●● 消えるマキュウ --- 五 ●●
「まあ、あがるとよいぞ」
「あんたねえ、ここはあたしの家だっていってるでしょうが!」
ジョルジュが勝手に店の奥の扉を開けた。リディアはそれに文句を言う。その後ろを、ひょこひょことピピがついていく。遥はその列の最後に並んだ。
リディアの家の居間は、店とは違い、こざっぱりした空間だった。
柔らかいじゅうたんには幾重にも模様が描かれている。その上に背の低いテーブルが一つ。ジョルジュはためらいなくそこの前に座り込む。
「あんた、本当に遠慮がないわね……」
「ワシは黒茶を所望するぞ」
「うるさい。……ハルカは? 何か飲む?」
どんなものがあるのかよくわからない。とっさに口走ったのがこれだった。
「何でもいい」
そう言ってから、自分の消極性に嫌悪する。
「……そうだったわね。じゃあ、同じのでいいかしら」
「うん。ありがとう」
「ジョルジュ。馬鹿なことしてたら、蹴るからね」
去り際にこんな言葉を言い残して、リディアはお茶をいれに席を立った。
ジョルジュと二人きりになった。さっき決心したことが、もうやぶれた。絶対二人きりになるまいと誓ったのに。
しかし、いずれは向き合わないといけないのだ。遥を呼び出したことは、恐らく、彼にしか解決できない。
遥は緊張して、何があってもすぐ動けるように正座した。何かの本で読んだことがある。正座は、目の前の敵に切りかかられてもすぐに動ける武士のための座り方だって。
対するジョルジュはゆったりとくつろいでいた。
「さて。何から話したものかの」
「召喚って、何なんですか。僕は、どうして呼び出されたの」
ゲームでの召喚なら知っている。別の世界からモンスターを呼び出したりして、敵と戦わせるのだ。でも遥はモンスターでもないし、戦うような敵もいないようだ。……今のところは。
しかし遥には確信が持てなかった。じゃあ、何のために呼び出されたのだろう?
しかつめらしい顔をして、ジョルジュは言う。こうやって真面目な話をしているときにはかっこいいのに。
「召喚とは、陣を用いて行う儀式の事である」
……それだけ?
「陣って?」
「陣とは、形作るものである」
今までのジョルジュは何だったんだろう。騒がしくて、必死で、変な口調のジョルジュはどこかにいってしまった。ただ、静かな目線で端的な言葉を発するだけ。とても頭がよさそうに見える。
しかし、遥にはわけがわからない。
「難しいよ〜……。陣ってあれ? マホージンとかの」
「マホージン? むぅ、耳慣れぬ言葉じゃが、恐らくそう遠くはあるまい」
やっとあの言葉尻が帰ってきた。何故かほっとする。
「もうちょっと、僕にもわかるように教えてほしいんだけど……」
ジョルジュは片眉を吊り上げた。
「まあ、難しく言ってはみたがの。簡単に言うと、お主はワシが陣を用いて呼び出した、っていうことじゃ。陣というのは、足元にごちゃごちゃ書いたものがあったじゃろ。それじゃ」
そう言ってくれればわかりやすいのに。
そんな遥の心境を知ってか知らずか、マイペースにジョルジュの説明は続く。
「その陣生成及び、詠唱によって、召喚が行われるわけじゃ。人によっては贄(にえ)を必要とするやり方もあるが、ワシは好かん」
「へえ……」
まるで、いや、本当に魔術だ。
「ワシの理論は完璧なのだよ。ふふん」
「へえ。それなのに、肝心の女の子は呼び出せなかったのね」
凛とした通る声でリディアが突っ込みをいれた。茶を片手に、もう片手には湯飲みと果物が握られている。ごとりとやや乱暴に湯飲みを置いた。
湯飲みには、黒茶の名前どおり真っ黒な液体がなみなみと注がれていく。芳醇な香りが広がっていった。
遥はお茶にそっと口をつけた。遥の知っているウーロン茶のようで、すこし甘い。
「ううううるさいわい! 理論は完璧なはずなのに! ああ、どうしてこの世界にはまともな女子が存在していないのじゃ……!」
ジョルジュは激昂した。リディアの顔つきがどんどん険しくなっていく。彼は今、ものすごい失言をしていることに気がついていない。
「で、で、で。僕が帰る方法、って、結局なんなんですか?」
遥は慌てて話題を変えた。
「そこで、さっきの陣の話じゃ」
ジョルジュはわが身を得たりというように、得意な顔になる。
「帰る、といっても方法は三つばかりある。一つ目は、ハァルカが呼び出された陣からそのまま送り戻すこと。そして二つ目、新たに魔法陣を作って送ること。これは魔法陣生成に時間がかかるし、失敗したらどこへ飛ぶかわからんという話もある。ワシに賭けて、試してみるか?」
遥はぶるぶると首を振る。そんなの、まっぴらごめんだ。
「遠慮なぞせんでもよいのじゃぞ。……まあよい。そして三つ目。これが本流というか、一般的な方法じゃな。召喚者――ワシがお主を呼び出すのに設定した『使命』。これを達成すれば、この世界に縛られる法はなくなる。すなわち、自ずと道は開け、あるべきところへと帰る」
ごくり、と喉が鳴った。それが自分の発した音だと気づいて遥は動揺した。
「そ、その『使命』とは」
「簡単なことじゃ。ワシの設けた『使命』は『魔王を倒せ』これだけじゃ」
◆◆◆
「え……?」
遥はしばしぽかんと口をあけたまま、ジョルジュを見ていた。
冗談だと思った。いつ、冗談だとばかりに笑い出して、撤回するのだろうかと待った。けれど、彼のきりっとした表情は崩れそうにない。やっと、現実を悟る。
「で、でもっ。僕、無理だよぅ……」
「ほう。やってもいないうちに諦めるのか」
倒せだなんて。ゲームやアニメの世界じゃないんだから。
第一、遥は何の変哲もない普通の人間だ。特別な力なんてない。ジョルジュが諦めるのか、なんて言うけれど、そんなこと無理に決まっているじゃないか。やるまでもない。あっけなくやられておしまいだ。
そうだ。帰るには三つの方法があるって言ってたじゃないか。二つ目は不確実、三つ目は魔王。じゃあ一つ目は?
