モドル | ススム | モクジ

● 消えるマキュウ ---  ●

 翌朝、二つの太陽が連れ添って空に昇るのを見ながら、遥はバットを構えていた。この世界に来る時に、唯一持って来ることになったあのバットだ。召喚したジョルジュをふっ飛ばしそうになった、あのバットだ。
 人形のモモが、ふらふら飛びながら届けてくれたのだ。大げさに、何度もバットを落としそうになったことをあのきいきいした声でしゃべり、それに満足した彼女は帰っていった。
「えーと、スポーツだよ。二組のチームで戦うの」
「ふうん。よくわからんが……その棍棒は何か関係あるのか」
 シャーロワの街の広場にはジョルジュとラング、ポーラとがぶちゃんがついてきた。リディアには店番だからと断られてしまった。
 意外だったのはルルベールが見に来たことだ。興味がなさそうに見えたのに、人は見かけによらないなと思った。
「これでピッチャーが投げた球を打つんだよ」
 遥は構えて、バットを振る。風を切る小気味よい音がした。
 たぶん、ここまではみんな理解できるはず。問題は、その次だ。
 ボールとストライク。ファールとフェア。スリーストライクでワンナウト、スリーアウトで攻守交替。遥が一通り説明するも、みんなは首を傾げるばかりだった。唯一、昨日説明したばかりのラングが自信なさそうにうなずいている。
「まあ、やってみたらわかるんじゃないかな……」
 遥はみんなから距離をとった。本塁からマウンドまで、だいたい十四メートル。このくらいだろうか、と目測で歩みを止める。
「キャッチャーを、ラングさんお願い」
「おう。いいよ」
 ラングが手をあげる。ミットなんてないので、手袋で代用してもらう。これもなんとかしないといけない。
 遥は投げた。ぱしっという乾いた音が響く。
「おっと」
 こぼすことなく、見事に捕球した。
「うーっ、痛ってえ……」
 ラングは手をぶらぶらと振った。遥にはわかってはいたけれど、やっぱり申し訳ない気持ちになる。心配になって、ラングのところに駆け寄った。
「だ、大丈夫? できそう?」
「おう。大丈夫大丈夫! ねえちゃんの関節技に比べたら、こんなもん」
 ははは、とラングが笑った。
「じゃあ、バッターは」
「ポーラがやる!」
 ポーラがここぞとばかりにびしっと手をあげた。遥の返事も待たず、バットを奪い取る。がぶちゃんが嬉しそうについてきた。
「大丈夫? じゃあ、ポーラは右利き? なら、こっち側に立って、構えはこう。バットは右手を上にして持つ。足は、肩幅に開いて、軽く曲げる」
「こう?」
「そうそう! そんな感じ。僕がボールを投げるから、バットを振って打ち返すんだ」
「わかった」
 ポーラはきっと構える。なかなか様になっている。
「いっくよぉ〜」
 遥は再び距離をとる。マウンドに見せかけたラインを地面に引き、足場をならす。
「えいっ」
 ボールを投げた。放物線を描いて飛んでゆく。
 ポーラが威勢良くバットを振る。空振りだ。
 ぱしぃん、とボールをキャッチする音が響く。
「あれっ……?」
 ポーラはあっけにとられた顔をしていた。どうして当たらないかわからない、というように。
「惜しい! もう一球」
 遥は、わくわくしていた。この世界に来て不安だらけだったけど、ようやく自分の日常に触れることができて、それが楽しくてしょうがない。野球をやっているときのこの胸の高鳴りは忘れられないものだった。
 ラングからボールをキャッチする。
 もう一球。今度は高めにすっぽ抜けた。ラングがキャッチしそこねて、球は後方へ飛んでいく。
「……ごめん、失敗」
「もう! ちゃんとやってよね」
「う、うん……ごめん」
 怒られてしまった。ポーラからにらみつけられる。
「今のは『ボール』」
「ん? なに?」
「うん……ええと」
 説明をしようと思ったら、ラングにボールを投げつけられて、慌てて受け取る。
「大丈夫かー? いくぞー」
「じゃあ、もう一回」
 中断できないまま、遥は流される。プレイ再開。
 灰色の瞳の彼女に、にらみつけるほどに真剣に見つめられる。そして彼女は、目をつぶりながら思い切りよく振る。――やっぱり空振り。ポーラの白い顔が、むかむかとゆがんでいく。
「ポーラ、ボールをよく見て」
「なにこれー! 全然当たらないじゃん! 全然面白くなーい! やだー」
 ポーラがバットを放り出した。がらんがらん、と音を立ててバットは転がった。
