●● 消えるマキュウ --- 五 ●●
ラングの長々とした説得のせいか、むすっとしながらも、リディアは言った。
「いいわ。ルルちゃんにもそう言っておいてあげる。ただし、面倒はあんたが見るのよ。ピピも暇そうにしているし、使ってやって」
そう言われて、後ろに控えていたピピはびくりと体をふるわせ、ぴいぴいと文句を言った。
『え〜。全く、うさぎ使いの荒い主だよなぁ』
やっぱり、しゃべった。聞き間違えてはいないはずだ。
そのはずなのに不安になるのは、誰一人として反応していないことだった。ただ一人――ポーラを除いては。その白髪の女の子は、それを聞きとがめたのか、ピピの主、リディアの前に立ちはだかった。
「ちょっとおばさん、あのうさぎちゃんをこき使いすぎなんじゃないの? 腰が痛いって言ってるし! かわいそう!」
「はぁ!?」
リディアの顔が真っ赤に染まるのを、遥は見逃さなかった。思わず目をそむける。
「何を言っているの?」
「だから言ってるでしょ、おばさん! うさぎちゃんがかわいそうだよ! 聞こえなかったの?」
「あんた……獣使いね」
リディアの目がかっと見開かれる。
一瞬、異様な空気が走った。大人たちは驚きを隠せないようだった。ラングも、ジョルジュでさえも。
「だからなに? ポーラの言ってることがわからないの?」
リディアは、なおもいきり立つポーラと会話するのを止めた。この少女を連れてきた当の本人を呼びつける。
「ラング!」
「ねえちゃん、ちょっと待ってくれ」
リディアに呼ばれたラングは冷静だった。リディアの裾を引っ張り、黙って、奥の扉を指し示す。話は奥でする、ということなのだろう。むっつりしたまま、リディアはそれに従う。二人は扉の向こうに消えていった。
残されたのはジョルジュと遥、そしてラングが連れてきた女の子、ポーラ、そしてがぶちゃん。
それにあの二人の態度は何か『ワケアリ』としか言いようがない。女の子に聞かれたくない事情でもあるのだろうか。
「えっと、……こんにちは」
女の子は返事をしない。ただ二人が去っていった扉を見つめている。憎しみを向けているようでもあり、諦めているようでもあった。
「やっぱり、ウソツキ」
「ん? 何が?」
遥の問いかけを無視して、ポーラはこぼす。
「結局、ポーラのことを厄介者扱いしていくのね。みんな……みんなそう」
遥は助けを求めて、仕方なくジョルジュを見る。ジョルジュは、自分にはわからないとばかり首をすくめるだけだった。
居間の奥の廊下は、台所と二階、それに工房へとつながっている。扉を閉めて、リディアとラングは二人同時にため息をついた。
「獣使いか」
「獣使いね」
「……昔の話だろ?」
「だといいけどね」
リディアは吐き捨てる。嫌悪感をあらわにしていた。
獣使いはその身を滅ぼす。そう言われて久しい。
ラング自身は、そう言った迷信や差別に縁のないものだと思っていた。何より、獣使いなんて伝聞でしかなかったから、まさか本当にいるとは思わなかったのだ。
「本当に、いるんだな。獣使い」
ポーラの母親と会ったときに、気づくべきだった。自分と同じ『選ばれし子』なのにあんなに不遇であることに。本来なら誰からも頼りにされる存在であるはずなのに、誰からも必要とされず生きていることに。
獣使い。従獣の言葉を解し、心を通わせる者。
ただ言葉がわかるだけなら、少し変わった人、ですむかもしれない。それどころか、彼らも『選ばれし子』の一人なのだ。人々から祝福され、必要とされて生きていく……はずだった。
その昔。シャーロワ史を揺るがす大事件が起こったのだ。
とある獣使いが、従獣という従獣を引き連れて人々と対立し、内乱を起こしたのだ。生活のほとんどを従獣に頼ってきた人々は苦戦したが、結局、彼を捕らえることに成功し、それによって司令塔を失った従獣は統率を失う。この戦いによって、多くの人々と従獣の命は失われた。
しかし、それだけでは終わらなかった。人々の恐れが、無関係の獣使いに矛先が向くことにそう時間はかからなかった。獣使いたちは捕らえられ、多くの人々から私刑を受け、あるいは処刑された。
以後、獣使いは忌み嫌われた存在として、歴史に名を刻むこととなってしまったのだ。
ラングは渋い顔をした。自分はポーラぐらいの歳には、やんちゃでよく姉を怒らせて、両親に将来を期待されていたっけ。あの時は何もわからずいい気になっていた。けれど今となってはその重圧がよくわかる。世の中の目は、『選ばれし子はできて当然』なのだ。
そして、リディアの苦い思いもよくわかる。昔話とはいえ、獣使いの恐怖が未だに人々の心を蝕んでいるのだ。
「お願いだから追い出すのはやめてくれないか」
「……そうね。あんたならそう言うでしょうね」
リディアはむっつりとしている。
