●● 消えるマキュウ --- 五 ●●
連れ戻すのは無駄だと判断したのか、そそくさとジョルジュが逃げるように帰った後、ようやくルルベールはリディアの肩を叩いた。リディアはすぐに大人しくなり、ラングを解放する。彼はばったりと倒れこみ、大げさに荒い呼吸をしていた。
遥とポーラは、二階の部屋をそれぞれあてがわれた。遥に割り当てられた部屋は、狭くてこまごまとした革や木材がいっぱい積んである。恐らくは物置に使っていたのだろう。さっきまでピピが一生懸命ホコリをかぶりながら掃除し、そして布団と数枚の服を運び入れた。服は当然のようにリディアのお古だった。
もちろん、遥には文句を言う権利などない。それに、正直なことを言うと、隠れ家みたいで少しわくわくしていた。
――魔王を倒せ、か。
ジョルジュの言葉をもてあましていた。どうしたらいいのだろう。
魔王。その言葉はあまりにも非現実的すぎた。でも、倒さないと帰れない。
ラングの部屋は遥の部屋と廊下を挟んで反対側だと、さっき教えてもらった。遥は部屋をそっと出て、どきどきしながらその前に立つ。こつんこつん、と扉を叩いた。
反応がない。
「ラングさん?」
悪いかな、と思いながらそっと部屋をのぞくと、誰もいない。
居間に行くと、ラングとリディア、そしてルルベールがくつろいでいた。
「おう。どうした」
「ええと、あのう」
遥はもじもじした。別にみんなの前で話しても構わないようなことではあるのだが、少し恥ずかしい。
「ん? じゃあハルカの部屋へ行こう」
ラングはそれを察したのか、遥を促す。相変わらずラングは優しかった。
遥は現状を訴えた。魔王を倒さないと帰れない、と言われたこと。他に方法はない、あっても保障できるやり方ではないこと。
「それじゃあ、僕は魔王を倒すしかないじゃないですか。僕にできるわけないのに……」
ラングはそれを黙って聞いていた。遥の話が途切れると、ようやく口を開く。
「まあでも、そう悲観することでもないと思うんだ」
「そうかなあ……」
やっぱり事の重大さをわかってくれない。遥は相談したことを後悔した。帰れないことがどれだけ寂しいか、魔王を倒せなんて言われてどれだけ絶望したか、課せられた本人にしかわからないのだ。人に頼るべきではなかったのだ。
「ところで『倒せ』と言われて、遥はどんなことを思った?」
「え?」
意味がわからない。
魔王なんていうから、遥は勇者のように剣を持って戦うのだと、とっさにそう思った。
「倒すって、倒すんでしょ? 剣とか、魔法とかで戦って」
「あー。まあ、一般的にはそうかもしれないけど。俺さ、思うに『倒せ』は『殺せ』ってことじゃないと思うんだよな」
「えっ、だって、真剣勝負でしょ?」
「ん。真剣勝負だけど、真剣は使わなくてもいいんじゃないか」
ラングはそう言ってにやりとした。冗談のつもりだったのだろうけれど、遥は困惑するしかなかった。
なんでそう勝手なことを言えるのだろう。そういう自分解釈をして、いざ相手が斬りかかってきたら、死んでしまうじゃないか。
それを見透かしたようにラングが言う。
「よーく考えてくれよ。倒すだの、殺すだの、ハルカには荷が重過ぎるだろう。ジョルジュが女の子を呼び出そうと思った時点で、そんな重い使命を設定すると思うか」
言われてみればその通りかもしれない。
一休さんのとんちみたいだった。道が開けていく気がする。はしをわたりたければ、真ん中なのだ。しかし、まさかそんな冗談みたいなことでいいのだろうか?
「えっと、つまり、極端に言うと、足を引っ掛けて転がしても『倒した』ことになるの?」
「まあ、極端に言うとそういうことになるだろうなあ」
遥の持っていた魔王のイメージが、とたんにもやもやと霧のように溶けていく。
「でもそれじゃ面白くないだろ」
「えええ?」
「せっかく遥が勇者のような想像をして気合入れたところなんだから、勇者のような活躍をして元の世界に戻ってもらわないと示しがつかないだろー」
遥は必死で首を振った。別に気合入れてもいないし、勇者のような活躍を望んでいるわけでもない。卑怯ではいけないのか。ラングは何を考えているんだろう?
