
 そして公美子を挑発する、とどめの一言がこれだ。
「なんだよ、ハム美のくせにー」
 寅吉と礼央は、はやし立てた。
「言ったわねえええっ!?」
 小さい頃からハム、ハムとからかわれ、公美子は自分の名前がコンプレックスなのだ。確かに、誰だってハムと呼ばれたらいい気はしない。公美子は寅吉たちに掴みかかった。とたんに二人は尻尾を巻いて逃げていく。
 さすがに竜之介を相手にしているときより余裕があるらしく、二人は変なポーズを交えながら器用に逃げていた。
「おおい。やめなよう」
 すぐ後ろでは、困ったようにキャッチャーの星児が声を掛けるも、誰も止まる様子はない。結局彼らは捕まらず、公美子はぷりぷり怒りながら戻ってきた。その愚痴を星児はうんうんと聞いている。
 外野も交えて面白おかしくその様子を見守っていたら、監督がパンパンと手を打った。
「おい、そのへんにしとけよ。集合!」
「はい!」
 みんなの声が揃い、ぱっと集合する。
 監督はたぬきの置物みたいな太ったおじさんだけど、口をむっつりとへの字に結び、いつも怒っているように見える。これが普通の表情なのだと気づいたのは、チームに入ってから半年ほどたってからのことだ。
 もちろん見た目通り、怒ったときはとても怖い。怒鳴られると身がすくんでしまう。
 遥はベンチウォーマーだったから、チームの誰よりも監督の傍にいた。試合中、監督がぶつぶつとこぼしているのを、この中では一番よく聞いているだろう。おかげで、試合後の講評は褒める日か叱る日か、だいたいわかる。勝ったからといって褒めるばかりではない。もちろんその逆も。
 今日は「叱る日」だ、と試合中のぶつぶつを聞いていてわかった。
 もちろん、公美子の好投など、褒められるところはあった。しかしやはり、竜之介と鷹博のちぐはぐな連携が槍玉にあがった。
「お前ら、どうしてああなったか考えろよ。次同じ事をしたらスタメンからはずすからな」
「はい!」
 遥は黙って聞いていたが、納得がいかなかった。監督はいじわるだ。すぐに答えを教えてくれない。
 監督だって竜之介と鷹博が張り合っていることぐらい、わかっているはずなのに。どうしてわざわざ近いポジションにつけたりするんだろう。
 遥は考えた。僕が監督なら……ショートとセカンドは、寅吉と礼央かなあ。あの二人ならうまくやれそうなのに。
「……はい、じゃあ気をつけて帰れよ。解散!」
「はい!」
 監督がぱちんと手を叩くと、魔法が解けたようにチームメイトたちは一斉に駆け出した。
 公美子は、フェンスの外へ手を振りながら駆けていった。白い大きな帽子をかぶった日よけ対策ばっちりの女性が手を振り返した。公美子のお母さんだ。男勝りの公美子が不似合いなほどきゃっきゃとはしゃいでいる。他にもちらほら応援に来ていた親のもとへ、チームメイトたちは駆け寄った。
 遥は下を向いた。お父さん、今日は来てくれるって言ったのに。
 でも、こんなかっこ悪いところを見られるよりはマシかもしれない。見られなくてよかった、とも思う。しかしそれよりも、約束を破られたショックの方が大きくて、複雑な気持ちだった。
「どうした? 帰ろうぜ」
 竜之介が背中を叩いた。
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