「だけどね、うちのことも考えてくれる? あんなに目立つ子なんて、ご近所にすぐに知れ渡るわ。あの子自身が隠す気なさそうだから、すぐに正体もばれるでしょうね。そうしたら、どうなると思う?」
ラングにはすぐに想像がついた。ポーラの家はあの一角の中に溶け込まず、まるで異質だった。理解のない人からは気味悪がられ、下手をすると嫌がらせされるだろう。そのための、過剰ともいえる自衛。
「でも……いや、しかし」
反論が思いつかない。リディアの言うことは正論だった。
リディアは盛大にため息をついた。
「本当に馬鹿な子。自警団なんてやってないで、福祉施設でも開いたら」
「頼む。あの子を裏切ることだけは、したくないんだ」
ラングは訴えた。
ポーラの諦めた顔が、忘れられない。誰にも必要とされていない、だなんて。そんな風に世の中を見てほしくない。
「さすが『選ばれし子』ってやつね……」
「それね、同僚にも言われたよ。皆、俺を持ち上げているふりをして、厄介事を押し付けたいだけなんだ、ってね。それはわかってる。……わかってるけど、俺がポーラを見捨てたら、ポーラはひとりぼっちだ。……がぶちゃんもいるけれど。従獣とだけ向き合って、人間を憎んで育つ。あの子はそんな子供にさせたくない」
リディアは渋い顔をして、考えているようだった。当然といえば当然の反応だった。自分の方がおかしいのかもしれない。目の前に困ったことがあれば、何でも抱え込んで。やがては抱え込んだものに押しつぶされてしまうかもしれない。
けれど、本当にそうなるかどうかはわからないのだ。できない、と決め付けるより、一人でも多く救ってやったほうがいいと思っている。
その時、廊下の奥の工房の扉が開いた。
「ルルちゃん」
「ルル!」
ふう、とため息をついて一人の男が現れた。たくましい体つきで、すすで汚れた服を身にまとい、長い髪を後ろに束ねている。
リディアの夫にして工房の主、ルルベールであった。
「ルル、聞いてくれ。俺――」
ルルベールは鷹揚に手で制す。
「聞こえていた」
端的に答える。彼の言葉は少ないけれど、それで充分だった。
「ルルちゃん……あのね。わかるでしょう」
リディアは果敢に進み出る。
弟には強気な彼女が、ルルベールに対しては強く言えないことをラングは知っていた。そして、恐らく彼がどういう判断を下すのかも。彼は曲がったことが大嫌いなのだ。リディア自身もそれをわかっている。だが、今回は敢えて前に出た。リディアにとってそれほどのことだったのだ。
「リディアは子供を放り出すのか」
静かな、しかし威厳のある声。彼の反応は、ラングが予想した通りだった。
「そうじゃない……そうじゃないの」
リディアは泣きそうな顔をしていた。リディアの行動自体は責められるべきでない、とラングの心は痛んだ。しかし、ルルベールの確固とした言葉に、何を言っても無駄だ、という思いが、リディアの顔を赤く染めていく。
「ねえちゃん、ごめん。ポーラの母さんも説得に当たるし、どうしても無理なら施設を探して掛け合ってみるし、できることなら何でもする。だから、ほんのちょっとだけ、手伝ってくれないか」
「……何を言っても無駄だってわかってるわよ。好きにしなさい」
「ごめん」
謝るしかない。無関係の他人を救おうと思うばかりに、身内に迷惑をかける。これだから自分は結婚できないのだ、と思う。今まで好きになった女の子は、他人の面倒ばかり見ているラングに自分が大切にされていないと感じるようだった。別れの言葉は、いつも向こうから、同じせりふで。自分の責任だ。だが、こればかりはどうにもならない。性分だからだ。
リディアはルルベールの胸で少し泣いた。けれど、顔を上げた時には、すぐいつものリディアに戻っていた。
「あの小生意気なお嬢には負けないわよ。さ、行きましょ」
姉は強いなあ、としみじみ思った。道理で、いつまでたっても頭が上がらないわけだ。
◆◆◆
居間の空気は最悪だった。
「なんでポーラを嫌わないの」
「……別に、嫌う理由なんてないよ」
「ウソ! そんなことを言って、本当は嫌いなんでしょ!」
「そんなことないのに」
「今はそうじゃなくても、ポーラのことを嫌いになるの。みんなそう」
「……そう、かなあ?」
強い言葉に、段々自信がなくなってくる。一生懸命フォローをしても、全く聞いてくれない。どうしてそこまで嫌われることに自信を持って言えるのかと、遥は首をかしげるしかない。
部屋の中を駆け回るがぶちゃんを視線で追う。楽しそうに歌っていた。
『るるる、るるる、歌う、走る』
耳飾の調子が悪いのか、あるいは本当にそんな風に言っているのか、がぶちゃんの言葉は赤ん坊のようだった。ピピとは全然違う。
視線を彼女に移すと、当のポーラがじっと遥を見ていた。
「なんでそんな格好してるの? 男なんでしょ」
遥はうろたえた。こんな風に見破られたのは初めてだった。彼女の勝気な瞳が、誰かに重なる。
