●● 消えるマキュウ --- 七 ●●
遥は三塁からリディアの奮闘ぶりを見ていた。いつもの軽い身のこなしはどこへやら、体中ががちがちに固まっているようだ。気負いすぎている、と感じる。
「リディアさん! もっと、ボールをよく見て」
リディアがかすかにうなずいたように見えた。そう声をかけながら、遥はいつでも走り出せるように、気を抜かない。
ツーストライクから、気合の打撃。乾いた音が響き、打球は空高く打ちあがる。しかしそこには、待ち構えていたように羽を生やした男が浮かんでいた。平凡というにはいささか不似合いな、センターフライ。
「ああっ」
「あうと~」
やっぱりずるいや。
遥の心はくじけそうだった。それを打ち消すように、体を震わせる雄叫びがベンチから聞こえた。
「俺の出番だな! あの投手をぶち抜いて粉々にしてやるぞおおおお! うおおおおお!」
大男、アグニだった。
「お前、それルールと違うからな!」
ベンチからはラングのツッコミが入るも、彼は意に介さない。
「知るかあああ!」
そのやりとりを聞いてか、相手ピッチャーが動揺しているようだった。そりゃそうだ、目の前にあの大男が立ったら、誰だって身がすくむ。その上にあんな物騒な叫び。しかし、彼の怖いところはそれを本当にやりかねないところだった。
彼を四番にすえたのは、もちろん大きな当たりを期待したからだった。あんな打球を目にしたら、例え他に難があろうと起用しないわけにはいかない。例えルールの把握に難があったとしても。それほど、彼のバッティングは魅力的だった。
どうしてもホームに帰り、一点を取り返したい。自然とかける声が大きくなっていた。
相手キャッチャーが迷惑そうに体をよじった。何だろう、と思ったらすぐに原因がわかった。風だ。アグニがバットを振り回すごとに吹き飛ばすような大きな風が起こるのだ。
はた迷惑極まりない。しかし、味方になった今では有効だった。ずるいような気もするけれど、向こうも空飛んでるんだから、これであいこだ。
相手側は恐れをなしたのか、あるいは気力をそがれたのか。ことごとくストライクゾーンから外していた。
「おう! どうした! てめえは真ん中に投げることもできないのかああ!」
アグニの挑発。それが効いたのか、すっぽ抜けるようにど真ん中の球。絶好球だった。
咆哮とともに、球が空へ舞った。
遥はあっけにとられた。走ることさえも忘れてしまうほどの、綺麗な打球。それはまっすぐ空へ空へと伸びていき、そして見失った。
審判くんのコールで我に返り、遥はホームへと走った。紛れもない、ホームランだった。
ベンチに帰ると、みんなに取り囲まれた。歓声とともに抱きしめられ、体をぽんぽんと叩かれる。
「これで取り返したな」
ラングの声が耳元で聞こえる。こんなに活躍したことなんて、初めてだった。
「やったぞ! ……おいいいいい! どうしてハルカだけなんだ! 活躍したのは俺だぞ!? 俺なんだぞ!?」
そう叫ばれて、ベンチのみんなは義理程度に祝福した。アグニはそれで満足したようだった。
◆◆◆
「さっ、がぶちゃんの番」
『あそぶ? あそぶ?』
ポーラは嬉々としてがぶちゃんにバットを渡した。四足のがぶちゃんがどうやって受け取るんだろう、とはらはらしていたら、がぶちゃんはむくりと立ち上がり、器用にバットを手に取った。手じゃなくて、前足かもしれない。
がぶちゃんの動向は遥を含め、みんなが注目していた。ポーラが太鼓判を押していたけれど、それはどこまで信用していいのだろうか。
がぶちゃんはバランスの悪さによたよたしながらバッターボックスへと向かう。
相手ピッチャーが軽蔑したように顔をゆがめた。たかが獣、と侮ったのかもしれない。
がぶちゃんは打席に立つと、構えた。よく見たらめちゃくちゃだ。右打ちなのかわからないけれど、右打席に立っているにもかかわらず、右腕が上だ。フォームだけはよく真似ているものの、あれじゃあ力いっぱいスイングできない。
