●● 消えるマキュウ --- 六 ●●
ルールを教えるのは三度目ということもあって、さっきより上手く説明できた、と思ったのだけれど、現実はそう甘くはなかった。
まず、おっかなびっくりアグニに近寄って、ボールを打つことを教えるが、ボールを投げて打つ、というところをまず理解してくれない。
「あ? なんでわざわざ打たれやすいところに投げるんだ? 馬鹿にしているのか」
「そういうルールなんだよ……」
遥はアグニをなだめるが、なんでそういうルールなのか、自分でもよくわからなくなってきてしまった。そういえば、どうしてこんなルールなんだろう?
皆には内野をやってもらうことにした。飛んできた球を捕ってくれ、と。
「ふん、下僕の分際で命令するとは……うわ何をするいたたたた!!」
ジョルジュの尻にはがぶちゃんが食らいついていた。
「おっけええい! 任せて!」
ポーラが元気良く返事をした。それにつられてちらほら気合の声があがる。
「何でもいいから球捕ればいいんだろう」
もはやルルベールにはかなわない。何でもいいから、という表現が気になったが、うなずくしかなかった。何をするつもりなのか、遥には見当もつかない。
「おい! そっちは大勢じゃねえか!」
守備についた数人を見て、アグニはまたも怒り狂った。
遥は泣きそうになった。必死に涙をこらえると、アグニは何故か急に静かになった。
即席の草野球ルール。ピッチャーは遥、迎え打つバッターはアグニ。キャッチャーはラングにやってもらうことにした。残りは内野。遥を取り囲むようにばらばらと立っている。
アグニは棍棒を振り回した。それは野球というより、まるで野蛮人そのものだった。体が大きいのでその動きに迫力がある。怖い。
アグニはまっすぐにこちらをにらみつけた。
「い、いくよ〜……」
振りかぶって、渾身の力をこめて投げつける。
「うあっ」
やってしまった。内角いっぱいの危険球。ボールはアグニすれすれにかすり、ラングはそれを取りこぼす。
「ご、ごめんなさいごめんなさい」
「惜しいなハルカ! もうちょっとでアグニにぶつかったのに」
ラングはボールを拾い上げ、アグニにぶちあてる仕草をした。
「そ、そういうルールじゃないよ」
顔を真っ赤にして遥は叫んだ。
「今のはボール」
「ぼーる? ぼーるとはなんだ!」
「えと、ええと」
遥は必死だ。
「この、構えたときの肘の高さから、膝のところまでが縦のストライクゾーン。横幅は、今はホームベースがないけれど、要するに、打てるところに投げるのがルールなんだよ」
「わからん! お前が何を言ってるのかさっぱりわからん! どうして殴り合いをしないのだ!」
アグニの頭から血が噴き出す。
「俺はわかったぞ」
にやにやしながらラングが言った。
「ワシにもわかった。さぁすが、ワシの下僕」
「ポーラもわかったよ! おじさんはわかんないの?」
彼らの発言はアグニを少なからず傷つけたらしく、彼はしばらく大人しくなった。ぶつぶつと呟きながら必死に指で何かを勘定している。
遥はさすがに心配になった。
「ええと、投げちゃっていいのかな?」
突然、アグニの頭のてっぺんにある火山が噴火した。
「わかった! わかったぞう! 打てるところにわざと投げ込み、それでも打たせないのが強いというわけだな!」
「そう言ってるのに……」
自分の説明じゃあわかりにくかったのかと、遥は自信を失った。
「じゃあ、もう一回いくよ」
深呼吸して、もう一球。渾身の力を込めて投げた球は、アグニの棍棒のちょうど真下を通り、今度こそラングのミットに収まった。
それとともに、ごうっ、と風を切り裂く音が響く。
「うわぁっ!」
力いっぱい振り回したアグニの棍棒の風力で、遥は吹き飛ばされそうになった。倒れそうになったが、なんとか留まる。
しかし、ラングは耐え切れなかったのか尻餅をつく。
「おい、そういう嫌がらせはなしだろうが」
「ぬ? 嫌がらせなぞしていない! ラング、てめえの足腰が貧弱なだけだろうが!」
アグニはすっかり自信を取り戻したようで、棍棒をぶんぶん振るっている。そのたびに、大きな風が沸き起こった。
「なあハルカ! あんなんなしだよなー」
ラングにそうふられて遥は返答に困った。そんなルールなんて知らない。そもそも、バットを振るだけで風を引き起こすなんて力の人はいないからだ。強いて言うなら守備妨害くらいか?