「それに足払いだと、先方さんも卑怯だと言いがかりをつけてくるかもしれないしなあ」
「先方さんって?」
「あ、いや、こっちの話」
ラングは耳をくるくると動かした。なんか、様子が変だ。何かをごまかしている。けれど、遥にはそれをつっこむ糸口がない。
「なんかさ、ないの」
「なんかって?」
「つまり。足を引っ掛けて逃げるような卑怯な手段でもなく、正々堂々と勝負するようなので、遥が程よく活躍できるようなもの」
「うーん」
しばし考える。堂々と勝負できるようなもの。子供の領分だから、勝負といったらやっぱり遊びだ。ゲーム、DSとかPSPはこちらにはない。トランプ、運がからむし、遥はよく負ける。じゃあスポーツ。野球――
「……野球、とか?」
「ヤキュー?」
しまった、と思った。だいたい遥は正投手じゃない、控えなのだ。簡単に活躍できるわけがない。もっと、五目並べとか、得意なのは他にもあったのに。
しかし、もう遅い。ラングの目が興味深々にこちらを見ていたからだ。
「ヤキューってどういうのなんだ?」
遥は覚悟を決めた。
「えっと。九人対九人でやるスポーツで……」
指でダイヤモンドを描いていく。ルールを思い起こすのに必死で、頭の中はフル回転している。
自分が普段、当然のように知っていることを、知らない人に話すのは難しいなと思った。
部屋には大きな太陽の光が夕暮れとなって差し込み、赤く染まっていた。
ふと、その光にかげりが見えたので遥は何気なく窓を見た。
窓には、ジョルジュが張り付いていた。
遥は悲鳴を上げた。
「うわああああああ!!」
「……何をしているんだお前は!」
ラングはつかつかと歩み寄り、窓を開ける。遠慮なくジョルジュは乗り込んできた。
部屋を一瞥してため息をつく。
「なんじゃ! ワシのかわいいポーラちゃんはいないのか!」
「お前……まさか」
ラングはジョルジュを窓から引きずり下ろす。まさか、の先は遥も想像がついた。窓際からわざわざ入ってくるなんて、常識はずれもいいところだ。
「何? 無理やり連れて帰るなんてするわけがないじゃろう。このワシが! きちんと正面から話をして来てもらうに決まっておる」
遥はつっこむのを止めた。こういう人なのだ。全く理解できないし、する気もなかった。世の中には相容れない人がいるんだ。
「お主ら、何をしているんじゃ」
「作戦会議中だ」
「そうか。結構なことよ」
ジョルジュはくっくっく、と喉の奥で笑う。
「あのう。一つ質問してもいいですか」
遥は遠慮がちに手を挙げた。
「なんじゃ」
「ジョルジュさんの言う『魔王』って、怖くて、人を襲ったり、殺したりするような人なんですか?」
ジョルジュはしかつめらしい顔をして答える。
「そうじゃな。今はまだ小さな芽かもしれぬ。しかし、あやつがじきじき勢力を伸ばしてきたらシャーロワは破滅してしまう! なにせ悪の枢軸じゃからの」
その隣でラングが妙な顔つきをしていた。神妙になろうとして、でもにやけてしまい、必死にそれをこらえている。
「いや、すまんすまん。そうそう! あれはまさしく『悪の大魔王』なんだよな」
遥は何か変だと思いながら、野球で対決することを伝えた。しかし、不安がぬぐいきれない。
「でも、本当にそれで大丈夫なんですか?」
ジョルジュは鷹揚にうなずく。
「構わんよ。魔王のほうには後ほど伝えておこう」
「ぶふっ」
ラングが噴出した。何かと思ったら、腹を抱えている。
遥にはますますわけがわからなくなった。ラングに助けを求める。
「な、なんなの? 魔王って知り合いなの?」
「いや、いやいや。知り合いというわけではないがの。あやつがいたら世界はおしまいじゃ! 一度痛い目を見せてやらんと気が済まぬ! この間は研究中のガラス瓶を破壊していきよって……」
未だに恐ろしいイメージはあるが、何かちょっと期待はずれな気もした。
「ハァルカよ。頑張るのじゃ」
「う、うん」
ええと、と遥は言いよどんだ。もう一つ、聞きたいことがあったのだ。
遥は少し緊張した。あの大げさな騒ぎは、ひょっとしたら触れてはいけないことなのかもしれない。
「あとね、えっと。ポーラのこと、なんだけど……」