「待って! 一つ目の方法は? それはできないの?」
遥は焦っていた。魔王を回避できるなら、どんなことでもする。
残念ながら、ジョルジュのかすかな笑みは崩れない。
「できんな」
「どうして!」
「ハァルカよ。あのときの惨状を思い出してみるがよい。お主らがぐちゃぐちゃに場を引っかき回して、陣がめちゃくちゃになってしまったんじゃろうが」
「そんなっ。そんなこと言われても……」
だって、呼ばれたばっかりで何もわからなかったのに。それも自分のせいのように言われるのが、納得がいかない。
「ハァルカ、お主ならきっとやれる。いや、やってもらわないと困るのじゃ」
「でも」
「お主が勝ってくれないとワシの立場がなくなってしまう」
「だって僕」
「ワシが無能なただの子供を呼んだと知れたら、ワシの召喚術の力もその程度だということになってしまう! それだけは断じて、許されん。ワシの沽券にかかわるのじゃ」
遥は黙った。まさに自分は無能な子供だとアピールしようとしていたところだった。
ずるい、と思った。ジョルジュは責任を自分に押し付けようとしている。勝手な都合で呼び出しておいて、勝手な都合で魔王を倒せと言われて。それができて当然だと思っているのだろうか。
泣いちゃ駄目だ。遥はわざと表情を硬くして、感情を抑えた。
「コケン……とか言われてもね。お前の信用はもともとねーよ」
あの声が、割って入ってきた。ラングがいつの間にか横に立っていた。
「なんじゃと!?」
聞き捨てならん、とジョルジュがつかみかかるが、ラングはそれを軽くあしらう。隙を突いて足払いをしかけ、ジョルジュはしりもちをついた。
ラングの後ろには、女の子がいた。ぱっと目を惹く、いわゆる花のある美少女。しかし、いささか奇妙な透き通った白髪と気の強そうな灰色の瞳がアンバランスさをかもし出し、より一層彼女という存在を印象づけている。
そして、その横にむくむくした動物がよりそっている。たぬきのような顔つきをしているが、ずいぶん大きい。
「あらお帰り。早かったのね。で、この女の子……女の子よね? 今度こそ。この子はいったいどうしたの」
リディアは柔らかい口調で問うた。しかしわかる。その声色とは裏腹に、彼女は決して笑っていない。その全身から怒りのオーラのようなものを発し、笑顔の仮面の上には青筋が立っていた。
「ねーちゃん……ごめん! こいつ、どうしても泊めてやれないかな。せめて今晩だけでも」
「あんたねえ」
リディアは静かな顔をしていたが、その言葉には、えもいえぬ凄みがあった。
ラングは必死に姉のリディアに弁解している。
その隣ではジョルジュが目をかっと見開いて、食い入るように見つめている。
「おお! これはまさにワシの理想の美少女! ……はっ、いかんいかん」
ジョルジュは舞い上がったが、すぐに落ち着きを取り戻した。ゆっくりと近づき、にこりと――にたりというふうに見えなくもない笑みを投げかける。あまり不審な挙動をすると怯えられる、と遥のおかげで学習したようだった。
「お嬢さん。ご機嫌いかがかな」
しかし、この女の子は遥ほどおとなしい子ではなかった。
「いー!」
女の子は歯をむきだしにした。ジョルジュの顔がみるみる紅潮していく。
そして女の子はラングの後ろにひょいっと隠れた。
「な、なんじゃと……このワシをコケにしおって……! どうなるか、思い知らせてやる!」
「え!? ジョルジュさん、待って下さい!」
遥は慌てた。初対面の女の子に向かってそんな乱暴なことをしちゃいけないのは誰の目にも明らかだ。しかし遥には止められるわけもない。なにぶん、この男が少し怖いのだ。
頼りのラングは、ひたすらリディアに怒りをぶちまけられて平身低頭の有様だった。リディアもそれに夢中で、こちらに気づく様子がない。
「うるさい! ハァルカ! あの女子を捕まえるんじゃ! ワシの下僕なら、手伝わんか!」
そんなこと、できるわけがない。
どうしよう、と悩む間すらなかった。ラングとリディア姉弟が、あっという間にとっちめていたからだ。その間、十秒もなかった。
「このバカタレが!」
やっぱり、縄の出番だった。リディアに押さえ込まれて、ジョルジュはさっきよりも手際よくお縄についている。
耳飾の翻訳が終わっても、ラングは怒声を止めない。実際はもっとひどいことを言っているような気がした。
Copyright (c) 2009 mizusawa All rights reserved.