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● 消えるマキュウ ---  ●

 ラングに導かれて、遥はこの部屋から脱出した。
 やけにかび臭いと思っていたら、それもそのはずだった。地下に作られた部屋だったのだ。
 外は全く知らない場所だった。メルヘンの世界のような、石造りと骨組みは木でできた建物が混在している。
 違和感は、外に出るとよりはっきりしてきた。足元にくっついている、くっきりした影。その反対側にぴょこんと小さな影が、おまけのようについてきている。
 大きな太陽の他に小さな太陽が、空の片隅で輝いている。
 ふと、遥は手ぶらなのに気がついた。
「バット置いてきちゃった……」
 振り切った瞬間に呼び出されたショックで、手からすっぽ抜けて、ジョルジュの家の棚に突っ込んだままだ。
「なんだ? 忘れ物か?」
「うん」
「まあ、仕方ないな。後日回収に行こう。今は身柄を確保することが先決だ」
 言うや否や、ラングはやや強引に手を引っ張った。
「えっ?」
 遥はなすがまま。あの状況から助けてくれたのだから、逆らうことはできない。しかし、いくらなんでも、あまりに強引な手に、遥は不安を覚える。
 二人は、土で踏み固められた道をひたすら歩いていく。
 目の前をぴこぴこと尻尾が揺れていた。耳だけでなく、尻尾まで。この人はいったいなんなんだろう。
 大きな背中。腰には長剣を帯び、他にも、縄や小さな盾、遥にはわからなかったけれど投石器など、ごてごてした道具が色々とぶら下がっている。
 剣と魔法の世界なのかと、さほど疑問には思っていなかったが、しかしこのラングも周りの人と明らかに様子が違った。他の人は布であつらえた平服を身にまとい、そんな重装備など背負ってはいない。
 ラングは気にせずに堂々と歩いているが、通行人のおびえたような目が気にかかる。そして遥に向けられた好奇の目も。
 道を歩いている間にも、色々な人にじろじろと眺められて遥は落ち着かなかった。確かにユニホームは目立つ。というより、激しく場違いな気がしてならない。
 遥はメットを目深にかぶりなおした。

「あのう。……これ、本物?」
 遥はラングの剣をそっと指差した。こんなもの、おもちゃのぴかぴかした安っぽいものしか見たことがない。鞘に包まれた剣はいかにも重そうだった。
「ああ」
 ラングは端的に返事をする。
「なんで持ってるの。他の人は持ってないのに」
「仕事で使うからな」
 仕事?
 不安がちらりと頭を掠める。
「ど、どうして僕を連れて行こうと」
 声が震えた。返答次第によっては、遥はジョルジュのところにいるよりも悪い結果になることになる。
 知らない人についていってはいけない、とお母さんに何度言われたか。しかし、知っている人が誰もいない、帰る場所もないこの状況で、いったいどうしたらいいのだろう。
 遥は正しい行動をとれているのだろうか。選択肢を間違えたら、即、ゲームオーバーだ。しかもこれはゲームの中じゃない。れっきとした、現実なのだ。
「うーん」
 彼は答えた。
「仕事……だからかな」
 また、仕事。そういえば、と先ほどの出来事を思い出す。ジョルジュを縛り付けているとき、ラングはいやに手際がよかった。剣と鎧……傭兵か。いや、傭兵だったらまだいい。強盗とかだったらどうしよう。悪い予想がぐるんぐるんと頭の中を渦巻いていく。
「さっきの、人を縛るのも、仕事?」
「ああ……必要なら、することもあるかな」
 その声からは表情がうかがえない。
 最悪だ。最低だ。なんでさっき確かめなかったんだろう。目先の安全にとらわれて、飛びついた先が本当に安全かどうか確かめずについてきてしまうなんて。
 ラングの冷静さが、今となっては恐怖だった。きっと頭もよく働く。やすやすと自分を逃がしてくれるほど、間抜けじゃない。ジョルジュは変な人だけれど、ちょっと変な人なだけで命まで取られることはないかもしれない。そう考えてしまうほどに、遥はおびえていた。
「ぼぼぼ、ぼく、帰る。帰ります」
「なんだって?」
 頭の中が熱くなっていく。泣くな、泣くんじゃない。そんな自分の意思に反して、遥の目には涙がたまっていく。
「いきなりどうしたんだ」
 ラングは困ったように頭をかいた。
「知らない人についてっちゃ、いけない、って、おかあさんが」
「ああ、それはそうだ。しかし、帰るってどこに? それともジョルジュのところに戻るのか」
 この冷静さが恨めしい。遥はいやいやをするように首を振る。どうしたらいいか、自分にもわからない。
 道行く人々がちらちらとこちらを見、ひそひそと何か噂している。だが、声をかけてくる者はない。