「そうかも……」
遥は苦笑するしかなかった。
三球目。風を警戒してか、ラングがずいぶんアグニと離れて座った。
「ちょ、ちょっと待って」
遥はたたたっとラングに駆け寄った。
「そんな離れちゃ、ストライクゾーンに入らないよ」
「大丈夫大丈夫。球だけバッと捕るから! ハルカはいつもどおり投げてくれればいい」
「そんな〜……」
無茶だ。目標となるミットがそこにないと、落ち着かない。
そんな不安から隙が生まれたのか、一瞬だけボールから手を離すのが早まった。
「しまっ……」
ボールはふわっと宙を浮き、それを好機と見抜いたアグニによって全力で捉えられた。
きぃん。景気のいい乾いた音が響き、ボールは頭上を越え、遥か彼方へと飛んでいった。
遥は呆然と球の行方を見つめていた。こんなに見事に打たれたのは、初めてだった。
心の中に風が吹いているような気がした。ものいわぬ青い空、全てが残酷だった。こんな気分になるとは、思わなかった。
「ふはは! みたか!」
「大丈夫か?」
だだっとラングが駆け寄ってきた。
「うん……ちょっとびっくりしちゃっただけ」
「ふん。ワシの下僕もたいしたことないのう」
ジョルジュの言葉で、それまでこらえていたものが決壊した。
駄目だ駄目だ、こんなことで泣いちゃ駄目だ。頭が熱くなってくる。
「また! お前ら泣かすなよ!」
ラングはジョルジュを蹴飛ばし、そのついでにアグニを蹴飛ばした。ジョルジュは悲鳴をあげてうずくまり、アグニはわけもわからず頭を抱えている。
「何をする! 打たれたのが悪いんじゃ」
「ええ俺か?? なんで俺か??」
「おじさん! 子供を泣かすなんてサイテイ!」
ポーラが遥とアグニの間に割って入り、仁王立ちになる。
アグニにしてみればわけがわからない。勝ったのに、あまつさえ罵声を浴びせられるとは。
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」
ポーラが隣でしゃがみこんでなだめてくれるが、遥はそれがよほど恥ずかしかった。それなのに、嗚咽が止まらない。
「悔しい……悔しいよ」
今までのちっぽけな悲しみではなかった。遥は、打たれたことが悔しかったのだ。それも、野球素人同然のアグニに。
もっと、もっと強くなりたい。
「僕……簡単に打たれちゃった。もっと……上手くなりたいよ」
嗚咽をこらえながら、遥は思いのたけを吐き出した。
「よし。言ったな。大丈夫、俺たちがいるから」
ラングはにやりと微笑んだ。
「おい、ジョルジュ」
「何じゃ」
「あいつに言っといてくれ。ヤキュウで戦う、と!」
ジョルジュは得意げに笑った。
「ふん。そんなの、最初からわかっておったわ」
◆◆◆
「……と、言われたんだが!」
アグニは差し出された茶をすすりつつ、言った。
狭い一室に、むさくるしい大男と、小柄な男が二人。卓を囲んで座っていた。いかにも男の部屋、といった、殺風景で必要なものしかない。
「……あっしには話しが全然見えないのですけぇが」
小柄な男の一人、ドニが言った。
ここはドニの部屋だった。仕事も終わり、同僚のギーとのんびり茶でも飲みながらくつろいでいたところを、大柄の男――アグニが押しかけてきたのだ。
「ぬ? わからんのか? てめえら本当にわからんのか! もう一度初めから言ってやる。実はな……」
「いやいやいや。もういいですって。要するに、あれでしょう? アニキはその……ラングの野郎の下で一緒に戦うってことなんでしょう?」
「しかもそれじゃ脅しに屈しているようなもんじゃないですか……なんで勝ったのに手伝うんですか」
アグニとは小さい頃からの付き合いだった。人情家で熱い面があり、調子よくあわせていたけれど、少しついていけない面がある。
「ラングの下、ではない! 俺の力が必要だと言われたのだ」
「それを下、っていうんですよ。アニキは本当にいいんですか? あれだけ打倒ラングと言っていたじゃないですか」
小柄な男のもう一人、ギーが言う。
「なにを構うことなどあるのだ! 俺の力を見せ付けてやるのだ!」
アグニは迷うことなく言う。
「そうですかい。ま、あっしらには関係ないことですがね……」
諦めたようなギーの口調に、アグニはぎろり、と二人をねめつけた。
「何を寝ぼけたことを言っているのだ! てめえらももちろん参加するのだぞ!」
「は?」
「え? ……一体、今までのどこに、そんなお話が」
「今までの話を聞いてなかったのか!? つまり、敵と戦うためには」
アグニは両手で指折り数えた。一、二、三、四、五、六、七、八、九。それをそのまま二人へ突き出す。アグニの大きな手の、左手の小指だけが立っている。
「九人だ! 九人必要なのだ!」
ドニとギーはげんなりした。アグニが言い出したら聞かないことはわかっていた。
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