●● 消えるマキュウ --- 三 ●●
りりりん、と耳元の飾りが揺れる。
うさぎはぴいぴい鳴いた。けれど、その裏にある言葉を、この耳飾が拾っていた。
驚いて、そのしゃべるうさぎをじっと見つめたが、うさぎはやれやれと鼻をひくつかせて行ってしまった。リディアはその愚痴に応じない。無視しているのだろうか?
「……しゃべった?」
思わず、小声でつぶやく。
どうしていいかわからず、リディアを見つめると、にっこりと微笑を返された。
「かわいいでしょ。働きうさぎ、っていうのよ。おりこうさんなの」
遥には、腰が痛いとかぼやいて出て行ったうさぎが「おりこうさん」にはとても見えなかった。ふさふさで、確かに見た目はかわいいけれど、むしろ、休みの日のお父さんのような、そんなくたびれた印象を持った。
「変わった衣装来てんのね。アンタんとこはみんなそういう格好してんの」
「ん、ううん。これは、野球のユニホーム」
「ヤキュー? 聞いたことないけど。でも防具にしちゃ貧弱よね〜」
リディアはメットを取り上げて、しげしげと眺めた。
貧弱と言われて、言葉も出ない。野球はスポーツであって、ラングが着ていたような実戦的なものとは違うのだ。
リディアはこつこつとメットを叩きながらつぶやく。
「金属、ではないわね……何の材質でできているのかしら……」
プラスチック、と言ってリディアは理解できるのだろうか。プラスチックって何からできているんだっけ。聞かれても答えられる自信がない。遥は説明するのを止めた。
リディアはサイズの合わないメットをかぶることを諦めたようだ。
やがて、ひょっこりと働きうさぎのピピが戻ってきた。小さな手で真っ白な服を抱えている。
「じゃあ、私はあっちにいるからね。着替えたら来てね」
そう言うないなや、リディアはぱたぱた出て行った。ピピもそれにならい、ついていった。
なんだかポケモンみたいだ。犬よりも賢くてきちんと言うことをきく獣。
遥はそれを少しうらやましく思った。
◆◆◆
リディアが行ってしまうと、急にお店の中が静かになった。時計のカチカチという軽快な音が響く。お店の奥の方からは、時折力のこもった、何かを打ち付けるような音が聞こえる。
薄汚れたユニホームを脱ぐ。ピピから受け取った服を広げると、ひらひらしたフリルがいっぱいついていた。着方がわからない。襟ぐりがやたら広くて、かぶったらずり落ちてしまう。
リディアは扉の向こうにいるのだろう。しかし、聞きに行きにくい。それに、これは女の子の服のような気がする。女の子に間違われているんじゃないか、という直感は、だいたい当たる。ずっとそうだったからだ。
リディアは奥に行ってしまったけれど、店番はいいのだろうか?
急に誰かが入ってきても、遥は対応できない。
そんなことをぼんやり考えていると、突然、玄関の扉が開いた。
「ルルよ。いるか」
なんてタイミングが悪いんだろう。
「ええ! ごめんなさい! ちょっと待って」
カウンターの後ろにしゃがみこみながら、来客者と目が合い遥は凍りついた。縄をあちこちに引っ掛けながらずるずると引きずって歩く、黒ずくめで金髪の男。どう見ても見間違えようがない、遥を召喚した変な人――いや、変態だ。
対する遥はパンツ一枚。身を守るものは何もない。
「おお、早速見つかるとはな! ワシの下僕よ」
ジョルジュはまるで吸血鬼のように笑った。端正な顔が奇妙に歪む。ぎらぎらと瞳を燃やして、男はずかずかとあがりこんできた。乱暴な足音が一直線にこちらに向かってくる。
これは悪い夢なんじゃないだろうか? そう思わずにはいられない。
「うわあああああああ!」
遥は半べそをかいて駆け出した。脱いだユニホームを抱きしめて、肌を隠しながら。
「なぁに? うるさいわね」
それを聞きつけたのか、奥の扉が開いて、そこに不機嫌な顔のリディアが現れた。
「たすけてええええええ!!」
「なに? どうしたの」
遥の返答を待たずに、彼女は一瞬で事態を把握したようだった。リディアの表情が引き締まる。
「ハルカ、こっちへ」
リディアは静かに身構えた。彼女の周りの空気だけが、しんと引き締まる。
遥は転びそうになりながら駆けて、リディアの後方へ逃げ込んだ。続くジョルジュもリディアにひるみながら、追いかけようと迫ってくる。だが、そうはさせない。
空気を切る小気味よい音がして、彼女は遥を追ってきたジョルジュに華麗な蹴りを食らわせた。黒ずくめの衣装の男は吹っ飛び、陳列棚に激突する。派手な音がした。
「あたしんちで大声出すんじゃないわよ!!」
激昂したリディアの声が一番大きかった。
「大丈夫? よしよし。落ち着いた?」
震えがおさまらなくて、リディアにぎゅっと抱きしめられた。まずは服を着て、と言われてパンツ一枚だったことに気付く。とたんに羞恥心が芽生えて、遥は真っ赤になってしまった。遥は服を抱えてかがみこむ。
「う、うん……もう大丈夫。大丈夫です」
遥は身をよじる。もう子供じゃないのに、こんな扱いは耐えられない。しかし大人から見ればまだまだ子供だということを、遥は知らない。
「あのう、それで、この服」
「あら、気に入らなかった? かわいいと思うんだけど。ハルカにはきっと似合うわよ」