 この世界に一人ぼっち。あまりにもきつい現実だった。
「じゃあ、ここに置いていくか」
 遥は首を振る。そうじゃない。でも、目の前の人が怖いとか、信用できない、とか、本人に向かっていえるわけがない。
「じゃあ俺のところに来るか」
 首を振る。
「何だっていうんだ……」
 ラングは頭をかきむしる。いやだいやだ、で何が言いたいのかはっきりしない。ここに置いていっても一人、ジョルジュのところは論外。じゃあ、ラングのところしかない。
 そう説いても、遥は拒否の一点張り。
 一回転して、何かに気づいたようだった。ああ、と呟いて指をぱちりと鳴らす。
「……すっかり忘れてた。ハルカにはこの格好だけじゃ通用しないんだもんな」
 そう言うと、腰にぶら下げていた小さな盾を手に取り、遥の目前にかざす。
 磨き上げられた、ぴかぴかの盾だった。そこには狼のような動物の図案化された意匠が刻まれている。
「これを見てくれ。自警団の証、おおいぬの紋章だ」
 遥はわずかに顔を上げた。
「これは、俺が『自警団』に所属している証なんだ。自警団っていうのは……まあ、平たくいうと、法を遵守し、世間の治安を維持する組織のことだ。俺が仕事といったのは、ここ――シャーロワに召喚された者を守る法もあるからなんだ。わかるかな?」
「……うん」
「……大丈夫か? 本当に大丈夫か?」
「……うん」
 遥は必死で涙をぬぐった。
「……ごめんなさい」
 早とちりでしでかした事態だった。ちゃんと聞いていれば、こんなみっともないことにはならなかったのに。
「いいよ。気にするな」
 安心したら、余計に涙が出てきて止まらなかった。
「僕……ぼく、帰れるよね」
「ああ。もちろん」
 ぎゅっと抱きしめられた。鎧の硬い感触がほおに当たる。
 さすがに様子が変だ。大人の男に抱きしめられたことなんて、お父さんを除いて、ない。
「え……」
「存分に泣くといい」
 力強い腕。鎧越しでも厚い胸板を感じられる。そのどちらも遥にはまだ備わっていないものだ。
 なに、してるの、この人?
「やだ……やめてよ! 離して! 女の子じゃないんだから」
 思いのほか強い力に動揺しつつも、遥はもがいた。初めて出会った男の人の胸で泣くなんて、そんなことはできない。そんなに子供でも、女の子でもない。恥ずかしさと屈辱がごちゃまぜになって、頭がかっかしてきた。
 ラングは動きを止めた。
 きょとんとして、遥の顔をまじまじと見つめる。そしてしばらく考え込む。耳をぴくぴくさせながらそれを何回か繰り返して、ようやく口を開く。
「確認させてくれ。君は、女の子、じゃないのか?」
 やっぱり。
「僕は、男だよ」
「本当か? 悪かったな」
「ううん……」
 本当によくあることすぎて、いやになってしまう。けれど、遥には怒ることはできなかった。自分も間違えたのだから、お互い様だった。
「そのことは、ジョルジュには言ったのか」
 遥は首を振る。
 袖で顔をぬぐう。まだしゃんとした顔には程遠いけれど、涙のあとは消えてなくなった。
「……やっぱり、あの人も僕を女だと思ってるのかな」
「ああ。間違いないな。あいつは少女愛好趣味だから」
 さっきもモモが言っていた。ラングがにやにやしている。
「じゃあ、あの人は女の子を呼び出したかったのか」
「ああ、そうだろうよ。しかし実際に呼び出されたのは、ハルカだった。これを失態じゃなくてなんと言う」
 彼は小気味よさそうにくっくっと笑う。
「それにしても、本当に災難だったな。まさかあいつの召喚が成功するとは誰も思っていなかったもんだから、油断してた」
 どうやらジョルジュの魔法使いとしての地位は、かなり危うい方のようであった。
 変な人で、かなりの気分屋で。勝手に人を下僕呼ばわりして。そして女の子が好きで。そんなジョルジュの顔を思い浮かべる。
 遥があの短時間で思ったことと、ラングの評価はさほど違っていないんだろうな、なんて思う。
 しかし、ひょっとしたら遥が男であることがまずい方に向かうかもしれない。遥はその可能性に気がついた。遥が理想の女の子だから、まだあの扱いですんだのだ。じゃあ、男だったとしたら、態度を変えるんじゃないだろうか。
「あのう。僕が男だってわかったら、どうなるのかな」
 ラングの表情がきりりとしまった。
「いいところに気づいたな。だけどそれは、俺にもわからない。ひょっとしたら、まずいことになるかもしれん。伏せておいたほうがいいだろう」
「僕……本当に帰れるんだよね?」
 遥の不安に対して、ラングからの返事はなかった。
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