モドル | ススム | モクジ

● 消えるマキュウ ---  ●

 それは静かな朝だった。
 ホテルにあるようなふかふかの枕も、不思議な味の料理も、もう慣れた。しかし、試合の前の緊張感、これだけはいつも慣れなかった。案の定、夜は眠れなくて、何度も寝返りをうった。
 これが終わったら、本当に帰れるんだ。お父さんやお母さん、竜之介、みんなの顔が浮かぶ。
 でも、もうひとつの事実が頭に絡みつく。帰れるということは、つまりシャーロワのみんなと離れ離れになってしまうのだ。二度と会うことのできない、今生の別れ。
『ハルカ。ポーラと一緒にいよう? ずっとずっと、一緒』
 みんなの顔が浮かんでは消えていく。
 結局寝付いたのは、夜も更けてだいぶたってからだ。
 遥はぼんやりした頭のまま、寝間着から、きれいなユニホームに着替える。メットをかぶり、クラブにバット、スパイクはバッグにつめる。
 久しぶりにユニホームに着替えると、やっぱりしゃきっとする。
 朝ごはんを食べ、準備に大騒ぎしているリディアとポーラを待ち、男たちでそれぞれあのカカシを担ぎ上げ、ようやく出発する。
「うん。やっぱりハルカにはその服が似合うよ」
 道中でラングはそっと言った。

 澄み切った空に、小太陽が一つ。大太陽の姿は見えない。道理で静かだと納得した。大太陽のある日は、もっとにぎやかで、太陽たちが空の上で威張っているのだ。雲の影はあまり見えないけれど、曇りの薄明かりに似た程度の光しかない。
 そこは広い野原だった。遠くには、牛に似た生き物が草を食んでいる。
「……わあ。天然芝だ」
 遥は言ってみたけれど、内野も雑草だらけ。ダイヤモンドを形作るラインは、小道のように雑草が掘り返され、黒々とした土が露出している。マウンドは土が盛られ、申し訳程度に板が埋められている。原始的な草野球だ、と遥は思った。プロ野球には程遠い、けれどこれが遥の戦う場所にふさわしい。
 チームのみんながばらばらと集まってきていた。ルルベールは背負ってきた審判くん、塁審くんを配置した。固定するために木槌で地面に打ち込んでいく。無骨な審判くん。このカカシが、グラウンドを見渡せる特等席に陣取ったのだ。今日は彼が一番偉いのだ。みんな彼の指示に従い、プレーする。なんだかおかしかった。
「あっ……あれ!」
 最初に気づいたのはポーラだった。
 遠くの空から、黒い軍団がこちらに向かってくるのが見えた。なんと、背中に羽がついている人たちが空を舞っている。遥は口をあんぐり空けた。羽を持って空を飛ぶ人間が存在しない世界に住む遥には、全く予想していないことだった。
「ね、ねえ……あの人たちが参加するの」
「……するんじゃないかな」
 守備の優位性は容易に想像がついた。ひらひら舞って、立体的に守れる。普通の人間が捕れないようなホームラン級の当たりでさえ、彼らは飛び上がって捕ってしまうだろう。
「そ、そんなっ……ずるいや!」
 誰かがぽんと肩を叩いた。振り返ると、ラングがそこにいた。
「ずるいなんてことはあるか。こっちにはルル特製の道具だってあるし、練習だってしてきた。何より、ハルカがいるじゃないか」
 その言葉に何度助けられただろう。遥は落ち着きを取り戻す。
 上空に気をとられていたら、いつの間にか地上にも人が集まっていた。
 相手チームの面々を見て、顔が引きつる。みな、屈強なモンスターみたいな体格をしている。しかも角が生えていたり、翼を生やしていたりして。間違いなく普通じゃない。
 目を引いたのは、その男たち全員が、紫がかった赤色の石を身につけていることだった。耳に、首に、あるいは指に。遥のものと同じだ。彼らも、呼ばれたのだ。
「くっくっく。ようこそ」
 そんな屈強な男たちの中でひときわ目立つ、紋様が描かれた白いローブの人。彼のために、男たちがざっと道をあける。
 あれが……魔王?
 遥は意外に思った。魔王といったら、もっと力強くて大きくて、筋肉もりもりの、そう、周りにいる男たちを一回り大きくしたようなのを想像していたからだ。目の前の人は風に吹かれたら飛んでしまいそうな、華奢な感じだった。
 いや、ああ見えても手ごわいのかもしれない。魔法をばんばん使ってくるタイプなのかも。そう考え直して、気を引き締める。
「出たな、魔王め。ワシの下僕とその他大勢が、お主をコナゴナにしてくれるわ!」
 ずずいと、ジョルジュが進み出てそれに応える。物騒かつ引っかかる表現を使ったけれど、それを追及する余裕がなかった。白ローブが他のところに反応したからだ。
「何? 『魔王?』」
 ローブに隠れて表情は見えない。どこかで見た景色だ、と思った。
「私のことをそんな風に吹き込んでいるとは。……お前はやっぱり最悪だ。サイテーだ!」
 魔王が突然、切れたように見えた。今までの理知的な口調から一変して、感情的に激高する。
「やってやるよ! 畜生が!」
 その声に反応して、周りの男たちがほえた。異様な雰囲気に、遥は口をきゅっと結んで縮こまるしかなかった。こんな怖い人たちと戦うなんて。この場から逃げ出したくてたまらなかった。