しかも悪いことに、それに気づいたのはどうやら遥一人のようだった。主であるポーラを見ると、自信満々に見守っている。とても声はかけられそうにない。
がぶちゃんは相変わらず歌うように鳴く。
『るる、るるる。打つ? 飛ぶ?』
ピッチャーの第一球。侮っていたのか、弱めの球のストレート、ど真ん中だった。
『打つ!』
遥はわが耳を疑った。
しかし、飛んでいく球は紛れもない事実だった。打球は低いがスピードのあるライナー。右中間を突っ切っていく。
「がぶちゃーん! 走って!」
その当たりとは裏腹に、がぶちゃんは打席から動こうとしない。のんきに後ろ足で背中をかいている。
「何してるんだ?」
疑問の声が聞こえるも、遥にはがぶちゃんの気持ちがなんとなくわかった。どうやら、球を打てたことで満足したようだった。
「は・し・っ・てー!」
ポーラの大声で、がぶちゃんはようやく動き出した。全く状況を見ていないような軽やかな足取りで一塁までたどりつく。みんなはほっと胸をなでおろした。
それにしても、スリーベースまでたどり着けそうな当たりが、シングルヒットになってしまった。惜しいことをした。
そんながぶちゃんの意外な活躍と、遥の気合の投球。その他色々な要因によって試合は進んでいった。
丈夫で華のあるパワーバッター、アグニ。バッティングでは三振したリディアも守備はなかなかのものだった。足を生かした守備範囲と、軽やかな体が鮮やかに宙を舞う。
また、裏方のようにそつなくこなすのはドニとギー。目立たない、というのはいい意味でないように聞こえるが、裏返すと失策が少ないということでもあった。
唯一、ルルベールがおとなしくしているのが遥には気にかかった。試合開始のときに文句を言われたのが堪えたのだろうか。そんな風には見えない。あれだけ楽しみにしていたみたいなのに。
がぶちゃんは打撃だけでなく、守備もこなしていた。大きくなって体ごと打球を包み、キャッチする。ゴロはいまいちだったが、これならフライは捕れるのだ。ライトが穴になるかと遥は覚悟していたが、意外と健闘している。嬉しい誤算だった。
スタンドでもがぶちゃんが話題をさらっていた。
「がぶちゃんってすごいわー! ピピちゃんも見習いなさいよ!」
『うるさいよ』
「あの従獣、がぶちゃんって言うのね。見たことないタイプだけど、何なのかしら?」
黒い人形――ミミがつぶやいた。
『あのタイプは、私も見たことがないな。ももんがに似ているけれど、随分大きい。まさか、まさかねぇ。あんな子供のキキミミが連れていること自体が、不釣合いだし』
あれはひょっとして伝説の生き物かもしれない、その可能性をピピは隅に追いやった。
◆◆◆
それは五回裏に起こった。
打席は八番、ルルベール。取りつ取られつで、十対九。あと一歩というところで相手チームに追いすがっていた。
遥は呼吸を落ち着けながら汗をぬぐう。さすがにピッチャーと一番を兼任するのは、控えだった遥には堪えた。ベンチにいる間だけでも、ゆっくり休まないと。
目を離している間に、きいん、と景気のいい音がした。ボールは鋭く――相手のベンチへと突っ込んだ。
「――あっ!」
息をのむ。
「ふぁーる」
魔王が地面へと崩れ落ちていた。直撃したのか、とっさに避けたのかはわからない。守備中のため、相手側ベンチには他に誰もいない。
遥は反射的に立ちあがった。大事だったら、助けにいかなければ。後から冷静に考えるとおかしな話だが、とっさにそう思った。
遥の目は、そこに釘付けになった。
魔王はどうやら無事なようだ。しかし、問題はそこではなかった。その男の顔面を覆っていた白いフードが落ちている。金髪碧眼の美形。雰囲気は違うが、遥の知っている男にそっくりだった。
「ふ……双子!?」
驚きのあまり、声をひねりだすのに時間を要した。ジョルジュと違うのは、彼が変態臭を身にまとっているのに対し、その男は冷静な知性をまとっていることだった。
「ふん」
男は静かに立ち上がった。遥の驚きなど我関せず、といったように。