 遥はあっけにとられた。自分の好きな野球をいとも簡単に投げ出されてしまったのだ。つんとするポーラを、呆然と見ることしかできなかった。
 そこへ割り込むように、頭をぐわしっとつかむように撫でたのは、ラングだった。
「ハルカはヤキューの達人だからな! 当たらないのも無理はないだろ。ようし、俺が投げてやる。ポーラ、もう一回そこに立って」
 遥の胸はどきんと高鳴った。こんな風にフォローしてもらえるなんて、思ってもいなかった。
「やだ。ポーラ見てる」
 対するポーラは完全にヘソを曲げていた。地べたに座り込み、そこへがぶちゃんがぴったりと寄り添う。
 ラングは子犬のような表情で言う。
「しょうがないな〜……じゃあハルカ、打てる?」
「うん」
 ポーラが放り投げたバットを拾い上げる。後片付けをしているようで、少し悲しい。
「ん? 俺が投げると、取ってくれる人がいないのか。ん〜……」
「ワシはやらんぞ」
 ちらりと目が合っただけでこれだ。頼もうとした矢先に、ジョルジュに先手を打たれてしまった。
「ちっ、しょうがねえな」
 今まで遠くから見学しているだけかと思われたルルベールが、ずいと進み出た。
「私が投げよう」
「おっ、さすがルル」
 ラングはルルベールにボールを放り投げた。彼は危なげなく受け取る。
 ふと、ルルベールのその無表情の顔に笑みがこぼれた気がした。
 その笑顔が意味するところを、遥は知らない。付き合いの長いラングやリディア、あるいはピピなら、それを感じ取ったであろう。しかし、リディアとピピはこの場にはいないし、ラングは場を取り持つのに必死でうっかり失念していたのだ。
 空気が変わった。ルルベールの周囲に風が渦巻く。
 ルルベールの手に、指輪のようなものがきらりと光った。
 嫌な予感がした。よく考えたらここの人たちは普通じゃない。普通の球なんて投げてくるはずないじゃないか。
「ちょ、ちょっと待って――」
 まるで火の玉のような剛速球が彼の手から繰り出された。
 今まで聞いたこともないような轟音が空気を切った。
「うわあああああ!」
 目だけでは追いきれない。赤い残像が一閃し、遥はほとんど反射的にバットを振った。
 手に鈍い感触が伝わった。バッティングセンターの百三十キロなんてめじゃないほど、重く、そして熱かった。
 その球は赤い弧を描き、空を切り裂いた。そして遠く離れた人家の一つにぶち当たり、窓を割った。派手な音が聞こえてきた。
 遥は真っ青になった。ルルベールは動じていないようだが、口をへの字に曲げている。
「むう。火球が人家へと入ってしまったか」
「かきゅう?」
「火の玉だ」
 遥は絶句した。火の玉って……そんなのが当たったら危ないじゃないか! 今更ながら震えが来る。手元のバットは少し歪み、そして熱くなっていた。
 呆然としていると、問題の家の方から、咆哮があがった。
 たいへんだ。謝らなきゃ!
 遥はパニックになりながらも率先して駆け出していった。みんなも我先にと着いて来るも、問題の家に近づくにつれて、段々速度が鈍ってきていた。特にラングは何かを察したらしくさっさと速度を落としている。
 遥が家の玄関に着く前に、家の扉がばたんと開き、中から獰猛そうな男が飛び出してきた。頭には火球がかすったらしく、焦げた煙が立ち上っている。
「うぉい! 誰だ俺んちに火球を放り込んだやつはあああ!!」
 ものすごい大声が耳をつんざいた。
 助けを求めて振り向くと、ぞろぞろとみんながむしろうんざりした表情で歩み寄ってきた。事情を知らないポーラは、むしろ面白そうに観察している。
「なんだ、こいつんちか……」
「そのまま燃えちゃえばよかったのに……」
 ぼそぼそとあちこちから呟きがもれる。
 予想外の反応だった。遥は戸惑う。
「お友達?」
「いや、全然違う」
 ラングは首を振る。
 そんな中、何故かがぶちゃんが大男に向かってぴょこんと飛びついた。大男は慌てて、背中を払おうとするが、体が大きいだけに手が届かない。がぶちゃんは腕をかいくぐり、器用にのぼっていく。
「ちょ、ちょ、離せ! この! けものめ〜っ!」
『なかま、なかま』
 がぶちゃんはるるると歌っている。遥にはよくわからないが、シンパシーを感じ取ったようだ。
 諦めたのか、がぶちゃんがくっついたままその大男はラングへと向き直り睨みをきかせた。眼光は鋭いが、いかんせんがぶちゃんのせいでまるで緊張感がない。
「おう。なんだラング。てめえのしわざか……姑息な手使いやがって」
「あー違う違う」