   ◆◆◆

 ピピは一塁側ベンチから少し離れた、外野に近いところにぽつんと座っていた。目の前には、『塁審くん』という変な名前のカカシが立っている。この名づけ方は、いかにもルルベールだなと思う。
 主は嫌そうな顔をしているけど、実は張り切っているのだ。いつもは着ない服を出して来い、などと言われてピピは部屋を探し回った。
『なにが面白いのかねえ。いい年した大人が。よしてくれよ、後で肩もみさせられる身にもなってくれ』
 ベンチにはジョルジュがふんぞり返っている。まるで監督のようだ。ピピにはそれが気に入らない。たいした実力もないくせに偉そうに、高見の見物か。それが召喚術師の特権というやつだろうけれども。
 それを聞きとがめたモモがふわりと飛んできた。ピピは顔をしかめるが、なにぶんうさぎなので人形にはあまり通じない。言葉が聞こえているはずなのに、話を聞かないのだ、こいつは。
「ピピちゃん! 今からヤキューっていうのが始まるわね! 面白いらしいわよ。ハルカちゃんの国では人気のある競技なんだって」
 きーきーとやかましい声はピピの耳を刺激する。それも苦手な原因の一つだ。
『ふーん。私は興味ないけどねえ。主が来ているから、いるだけだし』
「ハルカちゃんてかわいくていい子よねー! 応援しちゃうわ」
 やっぱり聞いてない。
「ヤキューって、九人対九人でやる競技でね! 先攻と後攻で変わりばんこに攻めて守るらしいわよ! それでね、普通は九回までやるんだけれど、今回はりとるりいぐルールを採用するらしくて、六回で終わるらしいわよ? どういうことなのかしらね!」
『ああ……子供用に優しいルールにしているんだろ』
 本当をいうと、ちょっと興味がわいてきたのだけれど、それを悟られたくなかったので面倒そうな口調を装った。
「え? ピピちゃん、知ってるの?」
 意外にも、モモが食いついてきた。自分の口を呪わずにはいられない。
 九人対九人。攻守交替する競技――
 わあっと、遥たちがポジションについていくのを見ながら、ピピはつぶやいた。
『……なんだよ。バーズバルじゃないか』
 バーズバル。働きうさぎを含めた従獣の間で流行っている競技であった。
 もっとも、うさぎは力が弱いほうだから、打撃、投球ではあまり活躍できない。走りだけが唯一の活躍の場だ。だからピピはどちらかというと仲間がやるのを見ているだけだった。
「すごーい! じゃあ色々教えてね!」
 しっかりと横に居つかれてしまい、ピピはちょっと後悔した。

   ◆◆◆

 遥は緊張していた。
「オーダー、発表します。こんな感じでいいと思うけど」
 一塁側のベンチ。ベンチといっても、野原だから椅子があるわけじゃないけれど。そこに皆が集まっていた。
 遥はメモを読み上げた。
「そして……ピッチャーは僕」
 先発投手なんて久しぶりだ。ライトで、と言ってしまえば楽をできたかもしれない。しかし、ぼんやりと観戦しているつもりはなかった。これは自分自身の戦いだったからだ。
 こんな人たちに通用するのだろうか。
「魔王が召喚したやつらじゃな。人間と思わぬ方がよいぞ」
 ジョルジュにそう言われて、やっぱり、と覚悟を決める。
「ぷれいぼーる」
 審判くんのかくかくした動きにより、試合は始まった。
「お願いします!」
 大きな声で挨拶して、マウンドへ走った。みんなも、見よう見まねでそれぞれのポジションについていく。
 ホームベースの向こうには、ラングが座っている。その後ろには、カカシのような『審判くん』が立っている。
 遥はぐるりと内野を見回す。
「おっけー」
 ファーストでポーラが手を振る。ショートとセカンドでは、ドニとギーが緊張した面持ちで立っていた。サードにはアグニがついている。
 ざっざっと、マウンドを慣らす。
 ラングを見て、こっくりとうなずく。かすかに微笑み返してくれた。
 バッターボックスには、いかにも、といった感じの筋肉隆々な人。バットをぶんぶん振り回しているけれど、どこか構えがぎこちない。
「いくよ!」
「よし来いっ!」
 遥は振りかぶった。
 それは、一瞬だった。
 球が火の玉に包まれているような赤い軌跡を描きながら、ラングに向かっていく。
「ええええええっ!?」
 投げた遥自身が一番驚いていた。
 それは投球というより、攻撃だった。
 すごい音がして、ラングは軽く吹っ飛ぶ。審判くんにぶつかった。軽くうめくが、びくともしない。ミットから煙があがる。
 姿勢を保っているだけでも奇跡だった。
 バッターは目を見開いたまま、微動だにしない。
 なんだ、このボールは!? 間違っても遥自身の力ではなかった。
「すとらいく〜」
 審判くんの間の抜けた判定が場違いに聞こえる。
「ちょ、ちょっと、タイム! ターイム!」
 遥はホームベースに向かって駆け出した。
「大丈夫!?」
「ああ……なんとか」
 ラングは顔をしかめつつも立ち上がり、笑顔で答える。よかった、無事みたいだ。
「でも、これを受け続けなきゃいけないのは、つらいなあ……厳しいんだな、ヤキューって」
 ラングは何の疑問にも思っていないようだった。遥は全力で首をふる。
「そんなわけない、そんなわけ、ないよっ! きっと、ルルベールさんの力だよ、これ……」
 遥はラングの服のすそを引っ張った。打者に話を聞かれないように、マウンドへ場所を移す。
 遥は思い出していた。道具作りの参考にするために、野球道具一式をルルベールに貸していたことを。そのときにきっと遥のグラブもいじられたのだ。
「これ、力を何とか調節できないのかなぁ……」
 グラブは何となく温もりを放っている。
「ルルに聞いてみるか」
 試合は、まだまだ始まったばかりだった。
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