「すとらーいく、あうとー」
そのカウントで我に返った。いつの間にか打席が終了していた。ルルベールは涼しい顔でベンチに戻ってくる。
「最終回じゃな。気合を入れて守るのじゃぞ」
そう言うジョルジュの顔を、遥はまともに見れなかった。
◆◆◆
「ハルカちゃん、大丈夫かしら……」
『うーん、大丈夫じゃないなあ』
「あら、ピピちゃんったら冷たいのね」
『あのねえ……』
もうモモに言い返すのは諦めた。ああ言えばこう言い、何が気に入らないのかピピを貶める語彙だけは豊富なのだ。
しかし、そのモモが気づくぐらい遥が調子を落としているのは事実だった。
『最後だぞ。気張れよ』
ピピは小さな拳を握り締めた。
景気のいい打球音が耳障りに残る。空高く打ちあがるボールに、遥はもはや振り返りもしない。
最終回、六回の表。劣勢の今はさっさとスリーアウトをとって反撃に移したいところだった。しかし、それがあまりにも遠い。
明らかに遥の様子がおかしかった。投球に身が入っていない。その隙を狙うように、先ほどから安打が量産されていた。ここまできたというのに。十二対九、ノーアウト二塁。
「ちょっと、タイム!」
ラングはそう言い残して、マウンドへと走った。気を抜くと、腰が砕けそうになる。体にダメージが蓄積していることを実感する。
「大丈夫か?」
遥はその問いに答えなかった。
「知って、いたの?」
強い、非難を帯びた目。ラングはどきりとする。
答えるのをためらうと、遥はちらりと相手側のベンチを示唆した。そこには流麗な顔をさらけ出した魔王――ジョルジュの弟、ピエールがふんぞり返っていた。双子だけによく似ている。
「……ああ、まあな」
ラングは言いにくそうに顔を背けた。だが、耳だけは遥の動向をうかがっている。
「なんだよ……みんな、みんな知ってたんだ! こんなの――こんなの、ひどい!」
遥はそう叫んでしゃがみこんだ。怒気をはらんだ声が、空気を震わせる。彼の悲痛な叫びに、尻尾がしゅんとしぼんでいく。なんと声をかけたらいいのかわからない。
命を懸けて、とまではいかないけれど、遥は全力投球で戦ってきたのだ。だが、結局それはジョルジュの兄弟げんかに付き合わされたに過ぎなかったのだ。ただ、それだけのために、知らない世界に飛ばされて、理不尽な要求にも応えてきた。そんなことのために。
ラングは苦い顔をする。自分もそれに加担していたのだ。面白おかしく、画策しながら。
「何をわめいておる」
そこへ空気を読めない男が割って入ってきた。ジョルジュだ。
遥はジョルジュを恨みのこもった目でにらみつける。
しかし、当のジョルジュは動じた風もない。冷たい色の瞳で遥を見下している。
「ハァルカ。お主の決意はその程度か。ふん。ワシの下僕もたいしたことないのう」
ここまで追い詰めるのか。まだ、ほんの子供なのに。ここで戦っているのは遥の都合じゃない。自分の都合なのに? 彼をこんなに憎らしく思ったことはなかった。
その貧弱な肩をつかむ。やめろ。もうしゃべるな。その口をふさいでやる。そのまま彼を羽交い絞めにする。しかし、ジョルジュの口は止まらない。
「お主ならできると期待していたのじゃがの」
ラングの耳がぴくりと反応した。何か、おかしい。ジョルジュが言うセリフにしては、あまりに不似合いな言葉だと思った。
「ここで投げ出して、ハァルカはワシと幸せに暮らすわけじゃな。メデタシ、メデタシと。……どうじゃ、何か言ってみろ」
ラングは動きを止めた。
普段のジョルジュなら、自分を卑下してまで遥に発破かけることなどない。遥は、それに気づいたのだろうか。
遥はゆっくりと立ち上がった。
「……こんなことで、負けない」
「ん? 何か言ったかの」
「僕は負けない! それで、僕は元の世界に帰るんだ」
遥はそう叫んだ。瞳には闘志が戻っていた。
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