「ここで積年の恨みを晴らさせておくべきかああ!」
「ってええ!? 聞いてないし……」
 ラングの釈明も聞かず、大男は憤怒している。
 人の家の窓を割っちゃうなんて、マンガでしかないと思っていた。とにかく、謝らなければ。球を飛ばしたのは自分だ。ちょっと、話しかけるのは怖いけれど。
「ご、ごめんなさい」
「おうおうおう! てめえか! よくも俺の頭に火球をぶっつけてくれたな!」
「本当に、ゴメンナサイ……」
「どう落とし前をつけてもらおうか……」
 じわりと、遥の目に涙がたまる。急に泣き出したことが恥ずかしくて、でも止まらない。必死で泣き声をこらえようとしたが、ポーラに気付かれてしまった。
「あー! ハルカを泣かせた! いーけないんだ」
「お、おおおおれのせいか? 俺のせいか?? どどど、どうしたらいいんだ!」
 大男――アグニはさっきまでの怒りが嘘のように、急にそわそわと落ち着きがなくなった。相変わらず頭から煙が上っている。ひょっとして燃えているのだろうが、誰もそれを注意する奴はいない。
「おじさん。子供を泣かせたらいけないって教わらなかった?」
 ポーラの見事な操縦により、アグニは素直に遥の前でしゃがみこむ。大きな手が、遥の頭をわしわしと包んだ。
「泣きやめ、お譲ちゃんよ」
 そしてアグニは、赤ん坊ならきっと泣き叫んでしまうような顔をぐっと近づけた。あったかい手が頭を包み込んでいた。乱暴で怖い顔だけれど、悪い人じゃなさそうだった。遥は少し落ち着いた。
「僕は、男だよ」
 呼吸を落ち着けると、ようやく、それを言った。
 ラングは横でにやにやと笑っている。お前も騙されたか、という感じのいやらしい笑みにアグニの頬はかーっと赤くなる。
「お、男だと!? ラングの手下め、俺をたばかりおって!」
 もう女の子に間違われる事には慣れた。だが、騙したと言われるのは予想外だった。
「ちちち違うよう」
 遥は必死で首を振った。騙してなんかいないし、そもそも手下なんかじゃない。じゃあ、なんだと言われたら困ってしまうけれど。友達、とは言えないかもしれない。ジョルジュの言うとおり「下僕」なのだろうか。そればっかりは認めたくない。
 しかし、遥の言葉を遮ったのはラングだった。
「おー。ハルカはへっぽこジョルジュが召喚したうちの最終兵器よ。お前なんか何人いてもかなうもんか!」
 ――最終兵器だったのか。
 でも、それほど役に立つとも自分でも思えない。どうしよう。何しろ補欠なのだ。
「あのう、僕……」
 訂正を求めようとしても誰も聞いてない。二人は煽りあって勝手にどんどんと熱くなっている。
「何しろお前んちを狙って火球を打ったのもハルカだからな!」
「何いいい!!」
 アグニが激昂するも、否定できなかった。こればっかりは本当だ。もっとも、決して狙いすましたわけではなく、偶然なのだけれど。
 アグニの頭から煙が再び吐き出される。ひょっとして、燃えてるんじゃなくて頭から蒸気が吹き出てるのかもしれない、などと遥はぼんやり思った。もう何が起きても不思議じゃない。
「おう、ハルカ……とか言ったな。お前、俺と勝負しろ」
 遥は身震いした。そんな、まともに戦ったらこの体格差だ。ひとひねりでやられてしまう。無理だと首を振ったら、後ろから肩を抱きしめられた。ラングだった。
「ハルカ、お前はできる。大丈夫だ、その棍棒があるだろ?」
 握り締めていた金属バットを確かめた。さっきの火球を打ったせいで、ヘッドの中心部がかすかにへこみ、真っ黒くすすけている。しかしそれでも、バットは強い意思を持ったように、鈍い輝きを放っている。
「じ、じゃあバッティング勝負で……」
 遥は鼻をすすった。ラングに背中を押されて、弾みで言ってしまった。顔が紅潮していくのがわかる。よく言った、とラングが頭を撫でる。
「ハァルカよ、さすがワシの下僕じゃな。ふっひゃっひゃ」
 まるで自分の物のように鼻高々だが、ジョルジュにそう言われると、高揚していた気持ちがしぼんでくる。遥はくじけないように、ジョルジュを視界から外した。
 事の成り行きをだれながらも静観している仲間。やる気満々のアグニ。そして足元で飛び跳ねるペットのがぶちゃん。
「おう、何だかわからんが受けて立つぞ」
 アグニはまんざらでもないような、中途半端な笑いを口の端に浮かべた。頭から勇壮な煙がたち上り、広がっていった。
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