『あんただって試合に出たいんでしょ! しっかりしないでどうすんのよ! 男のくせに』
そうだ、公美子だ。彼女の言葉がありありとよみがえる。
遥は否定することも肯定することもできなかった。イエスと言ったら、男なのにこんなひらひらの服を着ているのは変だし、ノーと言ったら自分に嘘をつくことになる。曖昧な態度を取っていると、軽蔑した目で見られた。
「なんなの? はっきりしないの? 返事できないの? それともポーラとはおはなししたくないの?」
「ち、違うよ」
たじたじだった。ポーラに差別意識があるわけではないが、こういう女の子は苦手だ。何か言ったら、それにまた揚げ足をとられる。そう考えると、何も言えなくなる。
助けを求めるようにジョルジュを見つめると、彼はとろけるような笑顔でポーラにエールを送っている。
「美しいのう……ワシの下僕もなかなかじゃが、やはり本物の女子は違うのう……獣使いだろうと、ワシは構わん。ワシのところに来んか?」
「ジョルジュさん……獣使いって何ですか」
色々ひっかかるところはあったが、もういちいちつっこむのは止めた。どうせまたけちょんけちょんにされるに決まっている。
しかし、わからないことがあった。獣使い。この言葉と、ポーラがあれだけ嫌われていると思い込んでいる理由に関係があるんじゃないか。そう思ったのだ。
それにびっくりしたのがポーラだった。
「え? ウソ? ウッソー!? ポーラのこと、しらない、のね?」
遥があたふたしていると、ジョルジュから横槍が入る。
「そいつは何も知らんよ。ワシがこちらに呼び出したばかりじゃからな」
「そうなの……そうなのね」
がぶちゃんが心なしか元気をとり戻してきたようだ。
ポーラはほほえみをたたえた。初めて見る、静かで、そして哀れみを含んだ笑顔だった。
「ポーラと一緒ね。ハルカも、一人ぼっち」
その言葉はずしりと遥の胸を刺した。
「ハルカ。ポーラと一緒にいよう? ずっとずっと、一緒」
遥はそれに答えることができなかった。
今ここで帰りたいと言ったら、ポーラを裏切ることになるんだろうか。
帰るという思いを、遥は心にそっとしまいこんだ。お父さんお母さん、竜之介、クラスのみんな。リトルリーグのみんな。一人一人、顔を思い浮かべていった。みんな待っているはずだ。意識的にポーラの言葉をはじき出そうと、目をつぶった。
と、その時奥の扉が開いた。二人が帰ってきたのだ。もう一人、男の人を連れて。
大きいな、と遥は思った。太っているわけではないけれど、山のように大きい。長い髪の毛を結わえていて、まるで時代劇に出てくる侍のようだ。
「ルルちゃん――ルルベールよ。私の旦那」
「こ、こんにちは」
遥は挨拶をした。ポーラはむっつりした顔のまま彼を見つめている。ルルちゃんと呼ばれた男の人は、平然とうなずいた。
ぴりぴりした空気を一番最初に打ち破ったのはリディアだった。
「ああ、もう。参ったなあ」
彼女は髪をかきあげる。
「ポーラ、あんたもうちで面倒見るわ。お客様扱いはしないからね! だからせめて挨拶をしなさい」
ポーラの目がまん丸に見開かれた。
彼女はまるで硬直した人形のようだった。みんなが彼女の時間に縛られ、しばし、時は止まった。
「……おばさん」
「何。おばさんは止めてくれる?」
ポーラの時計は動き出した。言いながら下を向いた。ぼそぼそと、恥ずかしそうにつぶやくのが聞こえた。
「あ……ありがとう」
リディアは相好を崩しながら、幾分じれったそうだった。体中がむずがゆいのか、身をよじる。その気持ちは遥もわかる。あれだけ毒を吐いていたポーラが、全くの別人になってしまったようだった。
「うーっ……調子狂うなあ。さっきの勢いはどうしたの。言っとくけど、決めたのはあたしじゃないわ。ラングとルルちゃんよ」
とたんにポーラの顔がリディアをきっと見た。それは、泣きそうなのをごまかしているようにも見えた。
「えっ。じゃあ、お礼言って損した!」
「あんた、その言い方はないんじゃないの?」
ラングはたまっていたものを吐き出すかのように、深くため息をつく。
「やれやれ。どうなることかと思った」
リディアとポーラの言い争いを尻目に、安息する。しかし、これで終わるわけがなかった。
「ところで、頼んでたアブリコは? アブリコット」
「……あっ!」
まさか矛先が変わるとは思ってもいなかったのだろう。ラングの太い尻尾がびっくりして一瞬逆立ち、そして隠れるようにしぼんだ。
「ねねねえちゃん、ごめん。ほんとごめん」
「ラーンーグー!」
ラングがリディアに捕まえられて、きれいに関節技を極められているのを遥はただ呆然と見ているしかなかった。ポーラ、ジョルジュはもとより、ルルベールさえも知らん顔していた。
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