二人は厳しい顔をした。やっぱり聞いてはいけないことだったのかと、遥は後悔する。
お父さんとお母さんも、大人の話をしているときに質問すると、こういう顔をした。そしてお父さんは決まって言ったのだ。「お前にはまだ早いよ」「大人になったらわかる」と。
やっぱり子供だから教えてくれないのだろうか。
しかし、予想に反してラングは口を開いた。
「ちょっとイヤな話かもしれないけれど、言っておいた方がいいな。あれだけの騒ぎにもなったし、ポーラと一緒にいることも多いだろうし。彼女は『獣使い』、従獣の言葉がわかる『特別な人間』だ」
特別な人間。ラングの響きには、優越感もいい意味も、何も含まれていなかった。むしろ否定的だと直感する。
「俺も彼女も同じ、『選ばれし子』なんだけどな。ほら、俺には耳も尻尾も生えているし、ポーラは色が真っ白だろ? 普通の人間じゃない特徴を持つ者を『選ばれし子』と言うんだ。本当なら俺たちは、祝福されて頼りにされる、そして人々のために力を役立てる、そんな存在なんだけどな。ある一人の獣使いのせいで、獣使い全てが迫害されることになってしまったんだ」
そんな悲しい歴史をラングは語った。その獣使いは人の手から従獣を解き放つべく、従獣を引き連れて人間と対立したこと。その歴史が語り継がれて、現在はほとんど獣使いが存在しないか、いたとしてもひっそりと隠れていること。まだその差別的風潮は色濃く残っていること。
「まあラングが『選ばれし子』なんて、逆差別もいいとこじゃがの」
「それは言うなよ……俺も思ってたんだよ」
ジョルジュが茶化すと、ラングは苦笑する。
途方もない話だった。少し予想はしていたけれど、ちょっと口が悪くて、ちょっと強気で自己中心的かもしれないけれど、差別されるのはまったくポーラのせいじゃない。こんなの、ひどい。
「もしかしたら、ポーラのことを悪く言ったり、攻撃したりする奴がいるかもしれない。そのときは守ってあげてな」
「うん」
自分だけはそんなこと、絶対しない。
「……ところで、その耳飾じゃが」
びくり、と遥の体は強張る。今まで面白おかしく茶々を入れていただけのジョルジュが、いつになく真剣な顔で言う。
「その耳飾も従獣の言葉を拾ってしまうらしいな。気をつけよ、お主はシャーロワの住人ではないのだからな。あまり身に余ることを考えん方がよいぞ」
それってポーラのことを言っているのかと、自分の考えを見透かされたような気がして、遥はどきりとした。
「ハールカっ!」
すばらしいタイミングで、ばーんと扉が開く。噂の彼女がそこにいた。
まさか渦中の人物がいきなり入ってくるとは思いもせず、遥は驚きをこらえるので精一杯だった。
部屋の様子を見ると、ポーラは顔をくもらせた。
「なんだ。なんでおじさんたちがいるの」
「おお、何というタイミングのよさ! まさか本人が入ってくるとはの」
ラングはジョルジュのわき腹にパンチを入れた。
「ん? 何が?」
まさかさっきの話を本人に教えるわけにはいかない。遥は頭が真っ白になる。話をごまかしたりすることは、てんで駄目だ。
「え、ええとね」
「ヤキューの話をしてたのさ。ほら、人数が必要だなって」
「そ、そうそう!」
ラングのすばらしい機転に、遥は慌てて乗っかった。
「ヤキュー?」
「ハルカの世界の競技、だそうだ」
ラングは説明した。さっきの遥のたどたどしい説明よりもきれいにまとまっていて、なおかつ魅力的に聞こえた。まるで新しいゲームを買ったときのような、そんなわくわくがラングの話からにじみ出ていた。いつの間にか、ポーラだけでなく、遥も食い入るように聞いていた。
「そこでだ。一チーム九人が必要なんだ。ポーラ、ハルカの力になってくれないか?」
その扇動のような売り言葉に、ポーラは簡単に乗っかった。
「ポーラ、やる! やるったらやる!」
無邪気にはしゃぐポーラを見て、ふと遥は我に返った。
ポーラは遥が勝ったら帰ってしまうことを知らないのだ。なんだか騙しているようだった。
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