「どうやって着るの?」
遥はおずおずと服を差し出した。着方がわからなくて困っていたのだ。
「あらぁ。こうやって着るのよ」
リディアは服を乱暴にかぶせると、裾のリボンをぎゅっと引っ張った。とたんにしゅるしゅると動き、服はぴったりと遥のサイズに収まった。まるで、魔法みたいに。
「まあ! かわいいじゃない」
リディアが嬌声を上げた。
ひらひらとした飾り、ふわっとした白いワンピース。これはひょっとして、いや、でもこっちの世界では男でもスカートをはくのかもしれない。リディアのはしゃぎように少し勇気がいったが、遥は告白することにした。
「あの、これ、女の子の服……でしょ」
「ん? それがどうかしたの?」
まさか遥が男だなんて、疑問にも思わないようだ。
「僕は男だよ」
「嘘でしょ?」
ああ、やっぱり。
遥はラングを少しばかり恨んだ。あの時、きちんと説明してくれれば、こんなことにはならなかったのに。
ぴくり、とジョルジュが動いた。
びくっと遥の背筋も凍る。
信じられない、とばかりに、さらさらの金髪の隙間から、かっと見開かれた薄い青色の瞳がのぞいている。どうやら、今の会話を聞かれてしまったようだ。
しまった。
うかつだった。聞かれることも考えて、ちょっとばかり誤魔化せばよかったのだ。
しかし、そんなことできるはずがなかった。遥自身、女の子と言われて散々嫌な思いをしているのだ。嘘はつきたくない。だから、いつかはばれるだろうと思っていた。こんなに早くばれるとは思わなかったけれど。
「なんじゃと!!」
ジョルジュはがばっと起き上がり、あらん限りに叫ぶ。また追いかけられるのかと思ったが、リディアがにらみをきかせているのがきいているようだ。ぎらぎらとした視線を投げかけられる。
黙っていれば美形なのに、全てのリアクションが台無しにしている。
「ワシのかわいい下僕が……あああ〜〜〜っ! 男であったと! 汚らわしい! 嘆かわしい! あぁ〜〜〜……」
あんまりだ。
男であるだけで、ここまで罵られることがあるなんて。
「ちょっと! ハルカを泣かさないで」
「ううううるさいわい! ああ、この世界にはあばずれかこのような暴力的な女ばかり。どうして理想の女子が存在しないのじゃ……!」
ジョルジュの文句は女に対してもっとも言ってはいけない言葉の一つだった。
リディアはきっとジョルジュをにらみつけて、黙って関節技を極めた。
女の子の服は嫌だったけれど、結局、妥協することになった。リディアに「かわいい」と語尾にハートマークがつくほどの嬌声で抱きつかれて、何も言えなくなってしまったのだ。
「あんた、それ似合うから着てなさいよ」
「え、えええ……」
いくらなんでもひどい、と思った。小さいころは親戚のおねえさんから「かわいい、かわいい」といって女の子の服を着せられた。しかし、小学校も高学年になった今ではさすがに着せられることはない。向こうも、もうそういうことをする歳じゃないってわかっているのだろう。それなのに、この歳になって、また、こうやって女の子の服を着せられている。
哀れみの目を向けると、さすがにリディアも悪いと思ったのか、こう続けた。
「あんたの体じゃ、私の服ぐらいしか着せられるものがないのよね。うちには子供はいないし、旦那の服じゃ大きすぎるのよ。悪いけど、洗濯するまで我慢してもらえない?」
遥はうなずくしかなかった。
足元がスースーする。スカートって、こんなに履き心地の悪いものだっただろうか。
後ろではジョルジュが呟いている。まるで呪いをかけるように。
「あり得ない……! 失敗なのか? このワシが!」
「うるさい。失敗は失敗なんでしょ」
ぴしゃりと言われ、ジョルジュは黙る。
遥は複雑な気分だった。失敗とはもちろん魔法の失敗のことだろう。しかし、その結果呼び出されたのが自分なのだから、まるで自分自身を失敗と言われているようだ。
「あの〜……」
「なんじゃ失敗作」
この言いようはひどい。頭をがつんと殴られたような衝撃を受けるが、ぐっとこらえる。どっちにしろ、呼び出したのがこの男なら、やっぱり帰る手段もこの男に頼るしかないと思ったからだ。
「僕は男だけれど、ジョルジュさんの理想とは違うかもしれないけど……でも、僕にできることなら何でもするから、だから、元のところに帰してください!」
遥は泣きそうになりながら頭を下げた。失敗作呼ばわりのまま過ごすのは嫌だ。遥の小さなプライドに、火がついたのだった。
ジョルジュは面食らったようにしばらく黙り、そしてかすかに笑った。きっと遥を見据える。真面目な顔をすると、さすがに整った顔立ちが説得力を増す。
「よかろう。失敗は撤回してやる」
どこまでも尊大な男だ。
「あ、ありがとう」
遥は涙をごまかすために顔をこすった。
その後ジョルジュがこっそり呟いたのを、遥は聞き逃さなかった。
「男子も、意外といけるもんじゃな……」
背中がすうっと冷えるのがわかった。まるでぬらっとした蛇が這い回るようだった。遥は絶対二人きりにはなるまいと決めた。そう、絶対。
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